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『ROCK READING ロビン』の考察深読みの備忘録


東京楽までに書き上げて大阪初日迎えたい・・・無理だ大千穐楽まで・・・おわっちゃった11月中・・・せめてえび座まで・・・とか何とか言ってたら今日大晦日らしくて明日から22年でまた帝劇と職場行き来する生活始まって手紙が始まりクリエやったら夏が来て現場切れないまま第三弾に突入するわけですよ、多分。来年は全ツもあるかもだし〜幸せだけど〜時間が欲しい〜わたしも13月欲しい〜現場振り返って浸る期間欲しい〜まぁ矢花さん曰く「13月があったら帝劇期間が2ヶ月になるだけ」ですが。
しかしロビン感想とかもう覚えてない。年の瀬すぎて気力もない。が、通いながら断片的に書き殴ったダイイングメッセージ的な思考メモの量は凄まじいので、誤字脱字の校正も推敲もせず文脈も情緒もないメモだけど自分用に清算します。今更感すごいけどスズカツさんも時空ゆがんだ懐古してたし、まあ第三弾迎えるまでなら「今更」ってこともないのかな~みたいな。

■ロビンの主題

ロビン通いながら向き合って書き溜めてた思考の欠片たち。文章になってないし脈略も時系列もバラバラだけど、このメモをもとに色々思考したので記録としてこのまま清算。

・兄弟の絆
・忠誠心(ジョン⇒ロビン、ロビン⇒リチャード)
・二項対立
・正義と悪
・大人と子供の狭間の少年達の葛藤
→王になりたい下剋上してやる、という野心と権威への嫌悪という矛盾を抱えているがこども
・ジョンのい涙の理由はわかるが、ロビンの涙の理由は?
→もう二度と昔のような生活は出来ないことを考えると、死ぬことの方がロビンにとっての一番の救済なのでは?
→涙の理由は、最愛のジョンが悲しむこと?
・ロビンにとっての強さ、弱さとは?
・夢、希望、自由、若さ、エネルギー
・地位、名誉、権力、金、=人間(大人)の弱さ
・夢と現実のギャップ
・無政府主義者が政府の一員となる皮肉
・シャーウッドは現実逃避の象徴?
・ロンドンに行くこと=大人になるということ
・ロビンはいつから少年ではなく大人になるのか
→森を捨てた時
・変わってしまったロビンは感謝の感情を忘れる
・忠誠心が正しいか正しくないか?
→獅子王に対するロビンも、ロビンに対するジョンも忠義を尽くした
・下剋上が一番キラキラしてる
・ロビンとジョンは正反対、一生分かり合えないない
・ロビンとジョンのラストの対比、動と静、ものすごくぽんこん
・上手いなと思うのは「本気だからな」を動の怒りではなく静の悲しみで表現するところ。
・ロビンにとって唯一の救済は死?
・永遠は無い≒死によって永遠を得た
・「兄弟は命を共にする」と言っていたが、やはり「死」も一緒?
・独りぼっちになったジョンはシャーウッドの森でどう生きるのか
・「墓に緑を絶やさないでおくれ」=お前は生きろ
→ロビンのジョンへの忠誠心を分かった上でこの命令をするのは、生きてくれ後追いしないでくれという願いなのか、エゴでは。
・復讐するな後追いするなってジョンにとって生き地獄では
・では、ジョンへの救済はあるのか?
・結局ジョンは後追いしたか?
・最後のハグの意味は?天国での再開?
→「一心同体」というのはジョンも死んだということなのか
・ロビン遺体埋葬どうして?塔に鍵かけなかった?

■ロックリーディングの根底にある主題

第1部『幸福王子』、第2部『ロビン』に共通していると感じたテーマの話。「ROCK READING」という大きな一作品の1部2部とするからには共通したスズカツさんの主張があるだろうし、何を伝えたいのかな~と思って羅列したけれど、①以外文章にする気力はなかった…第3段済の世界では形にしてくださいね、私。

