優しさという呪い
曲を教えてくれた相手に対する想いは冷めてきているのに、熱を思いだしたいかのようにその曲を繰り返しリピートしてしまう。好意というよりもまるで呪いだ。
あるアーティストの人間性を嫌いになると、その人が作る作品全てを嫌いになれる人がいる。そういう人は次へと躊躇なく進めるという意味で、とても幸せだと思う。
友情だろうと、愛情だろうと、好きになった人が作った作品や教えてくれたことにはいつまでも面影が付きまとう。
消えない傷の付け方は心からの優しさを与えることだと思う。
音信不通になった親友からもらった本、恋人から教えてもらったイヤホンのまとめ方、不思議な程話が合った同期がカラオケで歌った歌、それらを五感で感じるたび、自らの心に沁み入ってどうにもならない感情に侵される時、強くそう思うのだ。
優しさはエゴである。自分が悪者になりたくないから他人に優しくするし、いつか返ってくるのだろうという期待も込められている。ことがある。
それでも人間は優しさに縋りたい。そんな思惑があることを知っていても、限りがあることを知っていても、今自分が欲しいものをくれる人間に対して縋ってしまう。
優しさは残酷である。傷が見えないだけで、毒性も無いだけで、じわじわと侵食しては元の自立した自分に戻すことができなくなるほど、遅効性の毒であり、傷である。
人間のことが大好きで、同時に大嫌いである。
思惑があって、純粋な優しさはなく、利用しあっているようなとても美しいと言えない関わりが多くあるから
だから私は優しくありたい。大好きな人間に心地よく居てもらいたくて、大嫌いな人間に緩やかに傷を与えていきたい。
好きだからこそ傷もつけていたい。