生きてることが最大の恩返し。
こんにちは。
ヒッチハイク🏎️とサイクリング🚲️で日本一周中の18歳アレンです!
今は、名古屋🏯にいます!
俺は、2024年ただひたすらに自分探しをした。ハーバード大学スピーチしたり、災害支援したり、富士山登ったり、選挙手伝ったり、日本一周したりして。
自分探しって答えが無いんです。
でも自分探しの中で自分の軸だったり譲れない美学は、見つけたかった。
だから、
とりあえず波に身を任せてみた。そして、最近九州一周の過程でこの1年いや今までの18年間の一つの答えっていうか、自分の軸が見えた。
俺に関わりがある人はみんな見てください。
そうでない人、自分に悩んでる人も見てください。
長尺ですので覚悟を持って見てください。
あなたの貴重な10分を俺にください。
九州一周の前に
まずは俺がどんな人なんか写真見て欲しい!
なんか、写真見たら凄そやろ!
でも!
俺は、18年間同級生の誰よりも【失敗】してきました!日本中探したらいるかもだけど、少なくとも俺の周りで俺より失敗しとる18歳はおらん!笑
人生かけるつもりだった大会はコロナでなくなるし、大事な大会でPK外すし、高校受験失敗しとるし、テレビでは振られるし、数学赤点取るし、バイト続かんし、コンテスト負けるし、正直いっぱいある!
けど、夢だけは大きかった。
ビッグマウスだった。
有言不実行だったけど、みんなが取らない選択をたくさん重ねた。だから決断力は、めちゃめちゃ強い。
何回も何回も上手くいかないことあったし、中途半端で逃げ出すこともあった。けどみんなが取らない決断を重ねたことでここまでこれた。
具体的には、
📍地元高校ではなく留学に強い往復3時間の高校進学
📍同学年800人の中、唯一の留学、高校休学
📍2度目の留学、研修 アメリカHarvard、mit…
📍日本の大学受けずに自衛隊受ける
📍自衛隊辞めて日本を知る旅
📍自転車とヒッチハイクで日本一周
📍ピッチコンテスト参加
全部90%が取る逆の道を取り続けた。
それが唯一の自分がここまで来れた理由。
そして今回、大きな挫折で
今までがゼロになった。リセットした。
実は、理想の自分になるためのスタートラインにすら立てていなかった。
けど、今回この挫折から
やっと
やっと
スタートラインに立てた。
そんな俺のターニングポイントが、
【東海学生アワード】
そしていま、九州一周で俺の人生は大きく動く。
奇跡の連続それが、
【九州一周】
どうぞお楽しみください。
やっと立てたスタートライン【東海学生アワード】
東海学生アワード
それは、
一言で言ったら、【変なコンテスト。】
(めちゃめちゃいい意味!)
いい大人が2ヶ月間、本気で学生たちと向き合ってくれる。学生たちが2ヶ月先のコンテストで悔いなく自分を出し切るために向き合ってくれる。だから、普通に怒られるし泣くこともあった。普段あんまり泣かないけど、最終日も本番も泣かされた。いや、泣いた。その時の悔しさとかいろんな感情が和えてできた涙だった。美しかった。こんな機会今までなかった。だから、これら踏まえて【変なコンテスト】だった。
コンテストで話す内容はなんでもいい。
だから最初は村を作るだった。
電気、ガス、水道使わない自給自足の村。
けど変えた。やりたくなくなったんじゃなくて、
村のその先をAWARDでは、とにかく求められてた。
今まで中間的なゴールで満足してたから、それから先の本当にやりたいこと。自分の軸を見つけることをAWARDでのゴールにした。
結果、本番前の10分にそれが出来た。
この2ヶ月間、本当に色々なことがあった。
愛知でメンターさんの選挙活動のお手伝い
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長野に行ってコミュニティの集まり、大工作業
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東京での出会い
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東京から栃木までヒッチハイク
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埼玉で一旦壊れる
