【マギ】アルマトラン編考察
マギ15周年おめでとうございます。今でも一番大好きな漫画です。
数年前に上げた考察を久々に振り返り、まとめ直しました。
これは「アルマトランに描かれる魔導士聖教連とレジスタンスが、現実世界の宗教に似ている」という私の考えを延々と話すノートです。
必ず注意事項を読んでください。
〈注意事項〉
まず、主にアルマトラン編の展開の大きなネタバレがあります。22、23、24巻、そして少しだけ33巻に触れています。全て読み終わった方向けです。
次に、現実世界の宗教についてお話ししていますから、センシティブな部分があります。主にユダヤ教とキリスト教に触れます。
しかし作者はどちらの信者でもないため、解釈が不正確な場合があります。また宗派ごとの解釈の違いに無頓着で、一般論的な話し方をします。申し訳ありません。
もしも不備を見つけましたら、是非教えていただけるとありがたいです。
パッと読める簡単な記事も参考程度に貼っていますが、参考にしすぎないでください。
何より、アルマトランと現実世界を同一視しないようお気をつけください。違いは本当はたくさんあります。
あくまでも“モチーフに取り入れられたのでは?”という話です。
〈聖教連≓ユダヤ教説〉
魔導士聖教会連合は、「人間は神に選ばれた種族として理想郷を作る」という思想を信じる、人間だけで構成された集団です。後に理想郷計画は頓挫し、現実とほど遠いものになってしまいます。大聖堂府において、長老会という実質的な元老院が政教一致のスタイルで意志決定を行っているものと思われます。特に、約800歳の第一元老であるダビデ・ヨアズ・アブラヒムが強い権力を持っています。
①唯一神
マギ世界(アルマトランと主人公たちの世界階層)には、イル・イラー以外の神が登場しません。マギ世界のさまざまな宗教──聖教連、レジスタンス、アル・サーメンは、みな同じ神を信じています。
これは、イル・イラーが広いマギ世界の社会において唯一絶対の神として扱われてきたことを示しています。もっといえば、イル・イラーは多神教でなく一神教の神なのです。
この神イル・イラーの特徴は創造神であることです。
第215夜『神話』には、人間がイル・イラーから天啓を受ける場面があります。
現実世界では創造神は一神教を擁することが多いです。現実世界の一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)には世界の創造神がいます。それぞれでヤハウェ、父なる神(三位一体)、アッラーとされています。
このことから、アルマトランの創造主であるイル・イラーは唯一神にして創造神であり、一神教的な特徴を持つといえます。
②迫害の歴史
アルマトランの人間は最弱の種族として、他種族から虐げられていました。
第215夜『神話』には、人間種族が迫害を受ける一例として、異種族のエサにされるシーンが描かれています。
ユダヤ人もさまざまな迫害の歴史を持ちます。最大の迫害であるホロコーストは書かずにおけません。アルマトラン人類が受けたのと同じというか、それ以上の残酷な扱いでした。エジプトでの苦難(出エジプト)や、バビロン捕囚は、『マギ』と時代的な繋がりも深い事件です。
民族的な苦難が、民族の結束と信仰の高まりに繋がったのは、聖教連もユダヤ教も同じなのではないでしょうか。
③契約
この展開を言い換えれば、神が魔法を与える代わりに、人間は世界を統一するという契約関係になったわけです。
ユダヤ教にも契約があります。トーラーに含まれる『出エジプト記』によると、モーセはシナイ山で、神と民との間に契約を交わしました。
(ちゃんとユダヤ教側の資料として貼りたかったけど見つかりませんでした。申し訳ない……。)
④選民思想
これは選民思想といい、一般にユダヤ教の特徴といわれる考え方とよく似ています。選民思想は、自分たちは神に選ばれた特別な人間集団であるという考え方です。
