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「他人に期待するな」と思って生きてきたけれど(男おひとりさま道)
以前に紹介した、社会学者の上野千鶴子先生の著書「男おひとりさま道」。
50歳を過ぎて「生涯独身」のレッテルを貼られたボクにとっては今後の生き方の指針となるような内容で、折に触れて開いては「つまみ読み」をして自分を見つめ直す・・・そんな風にこの本を大切にしています。
80万部を超えたベストセラー「おひとりさまの老後」第二弾。男のおひとりさまへのなり方は三通りある。第一が、妻に先立たれた「死別シングル」。第二に「離別シングル」、第三に「非婚シングル」である。憐憫と同情の対象となりがちな男おひとりさまをタイプ別シミュレーションでわかりやすく解説。「ひとりで暮らせるか」「おふたりさまになれることはあるのか」「介護はどうするか」「ひとりで死ねるのか」。老後にむけて必要な「下り坂を下りるスキル」をどうやって身につけるか。……数多くの取材やデータをもとに、男ひとりでも楽しく暮らし、満足のいく介護をうけ、幸せな在宅ひとり死を迎えられるようノウハウを指南する。
ボクは今日まで、もう15年以上は独り暮らしを続けていますが、この間ずっと「他人には期待できない」と自分に言い聞かせてきました。
前にもお話しした通り、付き合っていた人がいた時期もありましたが、彼女と別れてからはなおさら強く自分に対して「他人を当てにするな」と言い続けてきましたかね~。
他人をアテにして期待を裏切られるのも怖いし、勝手な期待を押しつけるのも申し訳なく思うし。
それに、50歳も過ぎて家のことが何にもできないなんて、みっともないし情けないし、そんな男にはなりたくなかったからね(個人の主観です)。
「愛」とは『与えるだけ』の行為だ、とはよく聞く言葉です。
困っている人がいるなら、進んで手をさしのべよう。
自分にできることなら、なんだって人に力を貸そう。
そして見返りは求めない。
自分が与えた「愛」は忘れろ。
ボクも、それが正しいと信じて今まで生きてきました。
もちろん、人に対してなにか「依頼」をすることはありますよ。
でもそれは自分への見返りとして受け止められないから、
「頼み事」でははく、必ず対価=お金を払うことにしています。
会社のスタッフに作業を依頼することもありますけど、
お給料を払っているわけだから、それも自分への「見返り」ではない。
そんな風にしていないと、
他人からの「無償の行為」を受け取らないようにしていないと、
自分の「無償の愛」が無意味なモノになってしまうと思っていました。
見返りを求めるな。他人に期待するな。
先日、人と話しているとすぐ泣いちゃうwって話しを書きましたが、
それはボクが他人に対して「期待値」のハードルをものすごく下げているからなんだと、その記事を書きながら気付きましたよ。
人に対してボクのことを解ってもらおうと思わない。
誰もボクのことなんて気にしていない。
期待値のハードルなんて、地面すれすれ!(笑)
普段からそれがボクの中のデフォルトなので、ちょっとでも話しを解ってもらえると、嬉しくて感情が溢れちゃうんでしょうね~σ(^o^;)
でも、それは本当に「正しいやりかた」だったのかなぁ。
「介護はどうするか」「ひとりで死ねるのか」。
老後にむけて必要な「下り坂を下りるスキル」をどうやって身につけるか。
この本の上野千鶴子先生の指摘は、ボクに強く刺さりました。
元気で独り暮らしを楽しんでいるうちはいい。
でも歳と共にいずれは体力・能力が落ちて、自分のことが自分でできなくなるときが来る。
そのとき「人に頼る」ことができないで、ボクは生きていくことができるのか?
金持ちよりも、人持ち・ご縁持ちが「下り坂を下りるスキル」
困ったときにはお互い様、頼り頼られる間柄のつながりを、
どれだけ作っておけるかがカギ。
「男おひとりさま道」の本の中で、
上野千鶴子先生はそのように述べています。
今のボクを無償で支えてくれる人・・・いるのかな~?
┐(´∀`)┌ヤレヤレ