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地元帰還
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ヒッチハイク名古屋
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沖縄
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名古屋
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淡路島一周
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アワード前日(0からスタート)
👇️
アワード本番(名古屋)
選挙活動、長野、東京、埼玉。
この期間は楽しかった。ただ、どこか心ここにあらずだった。その中途半端さを埼玉でぶつけられた。
一番リスペクトする人に。同世代の子に。尊敬する大人に。同じ旅人に。
【自分が自分に甘い】
これは違うじゃないって本気で向き合ってくれた。半年前の仲間だったら別にそれでいいじゃないって言うけど、この4人は違った。そんなんじゃいけないって教えてくれた。
でも、いざ言われた時は何も言い返せなかった。
その通り過ぎて。
あそこで初めて自分を知ろうと思えた。
大きなターニングポイント。
ありがとう。本当に。
そしてその後、沖縄、友達に誘われて淡路島一周もした。神社を全部巡った。
そして、その後また大きな出会いがあった。
俺が人生かけても守りたい人と出会えた。
AWARD期間中、東京で違うコミュニティの集まりがあった。
その人は東京で出会ったとき、笑顔がなかった。仲のいい友達だけにしか話してないから正直何しに来てるのかわからんかった。
で、少し心配だったから話した。居酒屋に行っても結構話して案の定、悩みを抱えていることは分かった。でも終電の時間近づいていたから一旦そこで別れるつもりだった。その人は夜行バスで。俺は公園で野宿のつもりだった。
けど、俺と話したいって夜行バスキャンセルして来てくれた。
結局雨で公園の野宿できなかったけど、コンビニのイートインスペースを貸してもらえて、そこで一泊した。
話を聞いているうちにその人が
【今に希望がない。生きてる意味がわからない。
だから死にたいけど、死ぬ勇気がないから死ねない】
そんなことを聞いた。
俺はそこまで落ち込んだことはないけど、希望を持てなくて何もできないような状態は昔あった。
だから伝えれることあるんじゃないのって思って、
夜中の11時から朝の6時まで本気で向き合った。
人生で一番人と向き合った時間。
そしてその人が最終的に【今を生きたい】そう思えるまで昇華できた。
それで、東京編は終わり。
その後ヒッチハイクで栃木のイベントに参加して、埼玉の皆野で3日4日過ごした。
埼玉は来たかったけど、具体的に何がしたいとかなくて、それを指摘された。
中途半端だった。
同級生の女の子に。尊敬してる先輩に。
もしかしたらアワードから逃げていたのかもしれない。とにかく自分に甘いことを怒ってくれた。このままじゃいけないってこと教えてくれた。
今までの身の回りの人だったらそれでいいよ。って言ってくれるけど、今の仲間たちはそれじゃダメだって。葉っぱかけてくれた。
尊敬する人とか同級生に言われるとは思ってなかった。だから刺さったのかもしれない。
あそこはあそこでターニングポイント。
ちゃんと壊れた。だから良かった。ありがとう。
その後栃木の地元に帰り、またゼロから自分を作った。そして名古屋に戻って沖縄に飛んだ。
コミュニティの集まりがあった。沖縄で。
すごい楽しいかった。
東京で出会えた子とも何日か旅をした。
でもまた会った時沈んでた。だから何日かけて変わってほしかった。いろんな話ができて面白かった。
辛いことがあっても前を向く。その人の姿は本当にかっこよかった。常にチャレンジをしていた。何回も泣いていた。でもこうやって這い上がる。
その姿勢が好きで、俺も勇気をもらえた。
彼女に俺が一貫して言い続けてること。それは
【生きてることが最大の恩返し】
