マスキュリズム(ワレン・ファレル )

 ぶっちゃけ、全く詳しく無いです。誰か解説記事よろ。
 ただ、「フェミニズムが男女平等を語っている」という勘違いを正さないと男女平等な世界にならないと思うので、敢えて書いてみました。(もしかしたら自分がフェミニズムを読み違えているだけかもしれないけど)
 正直、全く詳しくないから他の記事見たり調べたりした方がマシ。
 「あ、何かそんな話があるんだ」と何か琴線に触れて貰う事が目的です。
 因みに、この記事の目的は「真の男女平等」に至る事、です。
 その為にも、いま生き難さを感じている男性自身が声を上げるべきだ、という内容なので、下手にルサンチマンを刺激します。刺激されたら座禅して下さい(お願い)

マスキュリズムとは?

 マスキュリズムとは「男性差別反対」の事。「反フェミニズム」ともいうのか?。 そもそも現代社会は「男尊女卑」だという社会観の否定。フェミニズムの反対?

男性差別の事例

徴兵制
・身体的な男性差別を、男女間の体力の平均値の差を論拠にして正当化することはできない。女性並の体力しかない男性への配慮が欠けており、それ以外の男性に対しても体力差を超えた負担が課せられるためである。もともと参政権は、男性が徴兵制の対価として獲得したものであり、女性にだけ無条件で参政権を与えることを目指した近代の婦人運動は、明らかに間違っていた。女性参政権が浸透した現代における男性のみの徴兵は、権利と義務の均衡を失っているという観点からも不当である。

経済力
・男女差は両性の収入ではなく支出をもとにして算出すべきである。一般的な夫婦の場合、金銭を稼ぐのは夫だが用途の決定権は妻が握っている。(この場合の支出というのは、自分の判断で自由に使えるお金という意味であって、家計も含まれている。)

職業
・男性が多数を占める地位・階層は政治家や経営者だけではない。兵士、土木作業員、自殺者、戦死者、過労死者、野宿生活者の多数もまた男性である。
・女性が多数を占める職業については議論されていない。


・男女の平均寿命の差異は、生命力の男女差という生物学的な要因のみならず、上述の社会学的な事情も深く関係している。
・日本で言うなら、男性の自殺率や犯罪死亡率は女性の約2~3倍になる。これは生物学的な要因だとは考えにくい。

社会問題
・男女がともに不利益をこうむっている社会問題について、さも女性だけが苦しんでいるかのように述べるのは間接差別である。ファレルは家庭内暴力などの被害者を女性に限定して議論を進めることを批判し、こうした議論が不当な立法や行政を促進していると指摘した。
・DVシェルタ―は男性側を受け入れる施設がない。アメリカではDV被害者の25%は男性だが、施設は1つのみ。日本はゼロ。

研究者の男女比改善
・学問領域において、フェミニズム研究に比べるとマスキュリズム研究は不足しているという主張がある。例えばマスキュリストの久米泰介は、フェミニストと闘うためには「文系の男性人権派と女性人権派の数を同等にしなければならない」と主張している。

男子校批判
 男子校は女性差別であるとして愛知に新設される男子校に対する反対運動が起きた。それに対してアンチフェミニストは、お茶の水女子大学や奈良女子大学が憲法14条違反だと主張し、男子校だけを批判する姿勢を批判した。マスコミにも「なぜ、男子校だけ反対?」という論調を展開する記事が出てきたため、反対活動は勢いを失った。

表現規制批判
・女性差別につながるとして性表現(ポルノ、グラビア、萌え絵など)を規制すべきだという動きがある。例えば2009年にはフェミニズムのNGOであるイクオリティ・ナウが性暴力ゲームに対する抗議キャンペーンを開始し、コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)が大幅な自主規制を行うなどした。それらに対する反発が反フェミニズムの運動に取り込まれる場合がある(ただし、フェミニズムの中にも性表現の規制に反対する動きはある)。

アファーマティブ・アクション
・女性差別是正の措置としての導入されたアファーマティブ・アクションを過剰なものとみて自由主義・平等主義の立場から批判するもの2つに大別される。

その他
・「フェミニズムは男性を差別するための思想である」とする主張もある(男性差別論)。これによれば、電鉄会社が女性専用車両を設け、デパートの女性トイレを男性トイレより広くするのはフェミニズムに加担した民間企業による男性差別であるとして批判する。同様の主張は、インターネット上にもしばしば現れ、ラディカル・フェミニズムを指してナチズムと同一視するフェミナチという呼び方で揶揄する者もいる。
・戦争の話では「南北戦争、戦争に行かない男は受け入れない」と主張する女性がいた。「女性は全て戦争被害者」という世間で広まっている認識は、そもそも過去、女性も戦争に賛成していたという事実を無かった事にしている。後から合理化(戦場に送られたのは男性であり、当時の支配者階級者も全て男性だった)した結果、戦争は全て男性側の責任である、とした。そもそも人間とは「合理的な生き物ではなく、後から合理化する生き物である」事は既に知られており、フェミニズムが女性が賛成した事実を否定する事は困難である。

女性差別を撤廃したら、男女平等社会になるのか?