「フィリア」および「アガペー」的な愛の存在
王子とツバメも、ロビンとジョンも、「友情」では言い表しきれない友情以上の絆で結ばれているけれど、その愛に一切の恋愛要素を持たせないことがスズカツさんのこだわりというか、大切にしたい愛のカタチなのかなぁ~と。どうしてもフィクションで描かれる愛は、性別は問わないけれど恋愛的な、哲学用語だと「エロス」に当たる性愛的な種類の関係性の愛が描かれがちだけど、スズカツさんはそういう類とは別次元の、哲学的には「フィリア(=友愛)」とか「アガペー(=無償の愛)」に当たるような「愛」の存在を書きたいんだな、と、ぽんこんを通して思う。ツバメの王子への愛は自己犠牲の上に成り立ってるからアガペー、ジョンとロビンはもっと兄弟愛的なフィリアでだった。朗読劇だから台詞だけだけど、ツバメは王子の唇にキスするし、ロビンは最後ジョンのこと抱きしめる(これは物理)けど、ジャニーズの顔のよいアイドル達にこれをさせて、同性愛的な恋愛的な意味を持たせずに、友情・信頼・敬意・兄弟としての愛情を表現するのすごい。ぽんこんの関係性そのものが「義兄弟」なんだろうな。
②世の中の価値とは?
・価値=富、名声、権力とされる人間の醜さ
・金がなくなると簡単に離れていく、価値はどこにあるのか?(金箔剥がれた王子とか)
・富や名声への批判 (「市長と天国の神様の声が同じ理由は?」のアンサー)
③諸行無常と盛者必衰
・おごれるものは久しからず
・金箔を纏い讃えられていた幸福王子も、王の家来として称賛を受けていたロビンも、衰退する
・永遠はない
・この世での死と引き換えに天国での「永遠」を手に入れている?
④正義とは
・正義は結局はその人のエゴではないのか?
・王子はツバメの命を犠牲にして自分の美徳と貫いた
・ロビンも死に際まで「女子供は傷つけるな」の自分の美徳でジョンの復讐を許さない
・ツバメにとって、またジョンにとって、果たして王子と、ロビンと出会ったことは幸せだったのか
・ツバメは王子の、ジョンはロビンの貫くエゴの犠牲者ではないか
⑤「神」という存在
・人間の権力を越える「神」という権力への批判?
・どちらも舞台はカトリック圏でキリスト教の「金持ちの聖職者」が出てくる。
・独善的vs宗教的
⑥ゼロサム
・「誰かの成功は、誰かの失敗」「どんなものにも、勝つ人がいると負ける人がいる」
・王権の変遷に振り回されて権力を手に入れ権力を失うロビンたちにも言えること
・ロビンは「戦争」で権力を得て権力を失った

■ロビン原作の概要(諸説あり)

《国民から愛されたリチャード王が十字軍に進軍してる留守中にジョン王が反逆して暴政していた頃、権力(王政と教会)を敵に回して民衆を助けた義賊“ロビンフッド”の伝説の逸話。エピソードは略。ラストは病にかかり当時の病院的役割だった修道院に担ぎ込まれるが、騙されて血を取られて死ぬ。最後の力を振り絞って一本の矢を空中に放ち、落ちた地点に葬れという有名な遺言がある。》

という感じで、舞台はだいぶ原作に忠実だったし、解釈も幸福王子よりは比較的気を衒わない一般的で王道な脚本だったな〜と思った。

で、原作と最も違うところは

ロビンの恋人マリアンの存在がない

という点。スズカツさんは恋愛物は得意ではないみたいなことをどこかでおっしゃってた気がするけど、今回もロマンス要素を一切排除して兄弟愛にフォーカスした、恋愛ではない愛情=仲間愛がメインになっていて、だからこそジャニーズで同じグループのメンバーとして活動する本髙と今野でストーリーが成立していた。

Robin & John
オレとオマエは
義兄弟 Yeah
固い 契りの
Brother-In-Heart
何も 言うな
言葉 なんかいらない 義兄弟
恋の出てくる
隙間はない Yeah
任侠映画か
ロビンとジョン
ひとり くらい
こんな ヤツがほしい 義兄弟

これに全てが詰まってた、スズカツ版ぽんこんロビンの醍醐味。スズカツさんがぽんこん“で”ロビンを描いた理由、そしてぽんこん“にしか”描けないロビンとジョンが。

■スズカツさん越しのぽんこん象

幸福王子とロビンでの役柄と稽古のエピソードとかから、スズカツさんはぽんこんをこういう風にと解釈しているのかな~と感じたポイントについて。
〈本髙克樹〉
・信念を持っている
・頑固
・美徳を貫いて自滅する
・自分を曲げない
・カリスマ性
・主役気質
・神経質
・Sっ気わがまま俺様王子様っぽさがある
〈今野大輝〉
・忠誠心が強い
・心優しい
・自由人
・感性の人
・「ハードボイルド小説が好き」
・身長をいじりたい(かわいい、と思ってる)

王子「ありがとう、小さなツバメ」
ツバメ「小さな、はいらない」
王子「でも実際、小さいじゃないか。身長はどれくらいあるんだ?」
ツバメ「教えない」
ノッティンガム シャーウッド
ジョン・リトル ジャイアント
体重は100キログラム 
身長は2メートル
アー世界で一番 強いオトコ!