生きてるだけで誰かの光になってる。少なくとも彼女の努力する姿勢は俺の光だった。今年フィリピンのスラム街とか孤児院とか行って生きてるって本当に偉いんだって思えた。
生きてることが最大のチャレンジ。
みんなチャレンジャー。
彼女にはその言葉を伝えた。
その後は一人で旅をして島に行ったりしてた。
そして名古屋に帰って、何日かしないうちにシェアハウスに住んでいる友達が淡路島行くって言って急遽行くことになった。
その子は、歩いて淡路島を一周するって言ってた。だから俺も同じルートではできないと思って。ママチャリ借りて逆走で一周することにした。
2日かけて野宿して1周して回りきれた。
正直自転車だと楽っちゃ楽。だから全部の神社を回ることに決めた。ちっちゃい神社含めたら50以上あった。ちゃんと全部回った。神主さんと仲良くなったり一番行きたかったイザナギ神社にも行けた。あと、途中で立ち寄った美術館で親父の絵があった。話を聞いたら10年前にそこで書いたらしい。
そんな素敵な縁が溢れた淡路島1周だった。
そしてその後アワード前日。
自分が今まで経験した全てで話そうと思った。
正直、完成は全然しなかったけどぶつけてみた。
メンターにそしたらめちゃめちゃ壊された。
今の行動は今の年だから許されるけど、それは何歳たってでもやってたら中途半端で尊敬できないと言われた。
本番当日午前3時に夢がなくなった。
もちろんプロジェクトもなくなった。本当に0からスタートした。そこから1個1個作り出してメンターさんと違うメンターさんといっぱい話して、それでやっと完成したのを本番で壊した。
本番10分前に壊した。
これが自分の100% って聞かれて多分違かったから、今までのを一旦忘れて自分の言葉で話してみたら自然と涙が出てきた。だからその言葉で喋った。今に希望が持てない。そんな若者が溢れてる。日本が嫌いだった。日本が好き。だからこそその豊かさが伝わってないし、帰れる場所であるのにそこから逃げようとしようとしている日本人が多くて、そこが悔しかった。
その内容で本番も喋った。けど負けた。
正直、次のステージに立てなかったことが悔しかった。今まで頑張ってきた友達がステージの上でまた話せる機会をもらった。それが本当に悔しかった。シンプルに喜べなかった。そんな自分を嫌いだった。そして不完全燃焼もあった。
伝えたい人には伝わったと思うけど、もっといろんな人を巻き込みたかった。その機会をもらえないって思うとそりゃ悔しい。
結果論
負けた。
賞すら貰えなかった。
負けたけど得れたものはたくさんあった。
でも、だからといって
それを美学にしたいとは思わない。
そんな薄い感情じゃない。悔しかった。
所詮コンテストだから勝ち負けはある。
俺は負けた。
この悔しさが九州一周というプロジェクト。それを生んだ。
初めてだらけの九州
九州一周。
今年に入るまで西日本に足を踏み入れて来なかったけど、なんと今は九州一周している。
もちろん初上陸。
東京で出会った子と一緒に名古屋から熊本まで行った。熊本で俺の所属しているコミュニティの友達がクリスマスマーケットを出店している。
それをちょっと見に行った。
ちょっとだけ手伝った。
そうして2、3日したうちに鹿児島へ向かった。
九州一周は下道をメインに行こうって思ってた。
国道ずっと海沿いを南下した。
最初は【どっか連れてって】のカードをぶら下げてヒッチハイクをした。
そして連れてってもらった場所は天草。天草で美味しい食べ物を食べて1日観光に付き合ってもらった。
その後ネットカフェに行ってその日は順調だった。
次の日は大雨で、そもそも動けない。
雨よけれるところで朝からヒッチハイクをしたけれど、もちろん捕まらない。
だから何分も歩いた。びしょびしょになりながら。
そして午後3時からスーパーに場所を変えてヒッチハイクをした。
そしたらそこですごい出会いがあった。
スーパーでも2、3時間捕まらず途方にくれていたがある女性がポンって1万円出してくれた。
あまりに突然の出来事だったから、話を聞いてみようと会話をしたが、思うようにコミュニケーションが取れない。
実は耳が聞こえない女性だった。手話でなんとか会話して、困った時はお互い様って言って渡してくれたらしい。