③の項目に書いたとおり、ユダヤ教の人々もアルマトラン人類も、弱い集団でありながら“神と契約した”わけですが、それによって“神に選ばれた存在”になったわけです。
アルマトランの場合は、この選民思想が暴走し歪められていき、異種族支配の正当化に使われます。
誤解のないように言っておきたいのだけど、ユダヤ教は↑↑みたいな他者を見下す思想ではありません。聖教連は本来の志を忘れ、レールを外れているのです。
⑤厳格さ
根拠として弱いかもしれませんが、聖教連の信者だったころのシバは教えをガチガチに遵守し、教えによって己を律しています。
キリスト教(特に黎明期)は、ユダヤ人が律法を一つ一つ厳しく守るような態度を「律法主義」と呼んで批判しています。ただし、ユダヤ教は律法を研究して考えることも重視され、聖教連のように盲目的に従うことを推奨しているわけではないです。
聖教連はこの辺の形骸化も進みすぎているのかもな…と思います。
⑥ダビデの存在
ユダヤ教のシンボルマークは“ダビデの星”と呼ばれる六芒星です。
タナハの預言者8巻の一つ『サムエル記』には、ダビデが登場します。彼はもともと羊飼いの少年でしたが、戦場で大活躍を繰り返してユダ王国の王になり、ついにはエルサレムを都として、全イスラエルの王に上り詰めます。しかし王国を神のものでなく自分のもののように思う、傲慢さが出てしまいます。そしてソロモンが次の王になります。
ご存知の通り、聖教連の中心人物はダビデという名のキャラクターです。
〈おまけ〉
第216夜に登場する「降臨祭」に相当するのは、ユダヤ教のシャブオットという祭りだと思います。
小麦の刈り入れを祝う祭りであるとともに、シナイ山にて神が降臨し律法を与えてくれたことを祝う日でもあるそうです。
或いは、もっと騒がしく賑やかな雰囲気を求めるならば、プリムかもしれません。
〈ユダヤ教と聖教連の違い〉
最後に、二宗教の違いにも触れておきます。
細かな差異はいくらでもあるのですが、最大の違いは選民思想が行き過ぎたことです。聖教連の選民思想は強く排他的すぎました。
ユダヤ教は、実は誰でも加わることが可能です。
布教活動を行わないため、血統により親から子へ受け継がれることが多いのですが、全くの他人が入信することも禁じられてはいません。
一方、聖教連には、非信者が入信する入口など一切ありません。なぜなら“契約の加護を受ける信者=人間種族”だからです。異種族は聖教連に入ることができませんし、人間はみな聖教連に生まれます。
聖教連は、思想であり、単一民族国家であり、遺伝なのです。
迫害の歴史が長く続いたユダヤ教と異なり、聖教連は途中から異種族に勝つようになり、完全な支配者層に回りました。
人間種族の間で、無数の苦難の中の唯一の希望の灯火のように語られていた選民思想が、いつの間にか王権神授説みたいな、支配権の根拠として語られるように変容したのです。
そんな血統主義に基づく聖教連の天下が800年も続けば、選民思想が極まって歪み、醜いかたちで暴走するのも当然かと思います。
何より、形骸化した理想の果ての愚々塔は、異種族に対する迫害です。聖教連は最終的には迫害する側になりました。
一方、ユダヤ教は数々の民族的苦難を経験しており、歴史の幾つもの場面でむしろ迫害される側にいました。(最近は、違うと思います。)
〈レジスタンス ≒ キリスト教説〉
レジスタンスは、元聖教連の人間たちが生んだ集団です。イル・イラーとの契約などの歴史を共有していますが、中心人物ソロモンによってところどころ解釈が変えられています。全ての命に愛が宿るという思想と、種族間の平等が特徴的です。聖教連の支配から各種族を解放し、ソロモンは(意志に反して)王になりました。その後、ソロモンはイル・イラーからルフを剥ぎ取り、世界中の命に等しく分配しました。残された仲間はソロモンの意志を継ぎ、新世界にも彼の意志を影響させています。
①罪
レジスタンスの中心的な構成員は人間種族(=聖教連脱退者)です。彼らは聖教連に加担した過去を持ち、罪を悔い、異種族を解放する活動をしています。
