海外獣医志望のアメリカ大学留学戦闘記録 〜前編〜
こんにちは、あらめんです。
僕は獣医を目指して大学〜大学院までアメリカ留学し、現在はアメリカの動物病院で働いています。
学生生活が落ち着いたので振り返りの記事を書こうと思っていましたが、気づけば卒業してあっという間に4ヶ月。
すっかり社会にもまれて忘れそうなので、なんとか勢いで書き終えました。
テーマは“4年間のアメリカでの学部生活”です。この記事では1〜2年生のことを書いていきます。
大学を選んだ経緯
まず、僕がアメリカの大学に行くことにした理由ですが、とてもざっくり言うと“アメリカの獣医大学院に入るため”です。
なので、アメリカの大学に留学して卒業する!がゴールではなく、ゴールへのチェックリストの1つでした。
まず、大学入学にあたり一番最初に考慮したことは
「その大学に入ることで獣医大学院に入れる確率が少しでも影響があるか」です。
なので大学を選ぶ際の前提として、International studentを取ってくれる獣医大学院があるところに絞りました。
例えば、大学院4年次の実習で在籍していたUniversity of MissouriはInternational Studentを受け入れていないので、大学進学では対象外となりました。
あとは、獣医大学院に入るのに一番大事なGPAを高く取れそうなところ(こればかりは他の大学と比べるのが難しい為わかりませんが)
仮にUniversity of CaliforniaやUniversity of Pennsylvaniaのようなトップクラスの一流校から学部生から行きそのまま大学院に行けたら夢のようだと思いましたが、自分の学力を冷静に考えた時、比較的田舎の総合大学の方が可能性が高いと思ったので、地方の大学に進学することを決めました。
そもそもUCやIvyのようなトップスクールに学部で入学できたとも思えませんが、選択肢としてUC進学率が高いCommunity College(単科大学)で2年学び、U Cなどのトップスクール編入を目指して頑張る、というプランもありました。ですが、4年間の総合大学での経験に価値があると思ったので選びませんでした。
ということで、ご縁もあったのでカンザス州立大学(Kansas State University)に進学することにしました。
学生生活4年間は大学院合格するために必要な準備期間、という認識であったので必要条件や合格者平均と常に睨み合いでした。
例としてカンザスの合格者平均を載せておくとわかりにくいですがこのようになっています。
大事なのは
平均理系GPA 3.68
最後45クレジット(大学3−4年生時 )GPA 3.82
在学中平均獣医(動物)経験 2200時間
です。
つまり理論上は大学4年間で上記の項目をクリアしていれば合格者平均に乗るので受験戦争に参戦できる、ということになります。
多少の上下は加味されると思いますが、例えばGPAが3.2となってしまうと他の受験者と比べて顕著に低いため、何か他で補うことができないと厳しそうです。
ということもありトップスクールで平均以下のGPAを取るよりかは中堅州立大学で高いGPAをとった方が有利かと考えたのもあり、カンザスに進学しました。
前置きが長くなってしまいましたが準備を色々しつつ、入学。
大学受験については、また別の記事にしようと思います。
最初の難関、現地の英語
英語に関しては最低限のノルマクリア程度の勉強していたため(TOEFL iBTで80位)困らないと思っていましたが
まず、飛行機での英語がわからない
普通に詰みました。
アメリカン航空でのフライト、周りはほぼ全員現地に戻る人です。
無事機内食を注文に成功して嗜んでいたら急に隣の老婆が自分に何かを話しかけてきました。そして言い終わると同時にコーラを自分のテーブルに置いたので、
あ、コーラくれたのか、いい老婆だ、ありがと、アメリカ好き
なんて思い普通に飲んだ瞬間、老婆が激昂。本当にブチギレ。
たまたま近くにいたCAさんが駆けつけてくれてとりあえず老婆が落ち着いてくれました。CAさん曰く、老婆は“棚の中に入れてる荷物を取るからコーラをおかせてね”と言ったそう。確かに置かせてもらっていきなり飲まれたら普通にブチギレ案件ですね。
ということで一瞬でブルーな気持ちになりつつ、無事テキサスに着陸。
入国は奇跡的にうまくいったので、何か食べようと思ってダンキンドーナツへ。
さて注文、と思いきや
ドーナツの名前がわからない。
名前を聞いたが何言われてるのかわからない。
ということでどう見てもチョコレートみたいなやつを指差して頼む、という感じで注文。
ここまできてわかったのが、現地の英語が早すぎて本当に聞き取れない。
だいぶブルーな気持ちになりつつ、カンザス行きの飛行機に搭乗、無事着。
大学の人にお迎えを頼んでいたので、無事なんとか合流。あっという間に寮に到着。
部屋まで案内されてから入寮手続き。
ここでも問題発生。マジで何言ってるのかわからん。一言もわからん。
わからんから、とりあえずサインと言われた場所にサインして終了。何が起こったのかもわからぬまま終了。
これはマジでやばいなーとか思いつつギリギリ無事乗り越えました。
正規の学期が8月からだったので、5−8月は念の為、大学付属の語学学校に行くことにしていました。語学学校は特に変わったこともなく終了。
前途多難!いよいよ授業開始
あっという間に8月になり、遂に正規授業の始まり!
