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マネーゲームの終わり

マネーゲーム(ビジネスゲーム)の終焉は、すなわち自我が作り出した思考体系の終焉とも言い換えることができるでしょう。


自我が作り出した思考体系(世界)におけるお金にまつわる設定は以下のようなものがあります。


【自我によるマネーゲームの土台となっている考え方】


・欠乏、必要、手に入れるという考え方

・与える=犠牲、減る、なくなるという考え方


ここにさらに労働という意味でのビジネスゲームも絡んでくると、

・何らかの条件を満たした者がお金を得る。という。「条件(制限)」という発想も生まれてきますね。

そして、その土台には「限りある」という考え方があるでしょう。

また、物理的な紙幣やコイン、

数字などとお金が結び付いており、「交換」や「対価」という考え方を信じていたりするでしょう。


対して、リアルワールドでのお金(豊かさ)は上記と全くの正反対で、知覚が転倒しているときに言われてもあまりピンとこないことが多いかと思います。


リアルワールドは、想念(エネルギー)の世界だと考えるとわかりやすいかもしれません。


・無制限、無条件、無限大

・欠乏ではなく、充足

・不完全ではなく、完全


こちらは、自我による「与えるとなくなる」という考え方とは正反対で、「与えるものを受け取る」という基本原則に基づいています。


この、与えるものを受け取るというのを、まだ自我の思考体系を信じているときに聞くと、物理的なお金を寄付すればいいのかとか、具体的に誰かを助ければいいのかとか、どうしてもそのように聞こえてしまうのですが、あくまでもこれは想念(エネルギー)の話なのですね。


ですから、「こだま」をイメージしていただいた方がわかりやすいでしょう。

山の山頂で「ヤッホー」と叫ぶと、周囲に反響して「ヤッホー」という自分の声が返ってきます。

ここでいう、与えるものを受け取るというのは、こういうことを言っています。


そして、想念には限りがありません。事実上、無限だと言えるでしょう。


また、想念自体は「なくなる」ということはありえず、そこら中に満ち満ちているとも言えますね。


あなたがもし、「欠乏」「不足」を体験しているとしたら、それは実際に起きていることではなく、自我の思考体系の夢の中でそのように「知覚」していると言い換えることができるでしょう。

つまり、どれだけそう「知覚」していたとしても、それは実際の有り様とは異なるということです。実際には、「起きていない」ということです。


信じているものを見ているのです。


そしてこの「信じているものを見ている」というのは、
与えるものを受け取るという言葉を言い換えたものだということができます。


私たちが「欠乏」を知覚しているときというのは、物理的にお金が見えないことや、銀行残高の数字が少ないということを表しているかと思いますが、それはあくまでも、自我の思考体系が映し出している夢にすぎません。

「欠乏」の象徴として、あなたが納得できるような映像が映っているのです。


そして、それには自分が何らかの条件を満たさなかったから、あるいは何らかの罰という知覚として感じられることと思います。


つまり、自分は豊かさにふさわしくない、あるいは、なにか過去に罪を犯してしまったからという観念と結びついていたりします。


ですがそれらは、あくまでも自我にとってのリアリティにほかならず、夢の中で「あたかも実際に起きているかのような」知覚をしているだけです。


しかし、それはあくまでも夢ですし、思い込みにすぎませんから、別にそうである必要がないのです。

あなたは別に「欠乏」を体験する必要がないのです。
(というより、実際には体験していません。)


そして、本当のところは、あなたはお金の欠乏を感じているというよりは、「満たされない」「自分にはなにかが欠けている」と信じており、その象徴として金銭的な欠乏(という知覚)を作り出しています。


そしてこの「満たされない」「自分にはなにかが欠けている」という知覚は、「愛を感じられない」という嘆き、言い換えれば、「愛を求める叫び」とも翻訳できます。


愛は、喜びや平安、笑い、幸せなどと言い換えてもいいでしょう。

そのようなものが、今の自分にはない(感じられない)という心の渇きを欠乏感として知覚しているのです。


ここで、基本原則を思い出してください。

私たちは「与えるものを受け取り」ます。

こだまのように、自分から発振したものが跳ね返ってきたものを認識して、「受け取り」ます。

ということは、愛を感じられないとき、あなたは愛が自分の中にあり、自分が愛そのものであるということを、一時的に忘却している状態ということです。

あなたが、愛以外であることは不可能なので、あなたが愛を発振していないということではなく、忘却していると表現するほうがふさわしいでしょう。


忘却して、さらに自分がなにか愛以外のものであるかのように錯覚してしまっています。


頭がこんがらがってきましたか?

お金の話を聞きたかったのに、愛について語られて困惑していますか?


とてもシンプルな話ですよ。難しく考えずに、シンプルにとらえてみましょう。


あなたは愛そのもので、愛以外の何かになることができません。

つまり、あなたは常に愛を周囲に発振しています。愛で満たされています。つまり、あなたは本来「欠乏感」を感じることなどできません。

あなたが「欠乏感」を感じているとしたら、それは本来の自分ではない偽物の自己像を自分だと信じてしまったからにほかなりません。

ですが、それはあくまでも「知覚」の話であり、あなたが愛そのものであるという事実に影響を与えることはありません。

あなたが愛そのもので満たされているとしたら、あなたは「欠乏感」を感じられない。

つまり、その満たされた感覚は周囲に反響し、あなたはそれを「豊かさ」と知覚します。

そこには当然ながら、金銭面での豊かさも含まれますよ。

そう「知覚」されるのですから当然ですね。


であるならば、あなたが金銭面での満足感を感じたいのであれば、まずはその「欠乏感」の由来が「愛の欠乏感」であることを知り、自分は愛を求めていたのだという自分の本当の望みに気づくことです。

そうすれば、問いはすこぶるシンプルになります。

「私の望みは、愛を感じることだ!愛をもっと感じたい!」

愛そのものであるあなたにとって、これほど簡単なことはありませんね。その望みは一瞬で叶えられるはずです。

そこからは…。何度もいうように、「与えたものを受け取る」という基本原則に従って、あなたから放たれた愛で世界が満たされ、あなたはそれを受け取ります。

かくして、あなたは「満たされた世界」を知覚することとなり、それは世界の構成要素である金銭状況にも反映されることとなるのです。


The End of Money&Bussiness Game

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