ルサンチマン(フリードリヒ・ニーチェ)
ルサンチマンとは、弱者が絶対に敵わない強者に対して抱く嫉妬・増悪などの事
ルサンチマンとは、自分が所属する集団の価値基準(道徳とか)と自分の価値基準の間のGAPに対して、ネガティブな感情を抱くこと、である。
人はそれに対してどう対応するのか、というと、「服従」するか「転倒」するかの2種類。
服従とは
自分の価値基準を集団の価値基準に服従させる、という事。
例えば、ブランドバックや車、新商品など、周りが良いと思っているモノに対して、自分はさておき、服従する。(最近では鬼滅の刃など)
服従はとても分かりやすい。
別に面白くないけど、鬼滅面白いよね、とか。(自分は面白いと思うけど)
これはこれで生きにくいとは思う。だって自分は面白くないのに、面白いフリをしなくてはならないから。
転倒とは
集団の価値基準を否定する価値観を構築し、それを正当化する。
例えば、お金だけが全てじゃない、親が悪い、自分が評価されないのは社会が悪い、とか。
鉄板ネタとして、「すっぱいブドウ」という話がある。
あるキツネが、ブドウが欲しくて色々と頑張るが、手に入らない。そして最終的に「あのブドウはすっぱいに違いない」といって自分を慰める、というお話。ブドウが欲しいなら、手に入るまであの手この手で努力すれば良いのだが、それをしない。
このキツネさん、その後どういう生き方をするのだろうか?
このキツネさん、自己正当化の為に最大限の努力を行い、「弱者」である事により人より優位に立とうとする。
そして人より優位に立ち続ける為に、弱者であり続ける(人のせいにして、努力を放棄し、課題から逃げ続ける)努力をする事になる。
何故なら、「努力して手に入れた喜び」を知らないから。
そしてそれは、幸せな生き方なのだろうか?
現代社会のルサンチマン
昔は富は交換に基づき、人は生まれ(士農工商とか)に基づいていた。
その後、富は生産に基づき、人は役職(労働者、資本家)に基づいていた。
では現代は、富は差異(コトの消費)に基づき、人はフラット(自由・平等・公平)になっている。
つまり、現代は個人主義(個性=人との差異)であり、ルサンチマンに極端に弱い構造であるにも関わらず、ルサンチマンを生産し続けている状態にある。
格差社会と言われているが、「あの家はあんなに裕福なのに何で我が家はこんなに貧乏なのか」とか。
「同じ人間なのに不公平だ」とか。
とてもルサンチマンに弱い構造になっている。
その人の価値基準の転倒が何に根差したものなのか、見極める必要がある
ある人が正しい事を言っていたとしても、その人が何をやっているのか、その行動により見極める必要がある。
何故ならば、ルサンチマンに根差した人に権力を渡した場合、碌な事にならないからだ。
そしてそれは自分自身にも当てはまる。
自分の言葉はルサンチマンに根差していないか、そしてそれは自分を不幸にし、もし自分がそれを手にした時、碌な事にはならない、という事を忘れてはならない。
フランシス・ベーコン
「富を軽視するように見える人々を余り信用しない方が良い。富を得る望みのない人々が、それを軽蔑するからである。こういう人々が富を得るようになると、これほど始末に困る手合いはない。」