これこそ助け合いだなって思った。いろんな人に助けてもらったことがあるから、その恩を他の人に回す。これこそまさに恩送りの助け合いだなって思った。
この出来事から、俺は日本一周のテーマを恩送りの日本一周にしてT シャツを作った。
ヒッチハイク乗せてくれる人とかはほとんど見返りを求めずに乗せてくれる。なぜなら自分がそうしてもらった経験がある、助けてもらった経験があるかららしい。今いろんな人に恩をもらってそれを東京で、出会った子を救えたように、いろんな人に回してる。この恩送りのきっかけをいっぱい作りたいと思って今旅をしている。
そしてその後うちの母親と同じくらいの人が国道沿いのコンビニまで送ってくれた。そこで、また何台か乗り継ぎして最後にあるおじいさんが乗せてくれた。もちろん、食べ物とか宿はその日次第。そのおじいさんは寒いからと言ってビジネスホテル代を出してくれた。半年以上旅をしているけどホテルに泊まったのは初めてだったから最高でした。
半日以上捕まらなくて今日はダメかなって思ってたけど、そういった出来事があったから、その日は本当に幸せな日でした。
そして、また色々な人との出会いを得て、ついに鹿児島に上陸した。鹿児島に着くまでに2、3日かかった。素敵な農家さんに出会ったり、コインランドリーで野宿したりたくさんあった。
なんやかんやで。鹿児島へ上陸して。桜島をおすすめされた。だから上陸した。フェリーで。
せっかくの機会だったから桜島も一周した。
その後は雨が続いたので、日本一長い商店街、天文館で2日過ごした。ほぼ何もしてない。作業しかしてなかった。あ。でもジムは行った。
その後、鹿児島の桜島サービスエリアから長崎へ向かった。もちろん、夜はつかまらなくて、サービスエリアで野宿した。寒い真冬で野宿は本当におすすめしない。けど、この後も何度か野宿した外で。
宮崎から熊本を抜けて。福岡佐賀、そして長崎に入った。この長崎とんでもなかった。
長崎で人の死に触れ合う機会
長崎は歴史的な名所が多くて色々な観光地に最初は行った。1日目はスタジアム、原爆資料館、平和公園、グラバー園とか。
原爆資料館。今まで行ってみたいと思ってたけど、距離が遠いのもあるし、悲惨な現実を学んだりしたくないていう。ちょっと逃げもあってなかなか行けていなかった。でも今回は導かれた気がして行った。せっかくだから音声ガイドをつけて。
正直、原爆資料館は被害をやんわりとしか伝えてないと思うけど、知ろうと思えばめちゃめちゃ資料あった。そういうのを目の当たりにして、言葉を失った。一瞬で14万人が亡くなった。この戦争の悲惨さ。そしてそれを忘れてしまってる。自分たち。胸が痛かった。
被爆者のある一言が、俺に刺さった。
平和の原点は人の痛みのわかる心を持つこと
俺らって今、その痛みのわかる心持ってるのかな。
少なくとも俺は逃げてたかもしれない。悲惨さから目を背けてたのかもしれない。だから俺は行った。ここは全人類行くべきだと思う。少なからず、被爆者の痛みはわかるから。
あの人たちが必死で生きたかった明日が今日だ。
先人たちがあるおかげで今の自分たちがある。
平和公園で今までの先人への感謝を祈り、次へ向かった。
その日はスタジアム、グラバー邸、めがね橋へ行き、次の日軍艦島に渡った。
軍艦島は、雨の日は上陸できない。けどその日は晴れていて上陸できた。常に風化で壊れていく軍艦島。
今日が一番新しい。
まさに人生と同じ。
軍艦島をクルーズで楽しんだ後は出島に行き、佐世保を目指した。この時、乗せてくれた人が凄く気さくな方でお家に招いてくれた。半年間旅しとるけどシェアハウスとかゲストハウス、友達の家以外泊まったことがなかったのでとても楽しかった。地元の方ならではの情報。そして地元の料理。とにかく最高だった。
そして次の日。
この日が一番のハイライトかもしれない。
俺は長崎市から佐世保市まで海沿いの外回りで回った。海鮮市場からヒッチを始めて。
はじめに乗せてくれた人は船舶の売買してる会社の社長。島原地方を真っ直ぐ進んでいたのでキリスト教関連の遺跡をたくさん案内してもらった。そして、ご飯をご馳走してもらって道の駅で降ろしてもらった。また、道の駅ではスタッフさんが
【うちの息子と一緒やけん】と言って、
お店にあるパンを全部買ってくれた。メロンパンは3
個くらいもらった。
