日々是雑感2021/06/15
アドレナリン全開の東京視察を終えてからの日常は、元気になりすぎたというプラスの副作用が働いて、1日寝なければ落ち着かないという贅沢な時間の無駄遣いをして、やっと正気に戻ったのだった。
東京という街は新陳代謝が常に行われ続けているイメージがある。政治的にも、経済的にも、文化的にも常に新しい視線や新しい提案、発見がある。それだけでも大きいのだが、やはり1度東京行くという荒治療が功を奏したのかはわからないが、精神的にも穏やかに、そして楽になり、目標が立てやすくなったというのは、今まで得られることがなかった「何か」があったのだと思う。
もちろん、東京であるものが愛知にない、という固定概念を取り払ってくれたものもある。処方箋なしで医薬品が買える制度、東京で買えるものが愛知でも(名古屋でも)買える薬局があること、うつ病で色々問題があり、バイアグラの院内処方をしてくれるクリニックにも相談したら、薬の飲み過ぎとも指摘をもらったこと。それだけでも不思議なことに自分の体調面での理解が深まった。
そしてありがたいことに、東京でよく行く日本橋の福徳神社、新大久保の皆中稲荷神社、青砥の立石熊野神社へ行って、自分が生きていることに感謝のお参りに行けたことである。その3社は自分の中では縁深い神社で、新大久保はブラタモリがきっかけで、福徳神社はたまたま日本橋界隈を歩いたときに、立石熊野神社は名古屋晴明神社がきっかけでお参りした箇所である。結縁なのだろうか、日本人は何がしかに縁を感じる傾向があるが、特に自分はそういった神仏に縁を感じている。それは今まで体験してきた占いに関しても同様のことが言える。自分が可能性を信じて行った道に違いがないことがはっきりした。横浜や名古屋で対面で占ってくれた合計3人の占い師の言葉を一つ一つ思い出しながら、今日も生きている。
大学や大学院で仏教絵画、宗教学を一通り学んだからなのだろうか。それとも今の時代においてつながりを求めているのだろうか。はっきりとしたものはよくわからないが、それが一つ一つのつながりを感じ、自分を形成しているのが段々とはっきりするようになってきた。
今の状況がどうなのか、そしてこれからどうなるのか、自分の目で確かめた現実と自分の可能性を信じたい。
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