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愛想笑い、いつまで続ければいい?


「いつもニコニコしてますね」とか「楽しそうですね」と言われることが時々あるけれど、私の場合はその8割が愛想笑いだ。

高校生の頃、友人と戯れ合って頬っぺたを摘みあっていた際、私の頬があまりにも横に伸びなくて「固っ!」と驚かれたことを思い出す。
同時に、その友人に「いつも愛想笑いばっかりしてるからじゃない?」と冗談っぽく言われたことも思い出す。

関わる人全員と仲良くなりたいとか、良い人だと思われたいとか考えているわけじゃない。
同僚や上司や、それほど親しくない人と話す時は、自然と微笑んでしまうのだ。

そんな私には、他人には少し言いづらい、ちょっと恥ずかしい癖がある。
それは、歯磨きをした後や顔を洗った後など、ふと鏡に映る自分を見た時に笑みを浮かべてしまうことだ。
もちろん、職場や商業施設の化粧室など、他人の目がある所では絶対にしないけれど。

自分の真顔は可愛くなくて、笑っている時は比較的マシだと思っている。
だから、それもあるのかもしれない。

愛想笑いを続けているうちに、自分が心の底から笑えている瞬間というものがわからなくなってきた。
笑顔が平常運転の私は職場などで他人と言葉を交わした際、その人の目が一切笑っていないと若干不気味に感じるが、相手からしたらいつもヘラヘラ笑っている私の方がおかしいと思われているのかもしれない。

それでも「ああ、今私は心の底から笑えている」と感じることも沢山ある。

唯一「友達」とはっきり言うことが出来るMと他愛もない話をしている時。
笑えるアニメや映画などを観た時。

仕事や人間関係など、大人は考えなければならないことが多いからか、心の底から笑う機会ってあまり無いんじゃないかと思う。
「そんなことない」って言う人も、子供の頃と比べたら、本当に面白いことって減っているのではないか。
結婚したり子供が産まれたりして、心から笑う機会がまた増えてくるのかもしれないけれど。

笑いながら死にたい。
突然車に轢かれたとしても、ナイフで刺されたとしても、闘病の末に病院で亡くなるのだとしても、最期の瞬間は出来る限り笑っていたい。
死ぬ瞬間に笑っていたとしたら、死んでから暫くしたら、次第に笑顔は消えていってしまうのだろうか。
もしそうなら、私が入った棺桶の蓋が閉められる前に、誰か私の冷たくて固い両頬を引っ張って笑わせてほしい。

.......なんて、そんな不謹慎なこと誰にも頼みたくはないけれど。

そんなことを考える今日この頃。

毎日頑張って生きてる人の大半は、愛想笑い仲間だと私は思っている。
今日も愛想笑いお疲れ様でした。と心の中で呟いて、家に帰って真顔に戻って、お風呂に浸かって晩ごはんを食べた後はYouTubeでも観て思いっ切り笑いたい。

愛想笑いの地味なストレスは、心の底から笑うことでしか解消されない。少なくとも私の場合は。

顔に出して笑えない場合は、心の中で爆笑してみる。
そうやってまた明日からの一週間を乗り越えていくのです。

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