 例えば、上記事例は女性差別を無くしたら無くなるのか?(因みにジェンダーギャップ指数には上記項目は含まれていない。恐らく自殺率が男女比で女性が増えると入れてくるだろう)
 そもそもフェミニズムの語る男女平等とは「全ての面において男性が有利である」が大前提だし、ジェンダーギャップ指数は男女比が1:1になる事が男女平等と言っているので、その大前提に乗るならば、以下の様になる。

・自殺率が1:1  女性の自殺率が2倍に上がる
・職業比率が1:1 女性の教員や看護婦、保育士の激減
・収支割合が1:1 稼ぎがない女性は結婚も何も出来ない(因みに現代日本では、恐らく女性の支出割合は結構高い筈だ。)
・性差別のアファーマティブアクション撤廃 男子校女子校の共学化(女子大の共学化)
・性表現規制 BL本禁止、レディコミ禁止、男性グラビア禁止
・DVや強姦罪の女性加害者激増
・戦争による女性戦闘員の死亡率激増
・男性トイレ・女性トイレが無くなり、共同トイレになる
などなど。

 フェミニズムの語る男女平等が達成したら、上記の状態になるのか?というと、到底そうは思えない。
 つまりフェミニズムの語る男女平等は女性側に対してのみの話であり、男性側について語っていない。
 それはフェミニズムとして正しい。
 何故ならフェミニズムはそもそも男女平等なんて語っていないし、それを語りだしたらフェミニズムではない
 それでも「フェミニズムは男女平等を語っている」という場合、それは片側だけの差別を語っていて、他方の差別を無視している為、そう言っているだけである。
 つまり「女性の生き難さは語るが男性が生き難いなんて初めから思っていない」から「男女平等を語っている」と言える。若しくは「男性はこんなに生きやすいのにそれでも自殺者が多いのは自分自身にバイアスをかけているのが問題でそれは男性自身の認知の問題だ」だろうか。
 だとするならば女性に対しても同じ事を言っても良い。「女性が不幸だと思っているのは認知の問題なのでその認識を変えれば良い」と。因みにフェミニズムは構造を批判する事で乗り越えた歴史がある。それをわざわざ自分から否定しに行くのは過去に遡る行為であり得策だとは思えない。
 そしてこれ、もし本気で言っている(思っている)とするとなると、フェミニズムとか関係なしに、相当危険な思想だと感じる。だって「私が生きやすくする為にあなたの認識を変えなさい」と言っている訳だから。つまり他人は全て「自分を利する為に存在する」と考えているという事に他ならない。(因みにこれは男女逆でも成立する。「私が生きやすくする為に女性は男性以下の生活をしなさい」とか)

 フェミニズムが真の男女平等を語っていて、尚且つ女性の方が生き難い、というのが正しいとしたとしよう。
 命の問題を語ろう。正しく生き難さに対する直接的な話である。何故男性側の自殺率がこんなに高いのか?それは生物学的な根拠によるのか?
 フェミニズムは、自殺率の男女比が生物学的に根拠がある事を証明しなければならない。(因みに過去に遡り、自殺率が男女比約1:1の箇所が出たり若しくは男女比がひっくり返った瞬間があれば、証明出来ない。若しくは「その時はあれそれで。。。」という説明を延々と考え続けなければならないし、もしそれを始めたら逆に現代も「この時は生き難さはあれこれで。。。」という説明が出来てしまう事になる)
 「フェミニズムが男女平等を語っている」と思う人は是非やって見て欲しい。因みにフェミニズムは「女性が戦争に加担した」という事実を無かった事にした(後から合理化した)という事実がある事を付け加えておく。(後から合理化するのは誰でもするけど)

女性は性差別主義者?

 「いやいやそんな事はない」と言うかもしれない。それは何処から来ているのか?それをどうやって証明するのか?

 1つ、女性は性差別主義者である事を証明してみよう。
 現代日本では、男性と比較し、女性は男性を商品のように扱う様に出来ていている。
 良くある「男女が結婚相手に求める条件」という話。「第一が、」とかあるが、これを異なる視点で見て見よう。結婚相手に求める条件の面積で見て見るのである。これは「結婚相手に求める機能」と言い換えて貰えばよい。機能が分かり難ければ、スペック、でも良い。

 共働きが当たり前となった社会において、このバランスは非常に象徴的です。これからの男性は仕事ができるのは当たり前で、そのうえにパートナーの仕事への理解があって、育児や家事もそつなくこなせなければいけないのです。
 そして何より図4を一見して気付くのは、男性から女性に求めるものより女性から男性に求めるもののほうが総じて多いことです。棒グラフの面積が明らかに違います。

 つまり、現代女性は、男性に対して「自分が自由に使えるお金を沢山持ってきて、自分が納得する家事が出来て、自分が納得する育児もする」機能を要求してる。
 いやいや私は違う?大きな物語を舐めないで欲しい。あなたが認識していないだけで、あなたはそう出来ている。もし違うと言うなら、クロード・レヴィ=ストロースの構造主義を否定して欲しい。そしてそれは同時にシモーヌ・ド・ボーヴォワールの第二の性「性差別はとても根深く、血の中、骨の中に溶け込んでいる」の否定だ。フェミニズムの古典の否定。それはそれで面白いかもしれない。