その後乗せてもらった人。めっちゃおもろかった。
地元で瓦屋さんやってるおじちゃんにめちゃめちゃアピールしたら乗せてもらって瓦屋の手伝いしたり、山行ったり、海行ったり、ずっと遊んでた。
お互い災害支援行ってたことでも盛り上がった。
瓦屋の手伝いの後、
そのおじちゃんが見せたいことあると言って急に山に連れてかれた。そして山で下ろされて、下まで歩くぞって言われてトンネル歩いた。ライトない歩行者専用のトンネル。一瞬、そういうことか、死んだと思ってそのトンネルを歩いた。
歩いてるうちに光が見えて安心した。
そしてトンネルを抜けた。
そしたらめちゃめちゃ綺麗な景色が広がってた。
うん。ただのいい人でした。
その後おじちゃんと海に行ってご飯食べて旧日本軍の遺跡など巡りました。ガイドさんみたいに詳しく教えてくれてずーーーと面白かったです。
おじちゃんに佐世保まで連れてってもらった。
そして。
この次に乗せてもらった人は、
一番印象に残ったそんな人でした。
実は前日、友達から
(せっかく九州いるなら知覧の特攻行きなよ)
そう言われて二つ返事でokした。
しかし、調べてみたらそれは鹿児島にあった。長崎におるからそれは無理だと思ったが、実は長崎の佐世保に海軍の特攻石碑があった。
そこを目的に進んだがこの日、間に合わないなって思って諦めて佐賀に進もうとした。
商店街近くでヒッチしてる時、ある男性が車を止めてくれた。聞くにその人も日本一周しているらしい。車で。
次のコンビニまでの予定が話が弾み、その人の経営してるキャンプ場貸してもらえることになった。
そこに向かう途中、ふとした瞬間、ある看板が俺の目に入った。
【特攻石碑】
その瞬間、俺は運転手さんに車を止めてもらいそこへ向かった。
一つの石碑に刻まれていたのはおびただしい数の人の名前。全員殉死した先人だった。
数え切れない人の名前の数。
言葉を失う。
特攻。
自分の命を使ってでも未来に賭けた。
その覚悟たるものが石碑越しに伝わった。
自分と同世代あるいはそれ以下がその決断をしてる。今の俺たちがあるのは全て先人たちのおかげ。
【Butterfly Effect 】
誰一人、一つの決断、一つの行動。何か一つでも欠けていたら今の自分はいない。
そんな奇跡に心打たれ、先人たちへの尊厳と感謝を言葉にまたその場所も後にした。
実は、この日の奇跡はこれがMAXではなく始まりだった。実は運転手さんが経営してるキャンプ場隣に、旧日本軍の秘密基地がある。しかも人間魚雷(海軍特攻部隊)の発射練習場があった場所だ。
せっかくの機会、君にぜひ見てほしいと島を案内してもらえた。また、寒そうだから家においでよと言って泊めさせてもらえた。
家への帰りの道中、
特攻に対する思いや俺の日本一周への思いを聞いて、泣きながらあることを話してくれた。
【僕たちが日本一周している理由は、生きる希望を見つけるため。数年前、大切な子どもが事故で亡くなってる。その時の心のダメージが今でも残ってる。あの時、何もかも失った気がした。自分たちも死ぬ一歩手前だった。ただ、今を生きることが娘にできる唯一のことだと思った。あの時、死にたいと思った時、旅を始めた。そして、その旅での出会い、一期一会が生きる光を与えてくれた。】と。
俺も自然と涙が出てきた。
俺は丁度、【恩送りの日本一周】をテーマに旅をしてる。何度も危ない目とか辛い経験、ハプニングがあるけど、その度に色々な人に助けられた。
そして今、その恩をちょっとずつだけど
【生きてることが最大の恩返し】と言う言葉を通して実際に自分の言葉で救えた人もいる。
色々なことが重なって俺が東京の子にかけた言葉をかけることが出来た。
【生きてることが最大の恩返し】
東京の子は、彼女が頑張ってる姿が俺の光になっていた。長崎で出会ったこの夫婦がいたから俺はその日、生き延びられたし特攻にも行けた。
生きているだけで色々な人に恩返しができてる。
生きてるだけでえらい。
生きてるだけで誰かの光になる。
彼らと話して生きることも大切さを思い出せた。
最後の方はお互い泣いてた。
心の底から出会えて良かったと言われた。
本当に最高の出会いだった。
ご飯も一緒にお寿司屋さんに食べに行って、
夜はお互いの好きな曲をTVで流して笑って過ごした。
次の日、朝早くに出て昨日行った特攻の遺跡を見に行った。
