自分の常識は他人の非常識
今回番外編です。
作者の好きな言葉集ってやつです。
わたしは普段から心に響いた言葉はすぐにメモするようにしています。
どんな言葉に心を動かされたのか自分でも振り返りながら解説してみます。よかったらどうぞ。
注意:完全にわたしの主観で解説しておりますので偏った表現が多数あると思いますが反論はコメント欄で。
That’s Life.(それが人生)
これはフランク・シナトラさんの曲です。映画「ジョーカー」の挿入歌ですね。この映画を観た時は恐ろしいほど病んでしまいました。1週間くらい殺人鬼みたいな目をしていたと思います。自分にジョーカーが憑依してしまったんじゃないかと思うほどの素晴らしい演出でした。それは余談ですが、劇中にジョーカーの心が真っ黒な何かにズズズズと飲み込まれるようなシーンが何度かあります。私はその感覚を知っていたので単純に彼の気持ちがわかるような気がしました。なので映画を観てからというもの、日常で真っ黒な何かが心に現れるたびに思い出すようになりました。That’s Life!と頭の中で歌声が聴こえてきます。「人生そんなものか」と思うと一気に身体が軽くなります。それはジョーカーの人生よりマシだということではありません。日常の悪いところばかりに執着しても仕方がないと思えるようになったのです。
学びこそ、自由の翼である
これは実家にある新聞に書いてあるのが偶然見えた言葉です。何か行動を起こすときにその行動を言語化できないと何もできないと思いませんか?
歩き方で例えます。できるだけ遠いところまで歩きたいとします。それはどれだけのカロリーが必要なのか、筋力はどれだけ必要なのか、そもそも正しい歩き方を理解しているか、走るという選択を考えるか、たくさん学ぶことがあると思います。それらを学ぶことで自分のできる行動の幅が大きくなります。
CoCo壱でただカレーを食べるのではなく、トッピングというものを学ぶ。すると自分好みのカレーを生み出すことができます。
私は学ぶことで自己実現がより具体的になると思っています。生活が息苦しいと感じた時に学びが足りているか今一度、考えてみるのもいいかもしれません。
プラスでもマイナスでもない
ニュートラルであれ
自分が落ち込みやすいなと気がついた時に何か対策がないかと悶々としていた時にスッと耳に入ってきた言葉ですね。落ち込みやすいからプラスにしなきゃと焦っていたんだと思います。経験上、ポジティブやネガティブといった感情はコントロールできないものだと思っています。つまりコントロールできないものにエゴが振り回される必要はない。どうせ放っておけば勝手にプラスになるし、急にマイナスになるかもしれない。なのでエゴそのものはずっとニュートラルであればいい。自分はそのままで良かったのだと許されたような気持ちになりました。
ライオンは食事や睡眠以外は別に何もしていないが不幸には見えない
私は若い頃、間があることをとにかく嫌っていました。しかし休みのたびに何か充実しなければとずっと焦っているとなんだか疲れてしまったようで、休みを嫌うようになりました。
そして今度は仕事ばかりだとウンザリしてしまいます。どうしたらいいんだと人生悩んでいた時に刺さった言葉だったと思います。
無理に充実させなくていい。朝起きて、美味しいご飯を食べて、二度寝したっていい。十分に幸せじゃないかと気付かされました。向上心があるのは勿論素晴らしいことです。ですが、それに苦しめられるぐらいなら不要なことだと思うようになりました。
正直これは人によると思います。世のため人のために生きることが何よりの幸せだと感じている人を見たことがありますので。
lose to you love me.
(私を愛するために、あなたを失う)
これはセレーナ・ゴメスさんの曲です。彼女が自分らしくあるために恋人との別れを選ぶという内容の曲です。もっと考察など細かくありますがそれは省略します。
私はこの言葉にとても共感しました。家族といる時、友人といる時、仕事の同僚でも感じたことがあります。
私は比較的に※向上心があった方なので、周りの人間はそれを居心地が悪く感じていたそうです。そんな時はすぐに決別していました。わざわざ悪態をつくことはありませんがそっと距離をとります。今思えば相手側も同じことを思っていたかもしれません。仕事を真面目にしていることを毛嫌いする人も過去にいました。しかし仕事をもっと気楽にしたいというのも、その人らしさと言えます。どちらも正解なんです。
誰もが自分らしく生きていいと私は考えます。人間社会で生活する限り限界はありますが、可能な範囲くらい良いじゃないか。この曲名の反対語が理想的ですが人間そう上手くいかないものです。
※向上心があったのはあくまでも私の周りからすると比較的に高く感じただけです。世の中には物凄い人が存在することは勿論把握しておりますので悪しからず。
器が小さいと得られる福も小さい
街中でよく機嫌の悪い人がいます。渋滞ができていればイライラする人。レストランで頼んだものが出てくるのに時間がかかると店員に文句をいう人。部下が指示通りに仕事ができず激怒している人。様々な理由で自らの機嫌を悪くする人がいます。彼らは側から見て幸福に見えるでしょうか。私には到底見えない。寛大であり続けることは確かに難しいです。しかし機嫌を悪くするという行為は自分自身が行なっているとお気づきでしょうか。別に良い気分にならなくたっていい。ただ見える景色を自らが悪くするのは勿体無いと思います。周りのせいにすることで幸せになれる方はそれでいいかもしれませんが、必要以上に自分の機嫌を悪くしていないか、私はこの言葉に深く考えさせられました。ちなみに私自身もかなり周りに対してイラつくタイプです。
車の運転中にウィンカーを出さない運転手を見ただけでそれはそれは憤慨します。
だからこそこの言葉が刺さりましたね。
自分の常識は他人の非常識
これはYouTubeのマコなり社長さんが動画で提唱していました。誰しもが自分の正解を持っていると思います。しかしそれは相手にとっても正解でしょうか。自分の答えを相手に合わせろという意味ではありません。自分の正解を一度疑ってみるべきだということです。
誰かと討論をしているときに「なんでこの人はこんなことも理解できないんだ!」と感じることがあります。こんな時、これが正解なんだと押し付けるのはお互い無駄な労力を使います。
ならばどうするのか?
お互いがそれぞれの正解を尊重し合うべきです。それでも理解が得られなかったらその人とは距離を置きましょう。全ての人と分かち合うことは不可能だと私は思っています。しかし努力はできるはずです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これはほんの一部ですが、思ったより長くなってしまったので今後は分割して定期的に更新したいと思います。
引き続き本編もお楽しみ頂けると幸いです。