シバがレジスタンスに傾いていく過程でも、シバの罪の自覚と後悔が丁寧に描かれています。
シバのような罪の自覚を他のレジスタンスメンバーも経験してきたのだろうと推測できます。
キリスト教で、“罪”は重要な概念です。それぞれの宗派によって捉え方はばらばらです。
あくまで一例として。アダムとイブによる原罪から、今の人類の在り方が始まっています。我々も普段から罪を犯し続けています。人間はどうしても完璧な存在ではありませんし、神のように全てを上手く成し遂げることができないからです。日々間違え、誰かを傷つけ、(法律でなく広い意味の)罪を犯しています。でもその罪を自覚し、悔い改め、許し合い、よりよく生きようと努力を続けることが大切なのです。
アルマトラン人類は大聖堂府に生まれ、聖教連の教育を受けて育つと思われます。そのため、生まれながらに聖教連の罪に加担してしまうのです。異種族が傷つけられる状況を作り続けたり、或いは見殺しにしたりしたのです。
②愛
ソロモンは異種族にこう演説します。
キリスト教は愛の宗教とも呼ばれるほど、愛を重視しています。その愛は、神が人に与えるものだったり、誰のことも助けられる隣人愛だったり、そういう優しい人に神が出会わせてくれることそのものともいえます。
私の知るカトリックの方は「全ての人間の心には、慈しみや愛、基本的な善悪の知識が生まれつき刻まれている。国や宗教を越えて、全ての人が人殺しを悪だと判るし、全ての人が誰かに優しさを与えられるから」と話していました。他の宗派でどうなのか分かりませんが、ソロモンの語る“共通するもの”と似ていると思いませんか。
また、ソロモンの説く愛は、恋愛や身内の結束意識ではありません。それよりもっと広いもの──たとえばシバが異種族のために心を痛められるような──普遍的な優しい心の働きです。それはキリスト教における隣人愛と対応するものだと思います。
③歴史
ここから歴史的なことに入ります。
ソロモンは聖教連のもとに生まれた子供です。大陸の裂け目の深部開拓の任を受け、たまたま原始竜に出会い、色々な話を聞いたことで洗脳が解けました。(23巻第222夜『原始竜』)
それ以来、彼は聖教連と異なる思想を唱えるようになり、新たな集団・レジスタンスを率いる中心人物になりました。
イエス・キリストは、民族的にはユダヤ人であり、ユダヤ教の中で育ちました。そこから、後にキリスト教と呼ばれる新たな思想を説き始め、弟子を抱えるようになりました。
そして、レジスタンス/キリスト教は、聖教連/ユダヤ教よりも多くの信者を抱える一大勢力に発展しました。
推計ではありますが、2020年の世界には、キリスト教信者がだいたい24億人、ユダヤ教信者がだいたい1470万人いるそうです。信者数には大きな差があります。
23巻221夜、ソロモンが離反してから10年が経った時点で「すでに世界の4分の3は「抵抗軍」と異種族どもの手に落ちた」と語られています。小規模から始まったレジスタンスの信者数はいつしか逆転したのです。
(しかし、現実世界と異なり、このあとレジスタンスは聖教連を完全に滅ぼしてしまいます。)
④神と一体であること
キリスト教には三位一体という考えがあります。これは説明があまりにも難しいのですが、超ざっくりいうと、父と子(イエス)と聖霊の三つは別だけど、本質的には一体の神なのです。
今回はマギの話がしたいので、これについて深く話しません。
24巻第232夜『ソロモンの世界』以降、この三位一体は実現していると考えられます。
第232夜にて、ソロモンは大きな魔法により、イル・イラーを構成するルフを引き剥がし、己の意志を宿すことで白く塗り替えました。そしてソロモンの精神体は宇宙視点で物を見るようになり、ソロモンの肉体は老いて、世界の真理を呟くだけに変わり果てます。
(この瞬間に起きた事は各キャラクターがばらばらに解釈・発言しており、理解が困難です。これはキャラクターごとの信念の違いに加えて、一つの出来事が④三位一体と、後述の⑤十字架 を兼ねているからだと思います。本項目は三位一体に絞った話をします)
