写真の価値を広めたい。
今考えているのは、カメラマンの新しいビジネスモデル。
カメラマンと言っても、プロだけじゃなくてセミプロとかハイアマとかの人達含めて。そこと企業を結んで、こんなモデルでビジネスできるんじゃね?というやつ。
写真を撮る事を楽しむ事。あとカメラ人口を増やす事。
写真に価値を見出すのは誰?というと、人間。
なので人間って何だろう?から始めます。
人間って
人間って、自分の一生より長い物に価値を感じるんですよね。例えばお金とか土地とか。
そして写真って実は人生より長い価値を持つ可能性があります。写真を見た時に過去の記憶が呼び起こされます。つまり写真って100年後に連れて行ってくれる道具でもあるんです。
人間って、急激な変化に対応できるようには出来ていないんですね。それなのに昨今の時代変化は急激すぎて、それが生き難さに繋がっている。ならば変化に振り回されない生き方にすれば良いんじゃね?という発想。
人間って、「虚構に縛られた社会的な生き物」です。
人類史500万年以上の営みで人類が繁栄した理由は何かというと、ユバル・ノア・ハラリは「人間とは虚構を構築し共有し分業する能力によって食物連鎖の頂点に立った生き物である」と表現しました。つまり「人間は虚構に縛られた社会的な生き物」である。これが人類史500万年、変わらない事。
犬がワンと鳴くように。猫がニャーと鳴くように。
人間は「人間は虚構に縛られた社会的な生き物」でなんです。
写真の価値って
写真の価値って、実は人の一生より長いんですよね。そこに気が付くと、写真は消費するモノから抜け出して、もう一つ上の段階へと進めると思っています。
一般的に良い写真って、いいねが沢山貰える写真とか見て感動を覚える写真とか思われてます。確かにそれも良い写真だと思いますし、そういう写真撮れたら嬉しいです。でも、100年後にたった一人が感動する写真、それも良い写真だと思うのです。
そんな写真が撮れる確率ってどれくらいでしょう?
正直、わかりません。だた、枚数増やせば増やす程、100年後に届く枚数は増えます。100年後のたった一つの良いねの為にカメラ人口を増やそうとしてます。
自分ひとりで撮れる写真は年間でも3万枚くらい。あと20年続けたとしても60万枚。これが10人だと、600万枚。100人だと、6000万枚。枚数が増えるほど、100年後の未来に到達する可能性が高まります。
まとめると。
今日の100万の良いねはコトの消費。寿命が短い。
100年後の1つの良いねもコトの消費。寿命が長い。
写真で世界全体の幸福量を増やすには沢山の人が創造者となり沢山の人達を撮り100年後に持って行ってもらう。
100年後に持ってくのは誰?
100年後に持ってくのは誰?というと、100年先に生きてる人。つまり自分より若い人。その人が未来にその写真を見て記憶を呼び起こす。呼び起こされる記憶が良いねを付ける。
写真は物語と言われますが、物語って何処から生まれるか?というと主観から生まれます。そして主観は体験から。
みんな大体似た様な体験をしてるから、異なる主観でも物語を共有できた気になれる。雑だけど「虚構を構築し共有する」の部分。厳密には全く同じ体験をしてる人はいない。
一般化出来る物語は沢山の人の共感を得られるけど、変化の激しい現代では100年持たない。つまり現代では、今日の100万個の良いねは、人の一生を超えられない。
100年持つのは個人の物語。つまり、その人個人の体験。
例えば、親の喪失後、親と一緒に写っている写真を見る。過去の記憶が蘇る。それが100年後の1つの良いね、となる。
そうなると、その写真の価値は人の一生を超える。
過去も未来も虚構で、実在するのは現在だけ。未来の現在で過去を思い出した時に良いねを得る為には、現在の「写真を撮る時間」を幸せな時間にしないといけない。
そしてもう一つ大事なのは、撮り続ける事。撮り続ける為には自分を搾取されてはいけない。人間の本質から外れてはいけない。
その為に必要な仕組みはビジネス化。
という訳でタイトルに戻ると、そういうビジネスを考えてます。
追伸
Creation Creates Happiness.
創造は幸福量を増加させる。それが人類全体の幸福量を増加させる。
なので、写真そのものじゃなくて、撮り方を広めようとしています。
因みに創造(クリエイト)って、芸術系だけじゃないです。
例えば料理や掃除とか。何かを作り贈る事。つまり贈与の関係であり存在の話。
そしてコレも実は中期的な目標。
本当に辿り着きたい目的地は、1stPlaceの再構築。
つまり、これ。