ギリギリ英語もなんとなくわかるレベルになり、学科のオリエンテーションに参加。
僕は農学部畜産学科、獣医大学院準備課程(College of Agriculture, Animal Science Major, Pre-Veterinary Option)という、俗にいう獣医大学院を目指す人用のコースを選択していたので、オリエンテーションは全員獣医学部志望の人達です。
担当の偉い先生がコースの内容や4年間の流れなどを説明していくなかで、生徒達に“獣医大学院の合格率を知っているか”という質問がありました。
倍率は大抵10倍以上、と誰かが答えると、
“その通り、つまり今座っているテーブル(5人掛けx 2列)のうち1人しか受からない。他の誰かが受かったら君は落ちる。”
と、とんでもなく厳しい言葉を投げかけてきました。
それと同時にクラスメイトの表情が変わり、全員に勝って私が入るんだ、という意思が伝わってきました。
というわけでピリッとした空気でオリエンテーションは終了し、そのまま別のクラスへ。畜産学科と生物学の入門クラスとラボを取っていたので、生物学に。
生物学は基本的に4人1組のグループになって、レクチャーではなく実習のような形でグループワークなり実験なりをこなしていく内容でした。とても大きなクラスで何グループも分かれていたけど、僕は獣医学部進学課程と医学部進学課程のひとのみで構成されるグループに入れられていました。
友人なんて誰もいないのでとりあえず適当に座り、1日目はなんとか4人で乗り切りました。
2日目、早くも事件発生。4人のうちの1人が授業に来ない。
(あとから聞いた話だと彼は1日目で限界を感じて転学していた)
4人1組といってもやることは2人ペアですることが多かったので3人だと何かと不便になる。残りの2人に助けを求めたら、まさかの衝撃的な一言が。
“英語も話せないやつに足を引っ張られたら困るから関わらないでほしい”
流石に固まってこれはやべえ、となりました。
どうしようもないので、TA(Teaching Assistant)の人にたくさん手伝ってもらってなんとか授業についてく日々。
アメリカ半端ない、と思いながら非常に悔しいので最初の小テストは必死に勉強したので無事Aグレード。手のひらを返したグループメイト達から“すごいじゃん、これからは手伝ってくれよ”と言われ、ムカついたので別の空席に移動しました。そのグループの人たちはとてもナイスで心地よく残りの期間を過ごせました。
そんな感じで理系科目はなんとか乗り切れたはず。
今思うと確かに、4年間の受験戦争が始まって気合いも入ってる中に意思疎通ができず、自分の足を引っ張るような奴がグループにいたら、身内で頑張った方が自分のため。みんな必死。個人的には差別でもなんでもなく妥当な対応だったろうな、と理解できます。
それともう一つ何か取らないといけなかったので、夏休みにできた友達に“楽単”と教えてもらった“US. Politics(アメリカ政治学)”を履修していたのだけど、ピンときた人はいるはず。
アメリカ政治学が簡単なのは、その政治の中で生きてきた人だけです。
外国人にとっては全てが新しい内容になるんですね。
まあ当然の話だけど日本で育っていれば日本の政治やら憲法とかはざっくりわかるけど、アメリカのなんて全然知らないですよね。
別のクラスを取るなんて選択肢があるのも当時は全く知らなかったので、とにかく必死に勉強したけど全然点が取れませんでした。
授業後は毎日オフィスアワーに行って、わからなかったところ(ほぼ全部)質問して、毎日読み物もしっかりしたけど全然取れず。成績は一番最初の学期でGPAがかなり低くなってしまったら絶対院にいけない、本当にやばい、なんて色々考えた結果、一つだけなんとかなりそうな方法がありました。
アメリカでは学期の途中でクラスをドロップすることができ、その場合はグレードが評価されない代わりに”W”=withdrawal, incompleteというものにすることができます。なのでWという評価が成績表には残ってしまうものの見かけ上のGPAを下げなくて済みます。