父: イル・イラー
子: ソロモン
聖霊: ルフ
と読み替えましょう。
・ソロモンはイル・イラーではない
・イル・イラーはルフではない
(第232夜「ルフのほとんどが引き離され、本体は異空間に封印された」から)
・ルフはソロモンではない
・ソロモンは神である
(全世界に行き渡ったルフにソロモンの意志が宿っているから)
・イル・イラーは神である
・ルフは神である
(世界に行き渡り、世界の事象を作るから)
これで三位一体の図が描けます。
これは三位一体として同一視に足ると思いませんか。ソロモンはイル・イラーではありません、ルフでもありません、だけど神になったのです。
(予想される反論として“父のポジションはダビデでは?”というものがあります。
私はそうは思いません。アルマトラン編時点でのダビデは新世界創造・神になるための第一歩を踏み出したに過ぎず、まだダビデは神になっていません。
でも、ダビデはソロモンが神になる運命を見通し、そうなるようにしたから、ある意味ではダビデを使った三位一体の説明も可能かもしれません)
⑤十字架の死
キリスト教において、イエスは十字架にかけられ、全ての人に代わって、全ての人の罪のために、亡くなりました。イエスはその死をもって全人類の罪を償ったとされています。
第232夜で、ソロモンは一種の死と引き替えに、世界の法則を書き替えます。
ソロモンは己の命を使い、人々を神の意志から解放し、自由意志ある平等な世界を作ろうとしたのです。
(キリスト教と異なり、罪は大きく関係していません。罪から解放するというより、神の定めた運命から解放しています。)
その後、ソロモンは廃人になります。(24巻第233夜『光への造反』)
⑥復活
イエスは、十字架で亡くなった後、葬られて三日後に復活したとされています。
先程も書いたとおり、ソロモンは廃人になっていました。肉体的には生きていますが、コミュニケーションが取れません。一種の死といえると思います。
24巻第235夜『ソロモンの帰還』で、ソロモンは復活し、アル・サーメンとの戦いの最中に舞い戻ってきます。
⑦十字架
第226夜『ソロモン王』が一番分かりやすいと思います。
ソロモンとシバが自室で過ごす様子が描かれています。そこの部屋の窓が十字架の形です。
ソロモンが壇上で演説するシーンでも、背景には十字架の形の窓や出入口があります。
大聖堂府には聖教連式の建築文化があるようで、聖教連マーク(👁を縦横に合わせたもの)がシンボルとして多用されています。
だからこの十字架は、レジスタンスに特有の様式なのだと思います。
〈レジスタンスとキリスト教の違い〉
アルマトラン編を通して“赦し”という言葉は出てきませんでした。
赦しは、キリスト教にとって重要な行いのひとつです。
もともとレジスタンスは聖教連出身者で構成されており、聖教連は異種族に対する迫害者です(成立前~初期のユダヤ教と真逆)。
そのためレジスタンスには負い目があり、“赦し”を求めるというよりは、贖罪を人一倍頑張っているイメージがあります。特にソロモン自身が、生まれのせいだけでレジスタンス内の最大の大罪人となっているため、赦しの思想を説きようがありません。
やはり、全ての要素が同じになっているわけではなさそうです。
ともあれ、以上の7つの理由から、アルマトランのソロモンの役割はイエス・キリストが果たした役割になぞらえられており、レジスタンスはキリスト教に概ね似ていると思います。
後編で、アルマトランにおけるイスラーム教について執筆する予定です。
今のままだと“アル・サーメン≓イスラーム教?”と思われてしまうかもしれませんが、そうならないはずです。
簡単に今の私の考えを述べると、
・聖教連と起源を一応共有している
・レジスタンスもまたイスラーム教の特徴を持つ
・アル・サーメンは、イスラーム教が2つに分裂した歴史をなぞる
という感じです。何事もなければこの通りの話が出ると思います。
以上、長々した話を読んでくださり、ありがとうございました。