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サッカーの行き止まり感

最近ハマっているPodcast「スポーツが憂鬱な夜に」というラジオ番組があります。


そこで第何回目の放送か忘れましたが、「現代サッカーは行き止まり感がある」という表現をされていて、すごくしっくり来た覚えがあります。

以下、ラジオ内の発言ではなく、自論です。(ごめんなさい、サッカー好き以外の人にとっては、なんの話?という感じですが・・・)

ペレとマラドーナがこの世を去り、あのメッシが唯一手にしていなかったW杯優勝というタイトルをようやく勝ち取り(2022年のカタールW杯決勝対フランス戦はドラマ過ぎるでしょ。。)、何十年という時代の流れの中で様々な戦術家たちが様々なシステムや戦い方を追求し続け、
なんかもう、もし「サッカー」という映画があるとしたら、そのひとつのエンディングを見終えたように思ってしまっています。
もうこれ以降サッカーが発展していくとしたら、ひたすらフィジカル能力を上げて選手一人一人がアスリート化していく、言うたらアメフト選手のような人たちがサッカーをするチームが勝つ時代になっていくのかと思います。実際にいま世界最高プレーヤーといえばパワー、スピード、テクニックと言うとてつもない身体能力を兼ね備えたエムバペ。。

商業的にも、スポーツの醍醐味である現地観戦のチケット代よりも遥かに高額な「スポンサー」「放映権」「移籍金」といったとんでもない金額が動くようになり、いつのなんのブログだったか忘れてしまいましたが佐伯夕利子さんのブログに「我々はあと何発の花火をスタジアムに打ち上げたら良いのか」というショービジネス化している現代サッカーを憂う表現もあり、色々と時代の潮目に来てるんだということを考えさせられます。
テクノロジーの進化でいくと、VARが最たる例かとは思いますが、VARについては近い将来、廃止になるんじゃないかなと言うのが希望的観測です。

表現が正しいか分かりませんが、イギリスの産業革命、日本の高度経済成長時代のように、上を上を目指し続けていくことで、全体が発展していくという構図は行き止まりに到達してしまったのかなと思います。

だから自分はどちらかと言うと、勝ちを求め続けていくピッチ内のことよりも、サッカーがあることでどうして人は豊かになれるのだろう、サッカーは人々の日常にどんな影響を与えているのだろうといったピッチ外のことに最近は目が行くようになってきました。

ロナウジーニョや小野伸二に魅了されてサッカーにのめり込んでいった自分にとっては、もちろんサッカーが好きという気持ちに変わりはありませんが、当然寂しさもあります。。。
けれどなんだかんだあっちに行ったのかこっちに行ったのかひたすらボールの行方を追いかけている今日この頃です。

P.S
ちなみに昨今耳にする「現代サッカーにファンタジスタの居場所がない」というテーマに関しては、「サッカー店長の戦術入門」と言う本が自分の中のモヤモヤ感をものすごく言語化してくれていました。


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