The Catcher in the Electron ①

  俺と出会おうが出会わまいが、きっと琴音は死んでいて、たまたま最後にそばにいたのが俺ってだけで、自責の念にかられる必要は無いんじゃないかと自分に言い聞かせている。だって死にたがりは死にたがりなんだから。なんなら取り残され記憶に苦しみ続けている俺は被害者なんじゃないか? 首を吊った琴音の姿は言葉でも表したくない。琴音は今まで、散々ロクでもない男にコケにされ体を売って、自ら不幸に飛び込むような人生を送ってきた。むしろ俺が琴音の人生の中でもっともマシな男で、他の男どもの方こそ罰を受けるべきじゃないか?俺が殺して回ってやりたいくらいだ。

 それは違う。琴音の残したメモ帳の一節を読む度に思い直す。もし俺以外のロクでもない男どもと付き合っていれば、まぁぞんざいに扱われ、捨てられ、次の男の元に行って、それを繰り返して、なんだかんだ生きながらえていた、少なくとも若くして死ぬことはなかったと思う。別に自分が誠実だなんて微塵も思わない。ただメモ帳にはこう残されていた。

「私の唯一の理解者」




 〈本日の体験入店、問題なさそうですか??〉とメッセージを送信して十分後、〈大丈夫です!よろしくお願いします!〉と返信が来た。外に出る準備は済んでいて、それを確認しそのまま家を出た。

  日吉駅から新宿まで、乗り換えを一回して四十分ほどかかる。慶應に合格してキャンパスに近いマンション借りたものの、大学には全く行ってないし、いっそ東新宿辺りに引っ越そうと思う。費用も貯金と合わせてそれができるくらいの金額が今月手に入る。新宿駅に着くまでもスマホを使い、ひたすら仕事をする。仕事と言うのはスカウトだ。ただスカウトと言っても、モデルやアイドルの卵を探すスカウトではない。女性を夜の仕事に引きずり込むスカウトだ。俺が主に紹介するのはキャバクラ、ガールズバー、リフレ、ヘルス、ソープなど夜の店全般。流行りのコンカフェは管轄外。スカウトバックが入らない。

 スカウトであるからにはひたすら女性に声をかける。しかし俺は街中ではなくネットを主な仕事場にしていた。実際に直接、だしぬけに声をかけるようなことは苦手だ。けれどネットでのそれはわけが違う。

 ネットにしろ、そうでないにしろ、やることは言葉のやり取りだ。

 言葉というのは、文脈ありき、文脈があって初めて、その意味を持つ。だから、唐突であればあるほど、簡素であればあるほど、その文脈に欠いた言葉は、内に作意と不自然を孕む。スカウトというのはまさにそんな言葉の応酬だ。

  でもネットのそれには「人格」が存在する。たとえそれが表面的な作り物だとしても。街中での声掛けは相手に与える情報が限られている。ルックス、身に纏うブランド、話し方、落ち着き、余裕、それらの逆説的な恐ろしさ。半分脅しのように、相手に考えるスキを与えず夜の仕事に引っ張り込む。そんな街中でのスカウトに対して、ネットのそれには強迫性は無く、相手も考える余裕がある。肝心なのは用意した人格。

 「ぱーらめんと」。それがツイッターでの俺の名前だった。アイコンはネットで拾ったカートコバーンの写真。ヘッダーは古谷実の漫画のワンシーン。薄っぺらいアナーキーさとありきたりなデカダンスを演出する。それが健全な社会から楽に逃避したい奴らにウケる。

  フォロワーは9,400人ほど。普段は映画や音楽、恋愛、そして夜の街ついて呟く。よくツイートに反応をくれるフォロワーが数えきれないほどいて、その八割くらいは女性だ。

〈こんにちは。ガールズバーのお仕事に興味ありませんか?〉

  その中から一人を選んでDMを飛ばす。内容について、相手の性格、特徴を踏まえ推敲する、なんてことは必要ない。文脈は俺が作り上げた人格にすでにある。


  インターネットはしばしば海に例えられるがそんなことはない。作り上げた人格と文脈が、誰かにとって「見えるネットの世界」の大きな存在となり、ときにはそれが「すべて」になる。インターネットは狭い。

