
今日は自分について考える日にしよう。
2025年1月19日(日)、晴れ。
「婚活マエストロ」をAudibleで楽しく聴いた。
でも、聴き始める前から、この作品に触れればこんな気持ちになるのはわかっていた。
タイトルを見て気になって、Audibleのライブラリにずっと前から入れてあったのに、なかなか聴く気になれなかったのがその証拠。
感情の振れ幅が大きすぎるHSPだから、楽しすぎた反動もまた大きいよね。
そしてまた、グルグルと考える。
なんで?
なんで、ボクは、
「誰かと共に生きる」という選択をできなかったんだろう。
はるか昔、25のとき、「結婚のようなもの」をしてみた。
その頃のボクは自分のことが嫌いで、ダメな人間だと自覚していて、「結婚」さえすれば自分を変えられるかもと思っていたんだ。
婚活パーティーで知り合った、かなり趣味の合う人と仲良くなって「結婚のようなもの」をしてみたけど、そんな動機だからうまく行くはずもない。
ボクの「結婚のようなもの」は、半年でダメになった。
恥ずかしくて情けなくて、ボクは死のうと思った。
恥を忍んで仲人さんに別れの挨拶に行った。
仲人さんは話しを黙って聞いてくれた。
話して大泣きして、ボクは救われた。
今なら、自分の「結婚のようなもの」がなぜダメだったのかが良くわかる。
あまりにも恥ずかしすぎるので、初めて人前でこの話しをした。
この経験をしたからこそ今の自分があるのだとは、わかっているけどね。
その後も、何人かの女性との出会いに恵まれたが「結婚」には至らず。
そして次の転機が来たのは、36の時。
当時、趣味でコーラスや演劇などをやってたボクは、スタッフ兼出演者としてとある「高校生のためのオペラプロジェクト」に参加させてもらえることになった。
そこで、当時高校3年生だった「彼女」と知り合った。
そのころボクが書いていたブログに、そのオペラプロジェクトの記事を書いたのを「彼女」が見つけて連絡をくれて、いろいろとやりとりするようになった。
だんだん仲良くなったけど、「彼女」は高校生だからもちろん付き合うことはできない。
その頃は大学受験を控えた「彼女」から悩みや相談を聞いて、寄り添うスタンスで一緒に歩いた。
ボクらの歳の差は18年。
ボクは「疑似子育て」のようなつもりでいた。
その後、無事に東京の大学に入った「彼女」との中距離恋愛が始まった。
会うのは、週末だけ。
平日の大学の講義が終わると、独り暮らしのボクの家に「彼女」が帰ってきて、日曜日の夕方に駅まで送っていく。
まるで「週末婚」のようなことをやっていた。
そして、その頃のボクは「彼女」にとっての恋人であると同時に、時には父親や兄の役割で接していたように思う。
夏休みなどの長い休み期間には、「彼女」はボクの地元でバイトを探して、同棲みたいなことをやってた時期もあったな。
でも大好きな「彼女」とずっと同じ空間にいると、なんとなく息苦しくなる「自分の感覚」に気がついて。
でもそれが自分の「HSP気質」のせいだと知るよしもなく、そんな自分をコントロールできずに時にはストレスをぶつけてしまってもいた。

撮影地:留萌の鰊(ニシン)番屋
そんな「彼女」との交際は、9年間続いた。
大学3年からの就活と無事に就職するまでの時期は、本人に寄り添い、背中を押しながら・・・と再びボクの「疑似子育て」の期間になった。
別れのきっかけは、「彼女」の転職。
大学を出て一度は地元に就職したものの、やりたいことのためにまた東京に出たいと告げられた。
ボクは自分の会社を捨てることはできないから、彼女の意思を尊重して見送ることしかできなかった。
ボクは「遠いところに嫁に行く娘を見送る、父親の気持ち」を知った。
「彼女」との別れは哀しかったが、「娘を見送る父親の気持ち」を知れたのはいい経験になったと思ったら可笑しくなって、それで吹っ切れた。
ボクの「疑似子育て」も終わったんだ、と。
いまボクは、結婚したいのか?と自分に問うと、違うという答えが出る。
53歳になって、「疑似子育て」も経験して、もうボクは子どもを持つことは考えていない。
子どもを持たないのなら、「結婚」という形にこだわる必要もない。
でも、これから先の人生をボクの隣で歩いてくれる人がいたら、嬉しいかな。
それは世間で言うところの「結婚」という形でなくていい。
どうやら極度のHSPらしいボクは、一人の時間がないと生きていけないから、「ずっと誰かと一緒」の生活はおそらく無理だろう。
独り暮らしも長くなって、HSPのボクは「一人でいることの快適さ」にどっぷりと浸かっているから、いまこの部屋に同居人が現れることは受け入れられない。
どうしようもなく寂しくなる時もたまにはあるけど、寂しさを埋めるために結婚する、というのは違うよね。
やはり「週末婚」くらいの距離感が、ボクにはちょうどいいのかな。
「彼女」と「週末婚ごっこ」をしていた頃が懐かしい。
「遠くに嫁に行った彼女」が、いまも幸せでいてくれたらいいな。