MV公開記念!『サイコ・リリイ』『Sadomasochism』考察【暁Records】
①まえがき
ウス、まっちゃんです。狂っています。暁Recordsに狂っております。疲弊倶楽部名義で創作活動もしとります。
さて、今年の暁Recordsの冬コミ新譜情報解禁一発目は~~!?
名曲『サイコ・リリイ』のMVを!? 今!?
六年半越しの再録、感慨深い…(去年の秋季例大祭頒布『Black Mirror on the Wall』に引き続きリマスターなのかも?若干手に入れにくい曲をもう一度大海に流してくれるの非常に助かるます)
暁Recordsの純狐曲は結構ありますが、僕は『サイコ・リリイ』が一番好きなんでね。告知ツイートが出た日は踊りながら帰路についたりしてよォ。もうウキウキですわ。
とあれば、この曲について語りたいわけですよ。
自分、東方ボーカルの三次創作小説書いてるんで。色んな曲の歌詞カード読んで、世界に浸って、妄想を膨らませて、脳内で生まれた宇宙を観測する。故にウォッチャー。Stackさんの書く詞の世界観が、それぐらい好きなんですよね。それを引き立てる曲風も込み込みで。
告知ツイートで生まれた「語りたい」初期衝動を消さないために、このnoteを書く、という訳です。期間は2日間。楽勝だ!
でも、そうなると、もう一曲語らないといけないんですよ。ワカるかい?
その曲というのが、『Sadomasochism』です。
Stackさんの曲紹介ツイートによれば、
とのことですので、オモテウラの関係になっていると。片方の曲を語るなら、もう片方の曲にも触らないといけないんだぁ!
時間がない!ってことで、行ってみろ!オラ!
※この考察は歌詞べースで構成されています。「音楽レビュー」的なバランスの良いものとは違い、筆者の妄想が含まれています。あとめっつぁ長い。「穢れを逃れし罪追わぬ民」は逃げ惑うがいい!
②『サイコ・リリイ』
まず、前提の話をしますね。純狐は嫦娥に対する強い怨みを持っています。夫に息子を殺された、と言うのが最初の怨みで、既に怨みは純化し、一人歩きしている。それゆえに名前すら必要がなく、何度も何度も月の都を襲い、嫦娥を討つための存在になったわけです。
で・す・が!この曲は一味違います。そこに至る"前"を描いている。
この曲における純狐は、もちろん怒りと憎しみを抱いてはいるんですが…
この一節から、
「完全に復讐に取り憑かれているわけではなく、眠れるほど落ち着いている」
「嫦娥によって引き起こされた悲劇を忘れておらず、まだ"嗚咽する"という感情が残っている」
ことがわかります。前述した原作のような「月に仇なす」存在にはまだなっていないわけです。怒りと憎しみよりも悲しみが勝っている状態。
怒りマシマシの曲である『深紅のヴェンジェンス』と比べれば、まだ人間性がありますね。そこで、
とあるように、悲しみの感情が全て、血、すなわち怒りとなるまで「嗚咽の画」を見続けることを選択します。その道は果てしなく辛く、闇よりも暗いものですが、「月に仇なす」存在になるには、怒りと憎しみで思考・感情が満たされる必要があるのです。そのためには狂気に浸らなければならない。
血を流して、血を流し続けて、悲しみの中で一人叫ばなければならない。
(ラストスパートの前の間奏の過呼吸になるところ、いいですよねぇ。実演してくれるとひっじょ~~~~~~~にわかりやすい。純狐Stackさんの嗚咽とBrosさんの急き立てるような音作りが、速くなる鼓動と増える悲しみを見事に表現しています。ここは語りたかった。柄でもない。)
深い悲しみが、激しい怒りに変わるプロセスを経て、純狐は「月に仇なす」存在に。悲しむばかりの「私」は、新たな『私』に目覚めた、と。
しかし、一つの問いが立ち上がります。
復讐心を保ち続けるのは大変なことです。「時間が解決してくれる」と皆は言うが、この場合「解決」にはならない。目的が果たせなくなってしまう。時間の経過とともに怒りと憎しみが薄れていく。
怒りと憎しみで構成された存在が、その2つを捨てたとき、何が残るのか?