島を一周した。
そしたら凄い気づきがあった。
魚雷倉庫の中にある一本の木。
とてつもない生命力を感じた。
思わず手を触れた。
今日っていう日は、先人たちがどうしても生きたかった日だったんだと改めて気づいた。
そして山を登って見ると山の頂上にも生命力溢れる木があった。
一本だけ葉っぱの色が黄色な木があった。
木に触れたいと思うが周りは、土手や他の木々に囲まれて触れづらかった。
この2本の木に先人たちの思い、
希望が詰まっていた。
思いは伝わる。
ふとした出会いから始まったこの遺跡巡り。
とてつもないパワーをもらえた。
そして遺跡を後にし、運転手さんとも別れ、
佐賀へ向かった。
身体の限界
佐賀へ入ったくらいから丁度、体への違和感が増した。急に腕が上がらなかったり、頭が痛くなり、意識が飛ぶこともあった。佐賀から大分まで2週間くらいこの違和感は続いた。
地元の方にレストランに連れてもらう機会が増えてご飯を一緒に食べるのだが、途中意識が飛んで飲み物を倒したり、こぼしてしまうことが何度かあった。
原因は、偏る食事と不安定な睡眠、筋トレし過ぎたことだと思う。
コンビニでヒッチハイクすることがほとんどなので必然的にコンビニ飯が増える。栄養素は、取れてるはずだが、どうもコンビニ飯ばかり食べていると体調が不安定になる。
また、その日次第なのは飯以外には、泊まる場所も変わる。野宿、コインランドリー、ビジネスホテル、ネットカフェ、地元の方の家等々。
中でも一番多いのは快活クラブの飲み放題席、見ての通り椅子と机だけなので朝起きると必ず何処かしら凝ってる。
そんな体の痛みと戦いながら、休みたい思いを殺し前に進むしかなかった。
佐賀では2日間過ごし、福岡の久留米へ行った。そしてそのまま福岡入ろうと思ったが佐賀でバルーンフェスタがあるらしいと聞いて、急遽戻ることにした。そこでもたくさんの出会いがあり、素敵な地元の方と時間を過ごせた。
朝5時半から気球に乗るため並んだが、
風強くて乗れなかった……
そして、七時からヒッチハイクを再開して福岡へ向かった。
その日は太宰府へ行き次の日、宗像大社へ行った。
そしたら早速素敵な御縁があった。
宗像大社でカードを掲げて数十秒、ある方が泊めてくれた。乗せてくれたのはアスパラ農家さんの女性二人。話が盛り上がって一緒にご飯食べに行ったり、家に泊めさせてもらえた。すごい素敵な家でイルミネーションが綺麗だった。トイプードルのワンちゃんがすごく可愛かった。
占い師の母から教えてもらったタロット占いで人生占ったり夢を語り合ったり、すごい楽しい1日だった。
彼女たちからも色々な刺激をもらえ、0→1の農業する。その凄さ、そして自分ができることがあるんじゃないのかという起業のアイデアももらえた。
次の日は福岡の博多でコミュニティのメンターというか担任の一人とフィリピンのセブ以来に出会えて博多ラーメンとか食べた。久しぶりの再会で嬉しかったし、やっぱり面白い人だった。
次の日、大分へ向かった。
新たな光
福岡の高速に乗せてもらった人に大分まで連れてってもらい、実際泊めてもらえた。一番有名なひょうたん温泉に入れて体は回復した。
また道中その人とその友達との会話で夢を追うことの大切さを再確認できた。人間、以外と逃げちゃうけど、逃げ道を防げは覚悟が生まれる。何にだってなれる。だからお互い頑張ろうと胸を張って誓えた。
次の日は1日中地獄めぐりをしていて、道中日本一周中の女性や地元のばあちゃん、アメリカ人のイケメン君とかいろんな人と仲良くなれたし、地獄めぐりをやってこれた。
何事も中途半端を止めてやりきれば半端な人間になれる。今回はやりきれた。地獄巡りもそうだし、九州一周も。
もともと日本が嫌いで海外の大学受けたり、留学したり、海外に何度も行ったりしたけど、こうやって日本一周をして日本の良さに惹かれて今、それを世界中に広めたいと思える位になった。
ずっと日本が嫌いだったけどみんな夢とか希望がある。前を向いている人が多かった。関わってる人が特に。
そんな人と出会える。日本がやっぱり好きだ。
日本の未来に希望を持てた。
そしてみんなのためにも俺がまず誰よりも挑戦する。そう決めた。
恩送り。
いろんな人から恩をもらった。
今度はそれを返す番。
九州一周最高だった。