■ロビンとジョンが本髙と今野である理由

二人のキャスティングが前提で選ばれたストーリー、つまり二人をキャラクターに当てはめて書かれた脚本なので、ぽんこんありきでロビンとジョンを解釈してしまうわけで。

(コーラス)ポンコン!
ロビンとジョン
(コーラス)ポンコン!
正反対
(コーラス)ポンコン!
ロビンとジョン
最強コンビ~

しかもストーリー中に“ぽんこん”の影をチラつかせられるから、どうして二人にロビンとジョンをさせたのかなーってずーっと考えてた。「本髙と今野」の二人の関係性に注目してたけど途中から二人がアイドルであると前提条件にも意味を感じ始めて深いかった…
ということを毎公演で思考してたキーワードの羅列です。文章化するのは諦めた。

*正反対である
*お互いにないものを持っている
→例えば入念に準備をして稽古に臨む克樹とその場の感情に任せて演技するこんぴ、とかバランスいいな〜って。
*いい意味で二人は対等ではない
→見下してるとかではなく克樹がこんぴを一生めっっちゃ年下の弟だと思ってるのも大きいかなと思うけど笑、年齢差芸歴差だけではない部分も含めてぽんこんは対等ではないなって思う。王子とツバメ、ロビンとジョン、どちらも明確な主従関係のある二人だけど、王子な克樹とツバメなこんぴ、ロビンな克樹とジョンなこんぴは、静止画のポスターでも本編後のカテコでも二人が並ぶと克樹が主演こんぴが助演なのが一目でわかる、なんとも言えない一線を感じた。スパヒロでは感じなかったからぽんこんならではの空気感かなぁ〜って。まぁ主観だけど、ほぼ同い年のメンバーでここまで主従関係が明確な演目こなせるのはぽんこんの関係性ありきなのかなー。
*二人が少年と大人の狭間である
→ただ夢を見る子供ではないが、夢を捨てられる程の大人でもない、早く大人になりたい子供であり、まだ子供でいたい大人。下剋上を夢見てたロンドン行き直前のロビンとジョンの刹那的なキラキラさ、デビューに手を伸ばす彼らみたいでね。
そして、


■ピーターパンとロビン


ロビンは、ピーターパンみたいだ。アイドルの本髙が演じる「緑」をまとったロビンは、ピーターパンのメタファーで、シャーウッドの森はネバーランドのような存在だったように思う。ドレスコード=緑への深読みすぎかもしれないけれど、緑が持つ意味は「自然」だけでなくもっと色んなメッセージ含んでるだろうし、その中の一つにピーターパン的な要素もあるではないかな〜とか。で、話を戻すと彼らはシャーウッドで人間の日常生活を営んでいない。彼らは社会から外れ法や秩序といったルールに反抗し、権力や名誉を嫌い自然を愛し、好きなことを好きなように、飲みたい放題、食べたい放題、「仲間」との関係のみを重んじた浮世離れした生活をしていて、それはまさにピーターパンとロストボーイズたちの生きるネバーランド(=存在しないと土地)みたいだ。
そしてなにより、シャーウッドに生きていた頃の彼らは「子供」で、シャーウッドの森に「大人」は存在していなかった。設定上の年齢は分からないが“それから3年の月日が経ち…“みたいな時系列を考えると、ロビンとジョンの出会いがまだ「少年」だったとしても森を離れる頃には年齢的にはもう「大人」だろうが、彼らは”子供“だった。金持ちや権力者を批判こそしているが、世俗的なものを悪として悟りを開いて自然の中で生きているわけではなく、ただ、体制側(権力を握り現在の社会を支配している側、ここでは王権と教会)に不満を持つアナーキストなだけだ。下剋上を夢見て世界を変えたい、王(=権力者)になって自分が世界を変えてやるという気概と夢を持ち、自分は今の体制側とは違う、あのような”大人“にはならない、自分が王になれば世界が変わると信じている子供だ。夢を見ているだけで現実が見えていない、眩しいくらいに無鉄砲すぎる。