 差別撤廃運動とは、初めに言葉(ラベリング)にする所から始まる。そうしないと差別と認識出来ない。DVもそうだしハラスメント系もそう。
 現代女性は、男性差別を認識していないから「自分たちが今まさに差別しているし、フェミニズムが男女平等を語っていると主張している事自体(片方の差別を無視する)が間接差別を行っている」事に気が付いていない。何故ならそれが差別だなんて知らないし「男性は生きやすい」と思い込んでいるから。
 これは何処から来ているのか?「大きな物語」から来ている。
 これ、悪いけど、そんなに生易しいものではない。男らしさとか女らしさとか、そんな簡単な言葉の問題では無い。そもそも言葉ですら、そんなに生易しいものじゃない。

 例えば「大きな物語」を完全に否定する為には「ありとあらゆる言語での思考をやめる」という事である。つまり「あなたの自己形成の根幹を揺るがす事」位の大きな事なのである。人は言葉で出来ている、のである。極端な話「あなたの世界は全て言葉で出来ている」と思って貰って良い。言葉が無いものは認識できない。

そもそもどうなったら男女平等なの?

 正直、ジェンダーや女性差別を語っている人の殆どが「差別とは何か」に向き合っていると思っていたが、どうやらそれは勘違いしていたのかもしれない。
 そもそも男女では大きな物語が異なるので相互理解は不可能だ。(極論、個々人も物語が異なるから相互理解は不可能)
 何故なら、人間は主観的な生き物である。言い換えるなら主観でしか世界を認識できない。自分の中にその世界が無ければ分かりようが無いから、である。

 例えば、リンゴを食べた事が無い人に対して、いくらリンゴの味を語ったとしても伝わらない。リンゴの味が伝わるのはリンゴを食べた経験が自分の中にあるからである。先天的に盲目の人に対して、空の青さをどう伝えるのだろうか?自分に犬の気持ちが本当に分かるだろうか?アユは?虫は?木は?

 今ですら、女性の生き難さを男性が語れないにも関わらず、男性の生き難さを女性が語れる、というのは傲慢だ。だからと言って「理解する努力をしない」というのは違う。理解出来ないけれど、理解しようとする努力は出来る。
 その為にも、今、生き難さを感じている男性は、声を上げなければならない。noteでも何でも良い。いま感じている生き難さを声に出さないといけない。何でも良い。下手でも良い。ぶっちゃけ「フェミニズムのこういう言葉が生き難い」でも良い。言わなきゃ何も始まらない。
 それに対する「男らしくない」「カッコ悪い」「女性差別だ」という意見は逆に大歓迎だ。それこそが正に「男性差別をしている」という証拠になる。「男性の命は女性の権利より劣る」と言っている証拠になる。

 もう一度繰り返そう。
 フェミニズムは今も昔も男女平等なんて語っていないし、語る必要もない。
 同様に
 マスキュリズムは今も昔も男女平等なんて語っていないし、語る必要もない。

 だからこそ、フェミニズムとマスキュリズムは、手に手をとって男女平等社会に向かえるのだ。

 ポスト・フェミニズムは「HeForShe」と言った。
 であるならば、マスキュリズムは「SheForHe」と言おう。

 何の為に?GDPやSDGsや少子化やましてはジェンダーギャップ指数なんてくだらないものの為では断じてない。
 わたしと、わたしの大切な人が、みんな幸福になる為
 これが唯一であり、全てだ。それ以外全ては関係ない。GDPが上がろうとSDGsを達成しようと少子化が解決しようとジェンダーギャップ指数が1:1になろうと、わたしたちが不幸せなら何の意味もない。

 但し、それは女性差別と同様に男性差別が「血と肉に深く刻まれている」事を認識してからでないと難しいのではないか、と感じる。
 あなたの大切な男性(父親、兄弟、息子)が、殺され、自殺し、不条理な扱いを受け苦しむ姿を実際に見るか、若しくは想像出来るようになった後でないと大変難しい、と感じる。もう少し言うなら「私は男性差別をしているのではないか」と認識して初めてその土台が整う。「私は男性差別をしていない」は「私は女性差別をしていない」と同義だと気づいた後でないと難しいのではないかと思う。
 そう考えると、フェミニズムがそうして来たように、マスキュリズムも男女対立の物語を歩むしかないのかもしれない。フェミニズムが自身の歴史を通して学んだ内容を反対側に向ける事が出来ないのなら、逆の立場になってもらうしかない。

上野千鶴子氏の言葉を借りるならば、現代女性は全員いつか「おばさんは恐竜のように消えていただくしかない(笑)」と言われる時代が来る。(因みに上野氏はワザとこういう言い方をしていると思うが。)

「全ての差別反対運動は、カテゴリ(ラベル)を解体し、個人へ還元する」
 この意味を、もう少し真面目に真剣に考えた方が良い、と思う。 
 悪いけどこれ、物凄く恐ろしい話なんですよ?

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写真小作家 みんなのなわたん
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