得意なことが分かりました。まる。良き良き。
まず最下部に引用した投稿を読むのである。
一度ネタにしたこの若者。大学生。私のシェアメイトである。隣の部屋で文学青年と二人で暮らしている。
この若者、何をトチ狂ったか、しばらく前から飛び込み営業のアルバイトを始めた。英語で言うなら、パートタイムジョブ。とはいえ、フルタイム。彼にとっては初めてのフルタイム勤務。
経験者として語るが、まぁ、あんな仕事はやるべきではない。行く先、行く先、石を投げられそうな勢いで煙たがられ、心がバッキバキに折られていく。二度とやりたくはないわ、あの仕事は。人間に与えられた所業ではない、飛び込み営業というネーミングからして、そもそもが気に入らない。
と私が思っていたところに、彼はそのバイトをやっているのである、時給の高さに釣られて。
彼を一言で表現するなら「チャラい」だった、ほんの一ヶ月前までは。
文末を「でしょ」と締める、ヤフー・ニュースのコメント欄にいるような輩が私は大嫌いで、なんだその居丈高な物言いはと反射的にムカついてしまうのだが、「チャラい男」はそんなに嫌いではないというよりは、むしろ大好き。私自身は年齢的にもう「チャラい」と言われることはないが、なんていうかー、日本人じゃなくてー、フィリピンかどこかのー、オージーパーティーが好きなー、外国人みたい、というよく聞く私への寸評は絶対にチャラいという意味である。
話を戻す。
ぜひとも、あなたはそのまま「チャラい男・愛媛代表」として生き続けなさい、と私は思っていた。若輩者よ、せいぜい頑張りなさい。
ずっとそう思っていた。なのに毎朝出かけていくのである、彼は、そのパートタイムジョブに。そしてなんというか「社会人の常識」みたいなものを、毎日毎日飽きもせず、着実に身に付けて帰ってくるのである。グローイングアップ。正直、勘弁してくれよと思っていた。このままではチャラくなくなってしまうじゃないか、あなたの魅力が半減もいいところじゃないか。
淡々とというか、本人はめちゃくちゃにしんどい思いをしているはずであるが、その辺りはよく分からないまま、次々に契約を取ってくる。何してんねん。おもろない、と思いながら、私は日々、その成果報告を聞いている。
「営業」、彼が得意なことはこれである。
それが好きかどうかは問題ではなく、得意であることは間違いない。なんだよ、つまらない。とんでもない才能を持っているじゃないか。とにかく彼はコミュニケーション能力、英語で言うところのインターパーソンスキルが高い。まぁ、チャラいとは往々にしてそういうことになるが、物怖じせず誰とでも話す。例え相手が外国人で、彼の英語(5歳児くらいと推定)がまったく通じなくても、ガンガンと英語で話す。言葉などは二の次で、愛嬌とノリだけであっという間に友達になっている。わー、チャラいと思っていた。このクソ大学生、と私は思っていたのであるが。
そして、彼は大人になった。顔つきが違う。表情が違う。
びっくりすることに、すべてが敬語になった、それも完璧な。
単なる田舎者で、初めて東京タワー見たー、初めて渋谷のスクランブル交差点を歩いたー、とついこの前まではしゃいでいたのだが、彼は東京という都会のど真ん中で、完全に脱皮した。気負い、衒い、そんなものがなくなって、身の丈にあった、というか、自身の言葉をきちんと発するようになっている。お父さんは少し感動しているのである。大学を休学してわざわざ東京に出てきたかいもあったというもの。この先、彼は就職活動に向かうわけだが、他の学生よりも頭一つ抜け出ている感じがある。非常に面白くない。つまらない。
「環境の変化は人を変える。変化のみが人を成長させる」。
このようなことを書かなければいけないのが、私はとても悔しい。なんだこれは。バックエンドで無限コンサル地獄にはめ込むための、自己啓発セミナーかなにかをやっているのか、私は。敗北感がすごい。
彼は自身の才能を開花させて、得意なこと、己の秀でたことを仕事にしている。
こんなことを書かされていることが我慢ならない。
彼は青年から、立派な大人になった。
この野郎。許さないぞ、私をこんなに恥辱にまみれさせやがって。
彼は自分自身を見つけた。
屈辱に打ちひしがれている私は、今から隣の部屋に行って、彼を殴り倒すつもりである。
毎日、お疲れ様。コーヒー飲む? アイギフトユー。