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絶望の果てにたどりついたのは。
私44歳、高齢出産で産んだ5歳の息子が一人います。
夫はひとまわり近く年上で、しばらく身体をこわし無職でした。
運良く、夫の親からお金を貰っていたので1年くらいは生活できましたが、お金もないし、車もない。
田舎なので車のない人は稀です。
自転車でなんとか暮らしています。
私も病気したり良くなったりを繰り返して、なかなか働くことができません。
さらに、夫と私の父の仲が良くない。
だから近くに住んでいるのに、私は夫に気を遣ってたまにしか孫の顔を見せにいけないでいる。
本当はみんな仲良くしたかった。
夫は自分の両親、兄弟とも仲がよろしくない。
それも悲しい。
仕方がないことだけど。
そろそろ貯金も底をつくぎりぎりで、なんとか夫は短期の仕事にありついた。
と言っても、2ヶ月だけの仕事なのでまた仕事を探さないといけないけど。
息子は幼稚園に通っているが、同じ組の子はみんな兄弟がいる。
うちだけ一人っ子。
それに、わたしだけ高齢出産だからまわりのお母さんは20代か30代前半くらいでとても若い。
私だけ44歳のおばさんで肩身が狭い。
年だけならまだましだけど、お金もない。
ほかのお宅はお母さんも車で移動、家に車が2台あるというお宅も多い。
うちは車を持っていないので、どこでも自転車で行かなきゃいけない。
幼稚園のイベントで遠くでやるときはとても困る。
車移動が当たり前の田舎だから。
バスも少なく電車も路線が少ない。
結婚は30歳でした。
その時夫は39歳。
すぐに子供が産まれればまだ良かったけど、出産したのは9年後。
私の病気のせいと、夫の精神的な問題のためなかなか子どもを作れなかったから。
本当は子供は二人欲しかった。
けど、年だし、何よりお金がない。
夫は転職を繰り返し、なんの技術も持たないから最低賃金くらいのところしか働けない。
チャレンジすればあるのかもしれないが、そういう頑張る気は無いようだ。
夫の親が裕福だったので、何度もお金で助けてもらってなんとか生きてきた。
けど、もうあまりお金もないらしいので最近は助けてもらえなくなった。
それに高齢なのでもう生きて10年だろう。
そろそろ自立しなくては。
都会で暮らしていたが、生活費も高く賃貸住宅も高いので田舎に引っ越してきた。
引っ越してきたら私も働こうと思ってたのに、引っ越しと同時に病気が再発。
働けなくなった。
さらに夫も体調不良になり、結局1年以上働かなかった。
幼稚園へ行くと、ほかの家族がキラキラしていて私は悲しくなるし惨めになる。
幼稚園はとてもよいのだけど、こんな不幸なわたしとみなさんじゃ釣り合わないし、私が惨めだから仲良くしないようにしている。
恥ずかしいから。
ママ友なんて一人もいないし、息子に放課後遊ぶ友だちも一人もいない。
近くに友だちがいなくてよかった。
惨めになるから。
この田舎では、家族ができたら家を建てる人が多い。みんなきっと新築の綺麗な家に住んでいるのだろう。
うちは古い賃貸住宅だから恥ずかしくて友だちも呼べない。
若い頃は、大人になればみんな車もってて、子供も二人三人いて、家も建てて、休日にはレジャーや旅行、両親も仲良く家族だんらんするんだろうなと思ってた。
でも、全然そんなことなかった。
もっと辛い人もいる。
子どもが出来ない人もいるし、結婚しない人もいる。
もっと大変な人もたくさんいるって、頭ではわかってる。
でも、こんな大人になるとは思わなかったな。
そんな絶望感の果てに、見つけたものがあった。
「奇跡のコース」「奇跡講座」
それと、エドガーケイシーの「神の探求」だ。
とくに、奇跡のコース/奇跡講座は、「普通のこの世のしあわせ」を手にしている人はまず取り組むことはないだろう。
わたしだって、普通の幸せを手にしていたら手を出さなかった。
でも「成功」「しあわせ」のために、わたしは本当にいろいろなことをやってみた。
そういう本はほとんど読んだし、実践してみた。
引き寄せとかスピリチュアルとか。
数えればキリがないほどのことをやったけど、どれもうまく行かなかった。
それらの本の著者が成功してるだけでしょ。
ブログの著者が成功しているだけでしょ。
読んだ人はどれだけ成功してるのか。
わたしはひとつも上手くいかなかったから。
いわゆるこの世の幸せ、成功は一つも持っていないから、奇跡のコースや神の探求にたどり着いて、自我を捨てろと言われてもあまり抵抗はなかった。
だって、善かれと思って自我で、自分の考えでやってきたけど何も上手くいかなかっから。
まあ、この世的な幸せを手にしている人ならそもそもそういう本なんて読まないだろうな。
自分の力で成功したのだから何の問題もないよね。
奇跡のコース、神の探求に共通するのは自我を捨て、自分の考えを捨てて、神・聖霊の見方で物事を知覚すること。
経済を優先して行動することはいけないし、条件がいいからって仕事を選んでもいけない。
カッコよく見られるという理由で選んでもいけない。
見栄えがいいから、優越感を感じられるから、楽できるから、恥ずかしくないから、素敵だと思われたいから、お金がより儲かるから、そんな理由で選ぶのもダメ。
え、でもじゃあ、今まで生きてきたのは何だったの…学校や親や世間やテレビで教わったのは何だったの…それが正しいって小さい頃から教わって生きてきたのに!
そうなりますよね。
でも、奇跡のコース・神の探求を教師として生きるなら、まったくそれと反対の生き方をすることになるのだ。
カッコ良さも、お金が儲かるほうも、安定も、素敵だと思われることも、そんなことを選ばないで、自分を捨て、神や聖霊の導きで生きるって出来る?
多分普通の人はその道を選ばないだろうな。
でも人生で絶望の果てを見たわたしなら出来るんだな。
そんなに難しくない気がしている。
何も失うものがないから、多分出来る。
本当はこの世の幸せ、欲しかったけどね。
無理みたいだから、これしか道がないんだな。
実際、奇跡のコースを選ぶ人はこういう人が多いらしいです。