The Catcher in the Electron ⑦

 次の日、俺は昼過ぎまで眠ってしまった。琴音は先に起きていた。深刻な顔つきでLINEをしていた。

「客が店の外で会おうって言ってきて、それ用のコースがあるから予約してって言ったら怒ってきた」

 俺が目覚めて早々彼女が話しだした。

「じゃあ裏引きしたことお店に言うって脅してきて、そしたらお前もアウトだよって言ったら更にキレた。まともに会話できないんだけど」

 琴音は見たことのない攻撃的な目をしていた。

「もうめんどくさ。明日出勤したとき店長に言お」

 そう言ってシャワーを浴びに言った。部屋にあるのはお土産ではなくいっぱいになった灰皿。昨日の余韻に浸ることはできなかった。


 翌日琴音が出勤してすぐ電話がかかってきた。

『クビになっちゃた』

 泣いているのが通話越しでもわかった。

『風鈴会館まで迎えに来てほしい』

 部屋着のまままクロックスを履き急いで向かった。彼女は震えて待っていた。何も聞かずホテルに戻った。

 彼女はゆっくり、というより途切れ途切れに何が起きたか説明した。昨日の客が店に電話をし、あることないことクレームを吐け、別れた内勤が彼女の勤務態度の悪さなんかをまた付け加え、店長に報告したとのことだった。

「私頭悪いから、何も言い返せなくて」

「琴音は悪くない」

 抱きしめながら繰り返した。

「お金無くなっちゃうよ」

「俺が稼ぐから」

「たくみの店にも行けなくなっちゃう」

「来なくていいから」

「一緒にいれない」

 小刻みに震えている。

「私がお金稼げなくなってもいなくならない?」

「そんなわけないって」

 俺はシフトを最低限にし、一人暮らしの家に連れていくことにした。


 日吉の部屋で二人の生活が始まった。琴音はずっと家にいて、俺が出勤するたびに「行かないで」と言った。琴音を落ち着かせてから家を出ていたので、遅刻することが多々あった。帰ってくるとODしていることも度々あった。そのため2Lのポカリスエットとストローを常備した。琴音が便座の前で倒れこみ、繰り返し嘔吐する姿を見るのはとても辛かった。俺といるときにも睡眠薬をODしようとし、力ずくで取り上げると琴音は俺を殴る、なんてこともあった。とにかく一人になると不安から危険なことをするので俺も仕事以外では外出できなくなった。売り上げのために女の子と外で会う、なんてできるわけがなかった。ゆいからはいつのまにかブロックされていた。

 それでも風俗の仕事をやめたからか、普段は精神的に安定していた。ニンテンドースイッチを買って一日中遊んだり、部屋にある漫画や本について琴音と話したりした。相変わらずパイナップルの乗ったピザを出前で頼んでいた。段々生活がその部屋で完結するようになった。


  一ヵ月程が経ち、四日ぶりに出勤した日、あまねさんに呼び出された。

「黒亜さ、最近仕事にやる気を感じられないんだよね」

 開口一番そう言った。

「すみません、いま色々あって…」

「何?」

「個人的なことです……」

「花子ちゃんだろ。わかるよ」

 嘘を吐くことはできず、黙った。

「店に来ない女に時間使うなよ。向こう思いあがってんだよ」

 一緒に住んでいて、彼女が精神的に不安定で、なんて説明をこの人にはしたくないと思った。

「ホストが女に入れ込んでどうすんだよ。色恋と色ボケは違うから」

「すみません」

 それしか言葉が出なかった。

「情けねぇな。これからどうすんの」

「…出勤します」

「口ではそう言えるよな。実行しろよ。やる気ない奴応援しようとは思えないから」

 始発で家に帰った。琴音はODも自傷行為もしておらず、どうぶつの森をしていた。

「おかえり!」

 彼女の笑顔に明るく合わせられなかった。


 それから、久しぶりにまりなが来た。

「最近全然出勤してないね」

「ちょっと大学が忙しくて…」

「嘘でしょ」

「いや……」

「同じ女の子とビジホに入ってくとこ二回見たよ」

 息が止まった。

「別に怒ってないから安心して。担当に女がいるかもしれないことくらいわかって遊んでるから。むしろ正直に話してほしい」

 お店のLINEグループでまりなと二人になる旨を伝え、正直に話した。

「案の定大変な女の子捉まえちゃったね」

「…うん」

「どうするつもりなの」

「捨てるなんてできない」

「今の話じゃなくて、今後の人生。彼女と一生ずっといるの?そもそも黒亜いい大学行ってて、ホストの仕事も最初は上手く行ってて、どっちを選ぶかは知らないけど、彼女と一緒に居て、やっていけるの?」

「そんな、先のこと考える余裕なんてなかった」

「それに彼女のことも考えて」

 彼女はお酒にもアイコスにもまったく手を付けていない。

「彼女は今黒亜がいないと生きていけない状態でしょ。いま別れるなんて考えられないかもしれないけど、そんな状態のまま彼女を大人にできる?ずっと誰かに依存して、一人では生きていけない、弱い存在に彼女をしてしまっても責任は取れるの?」

 隣の卓が騒がしく、疎ましかった。

「ごめん強く言い過ぎた。一人でも生きていけるようにならないと、彼女幸せにはなれないよ。黒亜も」

「ありがとう」

「疲れてるよね。今日は私の卓でゆっくりしていって」

 そうして彼女は延長をし、終電で帰れるように口実としてアフターにいく体にしてくれた。

 部屋に戻ったものの、俺が終電で帰ってくると思っていなかった琴音は眠っていた。ずっと逃げたかった彼女が、やっと安心して眠っているように見えた。俺はメイクも落とさず彼女の体に腕を回し眠った。


深夜、入れ違いで起きた彼女は眠っている俺の体を揺らした。

「起きて。寂しい」

 疲労がたたって起き上がることができなかった。

「寂しい!」

 彼女が大声を出す。回らない頭で返事した。

「ごめん寝不足で…」

「セックスして」

 彼女から求めるのは初めてだった。

「今はしんどいかも…」

「いつもしてあげてるじゃん。私を大切にしてよ」

 俺の肩を強く押す。固まった体で彼女の上に覆いかぶさった。固くなりきってないペニスをいれた。固くしようと体を前後したが意味はなかった。

「ごめん。たたない」

 彼女の顔を確認した。すごく和やかな、安心したような表情をしていた。

「いい。そのままでいい……」

 繋がったまままた眠りについた。それが俺たちの最後のセックスだった。

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