  作り上げた人格と文脈が、見える世界のすべてになった彼女らに、改めて文脈を用意する必要はない。彼女らの多くが狭い世界のなかで、作り上げた人格と文脈に憧れる。

  反応がなければまた次のアカウントに送ればいい。テンプレートのメッセージをひたすら数打つ。


 そんな感じでメッセージを何件か送っているうちに新宿三丁目駅についた。都営新宿線に乗り換える。

〈もうすぐ着きます、どのあたりにいますか??〉

〈東口出てすぐの銀の手すり(?)みたいなとこです!〉

 今日の女の子は十八歳で、高校を中退したばかりだ。だから風俗やキャバクラでは働けない。リフレに連れていく。高校を中退した十八歳は「中退年齢」とサイトに書かれ人気が出る。了解です! と返信しているうちに新宿駅に着いた。しばらく歩き東口に出ると時刻は二十時四十分で、殆どの人が歌舞伎町の方に歩いていく。

 おそらく例の子がいるスラロープには女の子が何人かいてどれが彼女かわからない。電話をかけるとすぐに出た。

『お疲れ様です。今着きました。どんな服装ですか』 

 あっ。お疲れ様です。えっと…と言い終わるまえに、スマホを耳に当てる彼女を見つけた。

「お疲れ様です」

「えっと、よろしくおねがいします」

 彼女は目を開き、こちらを見ながら、頭を前に出す感じで下げた。ずっと画面越しに見ていた俺の実際の姿をまじまじと見ているようだった。

「時間も時間なんでいきますか」

 彼女は埼玉に住んでいるらしく、歌舞伎町に来たことはないと言う。俺は一番街を通るのをやめ、少し遠回りになるが区役所通りから向かうことにした。一番街からTOHOシネマズの東の通りはキャッチ、ナンパ、酔っ払いでごった返していて、彼女にそれを見せるべきではないと思ったからだ。入店するまでは余計な警戒心を抱かせたくない。

  今日のお店は学園系リフレでは一番有名で、安定して稼げると思います、と無難に店の説明をしながら歩く。

  事務者のドアを開け「お疲れ様ですスカウトの堀北です」と言うと一歩後ろから彼女が「はじめまして」とだけ言い会釈した。

入るとすぐテーブルとソファーがあり、左手のパーティションの向こうではおそらく在籍してる女の子が待機している。

 彼女は身分証住民票を預け書類を書く。書類でわからないところがあれば俺が説明する。一通り書き終えて店のシステムの説明が始まった。

「では自分はここで失礼します。終わったらLINEください」と言い事務所を出た。

 外に出ると軽い雨が降っていた。先月の給料を受け取りに会社の事務所に向かう途中、電話がかかってきた。画面には「りな」と表示されている。以前俺がヘルスを紹介した子だ。

「お疲れ様、どうしたの?」と出るが、聞こえるのはすすり泣く声だけで何も喋らない。「りなちゃん?」「大丈夫?」「仕事のこと?まなとのこと?」と繰り返すうちに喋り始めた。

〈今日おじさんに本番迫られて〉

「うん」

〈スタッフに電話したけど出てくれなくて〉

〈ほんとに嫌だったんだけど怖かったから挿れさせちゃって〉

〈終わったあと出禁にしてほしいって言ったんだけど〉

 今度は相槌を打つ間もなく喋りだした。

〈それも適当に流されちゃって〉

〈でもまなとの店に売り掛けあるし〉

〈やめれないし〉

〈ほんとにつらい〉

「辛い思いさせちゃったね。そんな悪い評判めったに聞かないお店なんだけど。上の人に言っておく。それでも今の店がしんどかったら新しい店紹介するから、それまでは頑張ってみて」

〈わかった……〉

「スタッフさんがしっかりしてるお店はいっぱいあるから、いつでも相談して」

  彼女とは体験入店の前に一度会っていて、高級店や比較的高めの店舗で働くのは厳しいと思い、あまり良い評判の聞かない大衆店を紹介したが、想像以上に劣悪な環境だったようだ。その店舗はもう紹介しないことにした。スカウトとしての信頼に関わる。

  事務所まで花道通りを歩く。無料案内所とホストクラブの看板の光が水たまりに映る。この時間になるとキャッチも増えている。彼らは傘を差していない。ホストらしき見た目の男がジャケットを頭の上に広げ、その中に女の子を入れている。それ以外の道行く人はみんなビニール傘だ。雨であろうと、この街の夜は相変わらず賑わっている。

