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濃く、遠い人へ

昨年の夏、仕事を長く休んでいて退職を検討しているようだと聞いた。
地方である県内では名の通った企業で、給与は高くないが取引先との円滑な人間関係の話や自信に満ちた様子から仕事はうまくいっているようだった。少なくとも7年前はそうだった。
なのに長期休暇の理由はどうやら精神的なもののようで、通院はしてないが元氣も覇氣もないという。
彼の母親曰く、最近はぷくぷくと太ってだらしない感じよ・・と、精神状態が苦しいのであればさもありなん。しっかり通院し療養して欲しいものだと感想を述べた。

70代になる男性は、16年前に娘の結婚を機に父親から引き継いだ食品雑貨店を閉め、その土地にアパートを建てた。厳しくなる一方の市況、勤めをしたことのない2代目ぼんぼんで自分に何かする才はないだろう、せめて自分と妻のこれからの年金替わりになればいいとのことだった。60歳過ぎて、億超えの借金を背負う決断力と融資を引き出せる実績こそが才だろうと思ったものだ。国民年金とアパートの収益ーローンの返済分で贅沢しなければ有料ホームに入っても夫婦二人で暮らしていけるだけの計算が立っていた。
5年前にガンを発病して以降も民間の医療保険の助けもあり、入退院を繰り返しながらも経済的には問題がないらしい。

60代半ばの妻は嫁入りして以降主戦力として勤めた家業の食品雑貨店の閉店後は老人ホームの給食調理のパートに出て、社会とのつながりや気晴らしがてらに自分でも老後に備えている。夫が入退院したり自宅介護が必要になるころには立派なベテランで退職されるのは困ると、休暇調整してもらえるようで、彼女の誠実で勤勉な人柄こそだ。

この6月。
-息子がね、5月からアパートの管理をしてるのよ・・・とポツポツ話す女性。
ん??闘病中の夫が入院中でもこれまではアパートの管理は女性で事足りていたし、男性はちょうど入院中とはいえ、緊急な措置が必要な状態だとは聞いていない。
ん??どういうこと?管理に人手が必要なの?
-去年の9月に退職してからね、就職活動していなくて、4月で失業保険も切れたみたいでね。ゴールデンウイークが終わるころに、だからT会社(食品雑貨店からの法人名でアパート事業も登記事項変更して同法人で行っている)で働くっていうのよ。やりたいこともあるみたいで、新規事業するって。夫さんもいいよっていうのよ。
新規事業って?
-新しくまたアパート建てるんだって。今度は土地も新しく買うからかなりの額なのよ。
それは新規事業とは言わないが、そんな原資どこにあるの?
-T社の実績なら融資は受けれるだろうって。信金さんも言うのよ。
そっか、社長がいいというならいいのだろうが、登記事項は変更しないこと家族間では曖昧になりがちな雇用契約について、面倒でも取り交わして業務実態と勤務実態の把握はした方がいいとだけ伝えた。
息子の精神状態が普通でない可能性を考えたら、ストレスが鬱を深刻化させる可能性もあるし、1棟のみのアパート経営では売上は頭打ちで決まっているのだから、息子の給与分はただのマイナスでしかなく、事業拡張といったって明日から出来るものではない。土地の選定、融資、工事、入居者募集、それからの収益だ。何年計画の予定なのか。その間は息子の給与分はそのまま夫妻の収入減を意味するから、大変に心配ではあるが、法人代表が諾としていることにたいして、法人役員でもない妻からの愚痴のような相談では私は動けないし、動かない。

3か月経ち。
-アパートの修繕のための積み立てをね、息子が勝手に切り崩してお給料にしてるのよ。もう1棟アパートを建てる話もどうしてるか分からないし、朝10時過ぎに来て、15時には帰るのよね。年金と私のパート代があるから生活は回るけど、アパートの収益分が全く入らなくなって不安しかないのよね。
え?勝手に切り崩し?それ業務上横領とかならないの?お給料分ないから崩してるの?あれ?雇用契約どうなってるの?バイト?パート?正社員なら勝手に帰っちゃダメでしょ?バイトなら10月から来なくていいよって伝えたら?
-雇用契約とかはないのよ、役員だから。
すっかり失念していた。そうだ、アパートの建つ土地自体が税金対策で息子の名義なのだ。アパート建設時の融資も息子が保証人となることで成立した。結婚し県外へ転居した直後で当事無職の娘ではその役を代わることはできなかった。だからと言ってアパート経営開始時から無報酬で役員に名は連ねたはずだ。
-それにね、お母さんたちは年金でどうにかなるでしょ。世の中の人はみんな年金だけでやってるよって言われたの。

眩暈がした。

反りが合わな過ぎて5年以上顔も合わせず、口も利かなかった結果がこれか。

わたしたちは「みんなも持ってるから」「みんなも大学行ってるし、生活費も親が出すものでしょう」と言われ、幼少のころから社会に出るまで経済的な理由で何かを諦めたことなど一度もない。

それなのに、父が母の老後を想っての不労収入を、それと知って掠め取るのか。

そんなことがあなたの幸せか!?
糾弾したい想いにかられる。

世の中の人はみんな自分のお給料でやってるのよ、って言い返したい。

家庭のあるいい大人が何を言っているのか。

こんなこと、喜々とするような人ではなかったろう?
賢く、人好きのする、世の正論といわれることを好む人だった。
そう見えていただけで、この闇を抱えて、40年以上生きていたのか?
それとも今、闇に沈んでいるのか。
だとしたら相談できる人はいないのだろうか。

わたしとは反りが合わないが、「親に心配だけはかけるな」が口癖で親よりもわたしに過保護だった兄はどこに行ったのだろう。

何もかもが、他人よりも遠い。

わたしが口を出すことは、彼らにとって過大なストレスになることが目に見える。

年金だけで暮らせとの暴言。
経済の不安が人をこんなに変える。
退職は拍車をかけたに過ぎないのでは?
では、心を病んだはじめの不安はなんだったのだろうか。
信じたい氣持ちと助けになりたい氣持ちと、わたしでは役に立てない事実に胸が焼ける。
正氣に戻った兄がどれほど苦しむだろうか。

こんなときにセラピストのわたしも、コンサルタントのわたしも役に立たないなんて。

母が言う
-お兄ちゃんに騙された氣持ちよ。口がうまくて。

一度電話を切ったあと、母には、兄の精神状態を見守って欲しい旨伝えた。
母という味方を失って欲しくない。
両親が経済的に苦しくなるようなら、その時はまた手を打たねばならないし、わたしの依頼が母を苦しめる可能性だってあるから、わたしに出来る手助けは整理した。

母は「ありがとう。そのこと(うつ状態だった)を忘れてたわ。」と言ってくれた。

だからと言って、そのことを覚えていて見守ることくらいしかできないのだし、母の不安な状況が改善したわけでもないから、もどかしいものだ。

精神疾患から立ち直るには、向き合って認めて立ち向かうプロセスが必要になる。

周囲に出来るのは手助けのみ。

兄の幸せは兄自身でしか掴めない。

兄にとっての「幸せのカタチ」を思い出してほしい。

届け!とは思わない。

わたしにもこうして、氣持ちの整理と心の準備が必要なのだ。

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