そして、最後で答えは示される。それは分かりきっていたことでした。
自分は怒りと憎しみを捨てることはない。そもそも、薄れることもない。なぜなら、その2つの感情が『私』を創ったから。「赦さない」ことが私の存在意義だというのです。そうですよね、「赦さない」という感情から純狐は「誰でもない何でもない」存在になったんだから、そこのオリジンは残り続けるもん。傷は消えない。良かったね~。
その結論を踏まえて、次の歌詞を見てみましょう。
なんとまあ、実に美しいことでしょう。「純狐」が完成しました。
個人的な感想ですが、スター・ウォーズみたいだなぁと。ダース・ベイダーになった後のアナキンが、最後で結局パドメを救えず失ったことに対して激しく感情を爆発させるシーン、みたいな。そのあとエピソード4まで時間が流れて、皇帝の右腕、完全なシスの暗黒卿へ変貌する、みたいな。こっちもオリジンとして美しいですね。
③『Sadomasochism』
今回こっちの話がしたかったんすよ!感情モリモリで行きます。
まずはタイトルの意味から。
ヘカーティアは地獄の女神ですが、地獄という場所は「負の感情」の溜まり場です。悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみで溢れています。ヘカーティアはそれが好きなんですね。自分が与えた苦痛を罪人たちが味わっているのを見るのも好きだし、その憎悪の矛先が自分に向いているのも好き。
前者がサドで、後者がマゾ。故にサドマゾヒズム。両方持ってる。
そいで、歌詞を見ると、サドな部分はわかりやすくでてますね。
ちょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っとエッチすぎるかな~~~~~~~~~~~~~????しょうがないよね、サドとマゾなんてエッチな意味でにしかなんないんだからさぁ!!こんな女王様なのに内面では憎まれてることにゾクゾクしてる(配慮した表現)のがたまんねぇ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!地獄落ちて~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!でも拷問されて喜んでたら興味持たれないんだろな~~~~~~~~~~~~😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭逆にそそるかも😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋
取り乱しました。でですよ。前述した通り、この曲は悲しんだり怒ったりしてる純狐をヘカーティアが微笑んで見てる曲ですよね。そして、ヘカーティアは純狐にもサドでマゾな感情を向けてるワケです。一つずつ見ていきましょう。
一番上のフレーズは月襲撃の話だからいいとして、その後ですよ。「この位余りにも暗い闇」「醜い憎しみ」ですよ。仮にも友人にそういうこと言っちゃうんですよね~~!!!ここサド!ヘカはじゅんをいじめたいんだ!大好きだから!かわいそうはかわいいから!クソデカ感情!わかった??その下の「酷い仕打ち」はどうぞやってください。それでこそ「地獄の女神」ですから。できれば我々に。
『サイコ・リリイ』→「狂え白百合」なのは言わずもがな、「血を流せ」→「血染めの白百合」、「粋なる憎しみ」→「眩しい憎しみ」、「傷よ、消えるな」→「永遠の苦痛」、「その傷が流す涙」、「怒りの業火」……のように、これらの2曲は対になっていることがわかりますね。パラノイドは「偏執的な」みたいな意味だから、純狐が抱く嫦娥へのクソデカ感情でしょう。いいね❤
この辺からヤバいっす。
まず上のフレーズ。私に何を見せつけてほしいかというと、「永遠の苦痛に塗れ」「花開いた闇」。まず純狐が苦痛に塗れてるところが見たいと。サド!とんでもなく美しい女性(しかも神)が苦しんでいる姿を見るのは、最高の快楽なのだろう。ちょっとわかるかも。次に花開いた闇。『サイコ・リリイ』の欄で何度も論じた通り、純狐は嫦娥への怒りと憎しみで出来ている。これは負の感情に塗れた姿で、それを見て喜んでる感じがしますねぇ。地獄の女神として。大切な友人が、なりたい姿になれたことにも喜んでるのかも?大好き過ぎ。
