【マギ考察】アルマトラン編のキャラ名・モチーフについて
アルマトラン編のネタバレが含まれます。ご注意ください。
今回もときどき簡単に読めるリンクを貼っていますが、参考にしすぎないでください。
〈イル・イラー〉
イル・イラーとアッラーの名前の類似は、恐らく多くの人に直感的に納得していただけると思います。
アラジン「そして人間たちはこれを「神(イラー)」と呼んであがめた。」
この台詞から、マギ世界における“神”の名詞はイラーであり、前についているイルが定冠詞である可能性が考えられます。
定冠詞は日本語にない概念ですが、英語の「the」「a」がそうです。そしてアラビア語では「al」が当てはまります。
現実世界のアッラー(الله, Allāh)は、神を意味するイラーフ(إله, ilāh)に定冠詞アル(ال, al)がついたアル・イラーフ(الإله)が縮まった言葉です。全知全能の唯一神を表します。
元来、アッラーは神を表す普遍的な言い方であり、イスラム教の神の固有名詞に限定されません。
〈ダビデ〉
モチーフ元は、羊飼いの少年だったダビデと思われます。サムエル記には、ダビデがユダの王になる経緯が書かれています。
そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。
彼はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼の後から退いて、彼を討死させよ」と書いた。
ダビデは部下ウリヤの妻バト=シェバに手を出し、更にその証拠隠滅のために部下を死に追いやるという罪を犯しました。そのことが神の怒りに触れ、二人の第一子は死んでしまいます。
わたしがイスラエルの神、主をさしてあなたに誓い、『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言ったように、わたしはきょう、そのようにしよう」。
ダビデは、バト=シェバとの間に生まれた次の息子ソロモンを王に指名して世を去りました。
ダビデは詩篇の大部分と関連づけられています。また、六本の線が交差する六芒星はダビデの星と呼ばれています。
クルアーンにおいても預言者の一人に数えられています。(言語が異なるため、日本語訳ではダーウードという表記です。)
〈ソロモン〉
モチーフ元は、ダビデとバト=シェバの息子、古代イスラエルの王であるソロモンだと思われます。
ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。
(中略)
そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。
『列王記』でソロモンが神から与えられた知恵は、恐らく『マギ』本編に登場するソロモンの知恵の元ネタだと思います。(勝手に知恵の実を食べるのでなく、善いことに使うためにお願いすれば、禁断の力すら与えてもらえることが興味深いです。)
『マギ』読者にとって面白いであろう以下の記述を紹介しておきます。
ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。(中略) このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。
アルマトラン編のソロモンは異文化交流を好む人物で、周囲と違ってイル・イラーを“ただの力のかたまり”かもしれないと考えていました。『列王記』のソロモンは、異民族の人々と盛んに交流し、ユダヤ教以外の信仰を黙認していたそうです。
危険なほどラフな姿勢は二人ともよく似ていると思います。
『クルアーン』において、スライマーン(ソロモン)はダーウード(ダビデ)とともに預言者に数えられています。アルマトラン編のソロモンは重力を操りますが、下の記述をみると、知恵によって世界の法則を嵐の風のように操っているといえるかもしれません。
またダーウードとスライマーンについて、ある民の羊が耕地の中を食べ荒らしてしまい、そのことについて裁決が下されたときのこと。われらは彼らの裁決に立ち会っていた。われらはそれをスライマーンに理解させ、またそれぞれに知恵と知識を与えた。そしてダーウードのために山々を使役させ、また鳥たちと共に賛美させた。そうさせたのは我らである。また彼には、暴力を防ぐための鎖帷子の作り方を教えた。それであなたがたは、感謝するようになるのか。またスライマーンには嵐の風を。それは彼の命令により、われらが祝福した地に吹いた。われらは、ありとあらゆるものごとを知っている。
また『ゴエティア』ではソロモン王が72体の悪魔を使役したとされており、これがジンの設定に影響を与えた可能性は高いです。ジンの多くは悪魔の名前から取られています。