  この街に来ると安心感と孤独感を同時に抱く。と言うよりは、孤独感がどこか安心感を与える。声をかけてくるキャッチも俺に無視されたところで何も感じないし、ホストらしき男もそのジャケットで雨よけしている女も、目の前の女と男にしか興味ない。この街の人間関係なんて、今溢れかえっているビニール傘みたいなものだ。簡単に手に入れられて、失ったり、忘れたり、盗まれたりしても、「残念だなぁ」くらいで終わるビニール傘。しょせん他人は他人、でも今だけはこの夜を楽しもう。いつかは終わるけど。きっとみんなこんな感じで、それを繰り返して、この街に何年もいる。

  そうでもしないと、いつか取り返しのつかない傷を心に負う。


事務所についてしばらく待っていると社長が出てきた。給料が入った封筒を持っている。

「はいこれ、今月はだいぶ入ってるよ」

封筒を受け取った。

「ちょっと今取り込み中だから、給料確認して不備とかあったらあとで教えて」

そう言って社長は奥の部屋に入っていった。

「おー堀北!今月だいぶ入ったらしいじゃん」

封筒の中身を確認する間もなく先輩の峰岸が話しかけてきた。彼は大学でもこの会社でも先輩だ。

「あ、峰岸さんお疲れ様です」

「お互い景気がいいな。この季節はお上りさんを回してくれるホスト様様だ」

 愛想笑いで返す。

「いやまぁ心配してたんだよ。あれから。よく立ち直ってこの仕事始めてくれたと思うよ」

 立ち直った、そんな風に見えるのか。と思っていたら愛想笑いすらしていないことに気づいた。

「ありがとうございます。まぁ忙しくしてたら余計な事考えずに済むんで」

「そうか。それならよかった」

少しの間の後峰岸は続けて言った。

「久しぶりに行くか!」


 タクシーは明治通りを南下していき左折。しばらくして西麻布に着いた。麻布は新宿に比べれば一見普通の街だ。とりわけ高い建物ものなく、アパート、マンションがあり、クリーニング屋があり、外苑西通り沿いの街路樹は景観をよくする役目は果たしていない。しかしコンビニの二件隣の、カフェのようなレンガ造りのビルの二階、ラウンジ「セルシア」に入ると別の世界が広がる。

 赤と黒を基調とした薄暗い店内。過密なく人が座っていて、どこからか笑い声が聞こえ、向こうのシートでは腕の時計に負けている小太りのオッサンがキャストといちゃつこうとしている。

 奥のテーブルには二人掛けのソファーが二つ壁沿いに置かれていて、俺と峰岸は分かれてソファーに座り、それぞれにキャストがついた。注文した酒がくると峰岸は煙草の火を消し、乾杯をした。

「こいつさ、言っちゃあなんだけど陰キャっぽいじゃん?前見えないだろってくらい前髪重いし」

「確かにミステリアスな感じはしますね」

「でもさ、俺達スカウトやってるんだけどこいつすげぇんよ。半年で長年スカウトやってる奴らごぼう抜き。紹介した俺も会社での株あがりまくりだし、今日はこいつおだててやって」

「普通でいいですよ。普通で」

「峰岸さんの紹介ってことは慶應ですか?」

「うん。全然行ってないけど」

「はーやっぱり! 私早稲田落ち明治でーす」

 ぴーす。そんな会話が続いてなんだかんだ酒も進んだ。


  マティーニが空になった。この場所は寂しい。

 女と言う記号。その記号に欲情する男もまた、自身の欲求を金という記号で示す。ここに来る男達は大抵それなりに金を持っていて、働く女もそれに応じられる程の洗礼された女らしさを持っている。すべて記号だ。その空虚、寂しさが潜んでいる。店内に漂う煙草と香水の匂いが、それらを誤魔化す。


 LINEの通知が鳴った。

〈入店決まりました!〉


  別に金を使う趣味もなく、収入は生活費と学費に充てられるのみ。ただ、手に入れた札束は、俺が女を、己の利益にできる人間だと示す。男どもの惨めな欲望から出た金を、彼女らの性に一度浸し、そのうちいくらかを懐に入れる。そのために俺は、寂しさと性欲を昇華する機械の操縦者として、余計な心の弱さを捨てる。自分にそう言い聞かせる。


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