人が最高だった。
いろんな意味であったかいそんな場所だった。
伝えたい思い
俺は、こう見えて自信がない。
人の目を気にしてしまう。
プレゼン!とかスピーチ!とかは緊張はあんまりしないけどそれはもう、そういうモードっていうか割り切れる。
人と話す時、俺は目を見て話せないし周りを伺って自分を出せない時がある。
素っ裸の状態でどれだけ前に立てるか。
その経験をどれだけ積めたか。
成功体験を積む。
誰にも負けないキラーカードを持つ。
自信をつける方法は、たくさんある。
今は、成功体験でしか自分を誇れない。
そこが課題。
行動の原理は自信じゃなくてワクワク、ドキドキ。
自信がなくてもなんかできるかもって言う思い。
この間、東京で話した友達が
【自信なくても良いんじゃない?】
って言ってた。
(俺は俺に自信がない。けどそれはそれでいいと思う。自信ある人は良くも悪くも自己改善が鈍るから。少なくとも俺は自信がないことで自分をブラッシュアップできるんだ)って。そう語ってくれた。
確かに俺は自信がない。だからこそ自分を成長できる。色んな人とと出会うこと話すことが俺にとっては一番の成長になってる。
だからこそ工藤新大としてどう戦うか。これからの四国一周。お遍路通して自分と戦ってく。
いま、お遍路すごいワクワクしてる。
俺は挑戦してくよ。行動でも。自分自身、思いに対しても。
この間、九州一周終えて名古屋のプレゼンもやり切れた。そして次の日東京へヒッチハイクしてイベントにも参加できた。そして昨日、東京から名古屋来れた。(ヒッチハイクで)
明日から四国向かう。
なんとなくじゃなくて今は自分の軸で行動できてる。
待ってろ四国。
この大移動の道中。四国の石鎚山で野宿したのだが、朝起きたら髪の毛が凍ってて寝袋から出るのも必死だった。本当にあとマイナス5度低かったら死んでた。
今年いろんな場面で人の死に触れる機会が多かった。そういった思いがあるからこそ、みんな生きてて偉いと思う。
生きてるだけでチャレンジャー
みなチャレンジしてる。こういった奇跡の集まりで明日がある。
今日は昨日死んでいった人がどうしても生きたかった1日。
今日が一番若い日。
日本と海外で行くことによって気づいたことがたくさんあった。
日本人は色がない。色が一色に見える。
世界はカラフルに見えた。
これは日本人が固定概念という色眼鏡で世界見えてるのかという自分なりの仮説と、生きるが軽視されてるな。ありもしない未来の不安で生きてるのが今の日本人だと思った。
日本人は自分vs世界(社会)で世界にフォーカスが当たってるからその色にしか見えない。
けど、海外は自分vs世界(社会)で
自分にフォーカスが当たってるから、個性豊かでカラフルに見える。
この違いは反対なだけ。シンプル。
これが変わる方法って意外と簡単。
【今を生きてるか。】
今日誰のために生きるのか。
今にフォーカスする。
その一歩一歩を積み重ねで素敵な未来は待ってると思ってる。
【Butterfly Effect 】
中国で蝶が羽ばたけば、それが巡り巡ってアメリカでハリケーンが起きる。
今ちょっとでも頑張れたら生きれたらそれが巡り巡って世界を変える。自分を変える。
だから一歩でも自分のベストを尽くしてみよう。
ありがとう。生きててくれて。
僕の原点である2つの動画
一番好きになった動画みんな知ってるかもしれないけど、この機会にもう一度見直してみて。
【スティーブジョブズ。スピーチ。】
いまの俺が、自分に色を持ち始めたきっかけ。
孫さんのこの言葉があったから。
【夢を大きれば大きいほどいい】
みんなこの機会に夢を作って欲しいし、俺に語ってほしい。
生きてることが最大の恩返し。
人間、生きてるだけで誰かしらに関わってるしそれが誰かの希望になってる。
工藤新大。あなたの人生にこの名前が少しでも希望になるように俺は前を進んでく。
人間に与えられた唯一の平等。
それが死。
【一度きりの人生あなたならどう生きますか。】
世界はシンプル。
【あなたという希望で世界を変えてください。】
【生きてることが最大の恩返し】
12000文字。こんな長文ありがとうございました。
いつかまた地球のどこかで会いましょう。
あなたのいいねが励みになります。
ありがとうございましたああああああああ!!!