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谷川俊太郎を、まとめたい その3
さ、帰ってまいりました。
谷川俊太郎まとめ。
今回はワードワードを切り抜く形で
つぶやきます。
いいんだよな。
言葉のチョイスが。
↑とりあえず初回のも載せておきます(今日は3回目)
読ませていただいているのは
【どこからか言葉が】という作品です。
もういーかい
雨音で目が覚めた
起きて顔を洗ったら
食卓の上に雪のように白い兎がいる
ちょっと驚いたがまァいいだろう
古い日記を読み返した
古い日記を読み返したと書いてある
古い日記に出てきたもっと古い日記は
もう無い
雨がやんだ
自然は気まぐれだ
窓からの陽光が眩しい
お日様は気前がいい
時々もういーかいと訊く奴がいる
一応まーだだよと答える
そんな遊び相手も
今にいなくなる
食卓の上にはまだ兎がいる
もう顔なじみだ
疑問符には飽き飽きした
感嘆符は呑気すぎる
雨音で目覚めた俊太郎の目を
本当の意味で醒まさせたのは
食卓の上の白うさぎ。
不思議な世界観から
自室の本棚、あるいは引き出しの中の
日記を読み返してみたりするこの詩は
「不思議」と「現実」が入り乱れている。
時間の経過を描いている。
感情の機微が描かれている。
死生観も透けて見える気がする。
「時々もういーかいと訊く奴」とは誰か?
雨上がりの表通りから
子供達の声でも聞こえてきたのだろうか?
ありきたりかもしれないけれど
俊太郎にとっての遊び相手は
自分だったのではないか、と言う仮説。
「ここでやめてもいいだろうか」と
1人問答したときに
自分はどう答えるか
「一応まーだだよと答える」
と、ある。
自分の背中を押す自分に見えた。
作業興奮
[作業興奮]という言葉を
YouTubeショートで見かけた。
東大赤門前でいかにも賢そうな
青年が無駄なく説明してくれている。
ユーモアもあって、とてもすてきだった。
1時間勉強しなくてはならない、というのは❌
とにかく、5分だけやってみるというのが大事。
ドイツのクレぺリンという心理学者が
「やれば、やるだけ、やる気がでる」
という、理論を唱えた。
おそらく自己表現や
手に職系のお仕事、趣味を持たれている方は
特に、よくわかると思うけれど
ゾーンに入るまでってとても長いのに
いざやってみたら、みたいなことないですか?
わたしの場合も
Xを開く前にnoteを開けたら
記事は完成したと同義、と
言いたくなる。
俊太郎も
一つの作品の中でも
詩人という人生の中でも
何度も
「もういーかい」を投げて
「まーだだよ」と自分を応援……
いや、檄を飛ばしていたのではないだろうか?
ユルい言葉で肩の力を抜いて
別の視点を生み出して
また新たな作品に落とし込んでいたのでは
ないだろうか?
そんなふうに思ったのです。
「今にいなくなる」は
死というお迎えの
明るい隠喩かなあと。
「死が我らを分つ時まで」なんてセリフが
あったりするけど
俊太郎の場合は
自分自身との対話をしている、としたら
もう1人の自分が消えるときが
自分の終幕、といったように見えた。
「感嘆符は呑気すぎる」
いやーシビれた。
正直、読み進めて最後の一文を読んで
また最初から読み直したくなるほどに衝撃的たった。
単純におっしゃれ〜⭐️と思ったし
え、突然どうして?と思った。
読み返すきっかけを作るための文句として
あまりにもいい仕事をしている 笑
そして読み返した結果
先の段落の考察が出来上がった。
疑問符には飽き飽きした
もういーかい?
こんなもので?
感嘆符は呑気すぎる
まーだだよ!
疲れたと面倒臭いから生まれる
最後を俺が受け入れるとでも!
熱せられた鉄を
俊太郎は飽きることなく
打ち続けていたのかなァ。
いうても
そんなに情熱的にも見えないのが
また、魅力 笑
【どこからか言葉が】
17個目の収録作品。
まだやれる、奮い立つ男(?)の
カッケー詩でした。
最後に
今日も職場で居残りをして記事を書いている。
でも、今日はここまで。
先輩が美味しいからオスソワケ⭐️
と、たくさんのパンをくれた。
家に帰って
シャンパンでも開けてしまおうかな😃
皆さんも、良い夜を🌕👍