次に下のフレーズ。ここがこの曲のキモです。
悲しみ→怒りのプロセスを経て、憎悪だけの存在になった純狐。それだけでも嬉しいが、その憎悪は嫦娥の方にばかり、むしろその方にしか向いていない。ここでマゾが出てくるんですね。
「願うことならその憎悪をこちらに向けてほしい。今まで味わったことのない最低で最高の負の感情を向けられたい。なんなら傷付けてほしい。殺してほしい。私の力に釣り合うのは貴女ぐらいだから。でも、その憎悪の矢印はこちらには向かないことはわかっている。その一途さが彼女を彼女たらしめているから。そこもそそられる。マゾな心が震える。友人とは思われているが、彼女は私を通して不倶戴天の敵を見ているに過ぎないのが、逆に気持ち良い。大好き。大好き。大好き。大好き。大好き……❤❤❤」
そんなこんなで、下のような図が成立するんですね。
うつくし
うつくし
うつくし
うつくし
うつくしヶ原
😇
「醒めない夢」。嫦娥は蓬莱の薬を飲んでますから、死なないんですよ。でも純狐の行動理念は「嫦娥を討つこと」。それが果たされるまでは憎悪の業火は消えない。よって、この復讐劇は終わることがない。平行線をたどります。ヘカーティアはそれがわかってる。わかった上で、特に何の問題もないように振る舞っている。なぜなら、純狐と一緒にいれば負の感情を味わい続けることが出来るから。サドもマゾも両方満たされるから。ヘカはどこまでも純が愛おしいんですね。ヘカ純が成立しています。(純ヘカは成立しない)そしてラストのフレーズで、マゾ→サドを決めてフィニッシュ。あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~美しい!
④余談
上2曲を考えていた中で思ったこと。
〈純×嫦娥≒妹紅×輝夜!?〉
これはそうです。永遠を背景として喧嘩(イチャイチャ)してる。
〈”穢れ”について〉
あまり本筋と関係ないので。
このフレーズから、穢れた民とは「死と生の輪廻から抜け出せない者」であると考えられます。しかし、それでは蓬莱の薬を飲んで不老不死となった者に穢れがあることがよく分かりません。どこに書いてあったか忘れましたが、蓬莱の薬は「生きている状態と死んでいる状態を否定し、現世に魂だけを残す薬」だった気がします。つまり、"穢れている"とは、「現世に残り続けること」です。死んでも再び生まれるということは、現世から脱出できていないので。とすると、"穢れがない"状態とは、めっちゃ長生きして、死後に魂が”在るべきところ”(極楽とか天国とか冥界とか)に行き、輪廻から抜け出すという未来が決まっている状態なんじゃないの~~?と言う感じです。わっかんね。
〈他の純狐曲〉
『深紅のヴェンジェンス』→純狐が、嫦娥に対する感情が「愛」であることに気づき、「愛」を独り占めして嫦娥からの「愛」を熱望する曲。月の民からしたら大迷惑。嫦娥は平常運転。『サイコ・リリイ』の大成したあとの感情を強化したものなので、ヘカの純への感情は更にデカくなり、もっとこじれる。
『殺戮イノセント』→純狐が、憎しみそのものになり手当たり次第殺す曲。こいつに遭遇してはいけない。嫦娥は平常運転。そこに感情は存在しないので、ヘカは純への興味を失う。
「誰もいない 誰もいない 私ひとりが笑ッテイル」
『In My Heart』→純狐が、悲しみに心が飲み込まれてしまいからっぽの存在となる曲。大局的視点から見ると一番平和。嫦娥は平常運転。純が悲しむ姿をたっぷり堪能したあと、抜け殻を飾るか捨てるかはヘカ次第。
これ ネクサスオブオールリアリティ 遍く現実の交差点
⑤あとがき(疲弊)
いかがでしたか?
考えるにあたって、「先生、純ヘカが欲しいです…」という人格と「ヘカ→純→嫦娥の感情的一方通行が最高なんだろ」という人格が生まれてしまいました~!これも一種のサドマゾヒズム?
これからもこういう妄想考察を繰り広げていきますので、どうぞご贔屓に。
↓↓↓妄想による疲弊の溜まり場です。NUFF SAID!↓↓↓
MV公開と福袋争奪戦が楽しみです!!!!!!!!!!!!!!!!!!
EXCELSIOR!(向上せよ!)
(追記:裏ベストアルバムはやべーって!!!!)