『千夜一夜物語』の漁師と魔神の物語(3-9夜)では、スライマーンの封印がある壺からジンが登場します。
〈おまけ〉
『マギ』のソロモンはダビデの息子であり、宗教的な歴史においてもソロモンはダビデの息子です。しかしもう一人「ダビデの子」と呼ばれがちな存在がいます。それがイエス・キリストです。
救世主はダビデの子孫として生まれるという神の約束があったことから、そう呼ばれていたそうです。
〈ヨアズの意味〉
全然分かりませんでした。
英語圏のfandomで「ヨアズ・アブラヒム」が Jehoahaz Abrahamと綴られることを参考にするならば、音の響きが似ているのは、第11代目イスラエル王ヨアハズや、紀元前609年のユダ王ヨアハズです。もしくは、ユダヤ教やキリスト教で神の名とされる聖四文字(YHWH)に似ているかもしれません。
〈アブラヒムの意味〉
ソロモンとダビデの苗字に含まれる“アブラヒム”は、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の信仰の共通の始祖、信仰の父であるアブラハムを元にしていると思います。
イスラーム教では重要な預言者の一人に数えられ、純粋な一神教徒であったとされています。
イブラーヒームは、ユダヤ教徒でもキリスト者でもなかった。彼は純正な人、ムスリムであり、多神を奉ずる者のひとりではなかった。
『創世記』では、アブラハムの祖先としての性格が強調されています。彼はダビデやイエス・キリストの祖先にあたるはずです。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。
また彼は、神に命じられれば自分の子供を手にかける覚悟があるほど信仰に篤い人物です。
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
〈シバ〉
シバの名前の元ネタには2人の人物が考えられます。
1人目は、ダビデの項目でも触れたバト=シェバです。
サムエル記下11章で言及されるように、彼女はウリヤの妻でしたが、ダビデに言い寄られて関係を持ち、ダビデの妻となりました。そして、のちにイスラエルの王となるソロモンを産みました。
2人目はシバの女王です。
(この場合、シバは人名ではなく国名だと思います。)
シバの女王は主の名にかかわるソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試みようとたずねてきた。彼女は多くの従者を連れ、香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせてエルサレムにきた。彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げたが、ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは一つもなかった。
シバの女王は、ソロモンの知恵の噂を聞くと、彼を訪問してさまざまな難問を問いかけますが、ソロモンは全て答えてしまいました。
アルマトラン編で出会ったばかりのシバとソロモンの関係性が変化していくさまを見ていると、“ソロモンがシバに新しい価値観を与える”という印象があったので加えました。
〈ワヒード〉
アラビア語で「1」を意味する「واحد」(wāḥd)が由来だと思います。ワーヒドという読みになるはず。
同じ語根かなと思いますが「وحيد」(waḥīd)は、英語のaloneのような形容詞です。一人であり、時には独りで寂しかったり、唯一無二のユニークさがあったりといった意味です。こちらのほうが後ろに重点が置かれてワヒードという発音に近いと思います。
〈イスナーン〉
アラビア語で「2」を意味する「اثنان」(aṯnān)が由来だと思います。イスナーンとかエッスネーンとか、日本語にしづらい発音です。
〈アルバ〉
アラビア語で「4」を意味する「أربعة」(arbʿẗ)です。アルバァと読みます。
シーア派が正統だとするカリフ、アリーは第4代目だったなぁと思い出しました。
〈セッタ〉
アラビア語で「6」を意味する「ستة」(stẗ)です。スィッタみたいな発音です。
〈テス〉
アラビア語で「9」を意味する「تسعة」(tsʿẗ)だと思います。ティサァという発音です。
〈ファーラン〉
全然分かりませんでした。
アラビア語で「喜び」を意味する「فرح」(faraḥ, ファラフ)が由来かもしれません。
ただし、この人名はf-r-hという語根を満たさないと意味を成せないはずですが、ファーランではhの入る位置が分からないんですよね……。
Furlanという苗字が現実に存在することは知っています。
ところどころ頼りない考察でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。