これしかない!!!!と思って申請しに行ったらなんと留学生オフィスから
“君はWにすると最低履修単位数を割ってしまうからダメだよ”
と言われてしまいました。
アメリカでは、留学生は最低12単位を取ることが義務付けられていて、自分は最初の学期だったので12単位ぴったりにしていました。政治学をWにすると成績にカウントされなくなるため、合計9単位になってしまう。
そうすると、留学生に必要性なステータスを満たすことができなく、ビザが失効してしまうことが発覚…
これは非常にまずい、と頭を抱えていたのだけど留学生のステータスについて調べていたら、
“留学生のビザステータスは諸事情により1度のみ12単位を切っても失効しないことができる”
みたいなことが書いてあった。
本来は卒業間近の学生が12単位も取る必要がない時に使ったりするワイルドカードのようなものみたいだけど、そんなこと言ってられない。
大学生活始まりたったの3ヶ月でワイルドカードを切ってしまう。
とはいえ、低い成績がついてしまった時点で学部留学に来ている意味も無くなってしまうので現状でできる最善の選択だったと思う。
なんとか他のクラスはほぼAだったのでGPAは問題なしでした。
1年次の最大の失敗
これが終われば一時帰国できる!というときの期末試験に寝坊して遅刻しました。
徹夜で試験勉強をしていて寝坊し、家の鍵とパスケースと筆記用具をひっつかみ、豪雪のなか、慌てて履いたビーサンで学校へ猛ダッシュ。
なんとか受けさせてもらい、泣きそうになりながら解いた試験結果はAでした(よかった…)
しかし不運はまだ続きます。
試験終了後に友人と食事に行き、そこで家の鍵とパスケースを無くしてしまいました。
テラスが開いていたのでテラスから帰宅し、翌日はテラスから日本へ出発しました…
1年後期−2年次は1学期目の苦労でよく学んだので、化学や物理、経済学などの数字や記号がメインで語学力を多用しない科目をとり、ほぼオールAを納めることができました。
1〜2年時のまとめ
地獄のような1学期目を乗り切ったので(乗り越えてはいないが)、2学期目からは以下のように対策しました。
非留学生が簡単というクラスは自分にとって簡単に限らない
成績が取れなさそうなクラスはすぐに変更する
協力してくれるクラスメイトを見つける
結果として1年生後期は化学、物理、数学やマクロ経済学などの“文字ではなく数字や理論を理解する”授業や、留学生の友達が簡単といっていた授業を取ることにしました。
また、2学期目からは常に18単位以上取ることを心がけました。
というのも、獣医大学院の受験の際に学期あたり何単位とっていたか、というのもみられるとオリエンテーションのクラスで言われたからです。
実際、大学院では毎学期20単位以上取っていたので処理能力を見られていたのかもしれません。
戦略として常に21単位を最初にエンロールし、その中で一番好成績を取るのが難しそうなクラスをドロップするようにしました。
ナイトクラスやオンラインクラス、学期の半分で終わる代わりに授業の時間が長いクラスなど、選択肢がたくさんあるので助かりました。
1年生は授業について行くのに必死でした。
2年生は1年生の時に苦い思いをしたのもあり、テストの前は永遠に図書館やユニオンに籠ってひたすら勉強。
おかげで成績は維持でき(勉強は辛かったですが)、学部の優秀者リストにも無事載りました。2年生の間はとにかく単位数をとりたかったので夜間に行われるクラスやオンラインコースに加え、単位互換が可能なコミュニティカレッジ(単科大学)のオンラインクラスで成績を稼ぎました。
確か2年生の後期は24単位(大学で21、単科大学で3)とりました。確かクラスが16週間だったのですが、8週間で終わる代わりに授業の時間が長い+進度が早い、というクラスもあったので、それを前半後半どちらも取ったりしました。
1〜2年生の間は年末年始だけ一時帰国しました。夏休みは授業と研究です。
次回は3〜4年生、大学院進学、地獄の研究室について書いていきます。