下克上 成し遂げて Yeah Yeah
オレがキングになるからさ
見てろ!
変われ 時代
来れ 未来
なにもかも
ぶっ壊してやり直す


ロビンにとって、彼の価値観として、人の上に立つ者が持つべき「強さ」は、権威や金ではなく戦いに勝つ勇ましさ、 物理的な強さだったんだろう。だから屈強なジョンに惹かれたし、十字軍で戦うリチャードに忠誠を誓ったんだと思うし、ロビンを慕った多くの民衆にとっても金や地位ではなく“力強い”権力者が魅力的だったのだろう。リチャードのような勇ましい王が実権を握れば世界は変わる変えられる、と信じて忠誠を誓い、“アナーキスト“から法の下で統治をする”体制側“になったのだろうが、結局世界が変わることはなかった。(史実上のリチャード王をちらっと調べたけれど(チラッとしか知らん)そんなに有能で魅力的だったとは書かれていないし、むしろ十字軍との戦争に明け暮れて統治はしていなかった、ような書かれ方をしてた。)変わらなかったどころか、皮肉にもかつて憎んだ権力者側になってしまったのだ。そして彼らは”大人“になった。
ピーターパンのネバーランドは子供だけが行くことが出来る場所、子供しか存在できない場所、そして子供でしかいられない場所として描かれている。つまり、子供ではなくなった瞬間消える世界で、子供“に”しか存在しない世界だ。かつて仲間と共に自由に暮らしたシャーウッドの森での生活は、一度離れて戻ってきた彼らには二度と訪れなかった。シャーウッドはロビンとジョンが「子供」(=現実が見えないない理想だけの世界)の頃にすごしたネバーランドだったんだなぁと、わたしは解釈した。
ロビンが死に際に「もう一度森が見たい」と言ったシーン。ジョンが「ここからは遠くで見えない」と答えるが、ロビンも物理的に見ることが出来ないのは分かっていたはずで。だからこそ、その言葉に「もう昔には戻れない」という暗喩を見出してしまい、泣いた。


そして思い出す、ジャニーさんの「子供は大人になれるけれど大人は子供にはもどれない」という言葉。長年アイドルを見てきて、アイドルがアイドルを辞めていく姿を見てきて感じるのが、アイドルでありつづけることって、いかに大人に従順な「良い子供」でいられるか、ではないか、ということだ。「アイドル」って「虚像・偶像」というその名の通り、世の中の「大人」が押し付ける矛盾だらけの夢の塊だ。成人男性であればとなり合わせな恋、女、金、酒、煙草のような世俗的なことを悪とし表面的に排除された世界、つまり親が子供に求めるような純粋無垢な世界が作り出されるアイドルの生きる世界は、要するに「ネバーランド=存在しない土地」だし、一度外の世界を見てしまったらアイドルをやめたアイドルがアイドルに戻ることは二度とない。
ロビンとジョンはシャーウッドを出た瞬間から「大人」になってしまっているから、その後どんな選択をしたとしても彼らが望んだ森での生活を再び送る結末は絶対にもう訪れることは無かっただろう、と思っている。
では、ロビンとジョンを演じる克樹とこんぴは、いつまで「子供」でいてくれるだろうか?の
いまの彼らの道中を劇中に反映するなら、恐らくまだロンドン行きの前、二人が出会って飲み食いして笑いながら、下剋上を夢見てる日々だ。


アイドルは永遠ではない。いつか必ず大人になる。ネバーランドは存在しない。


まあ、そんなこんなでロビンにピーターパンを見出し始めて途中から苦しかったです。

けれど、永遠ではないからこそ、今を懸命に生きる一瞬の煌めきに惹かれるのだ。永遠ではないその命を燃やしてくれることに感謝しながら、わたしはそのキラキラを存分に浴びたい。いつか、少年が大人になるその日まで。


紅白開始まであと10分というギリギリ提出で雑な仕上げです。
2021年もありがとうございました。
22年はもう少し気持ちに余裕を持ちたい、多分無理!
第三弾でお会いしましょう。
演目は何かな!!星の王子さまとかみたいです。