【Oslo滞在録①】初国際線を経験して、当たり前をまたひとつ書き換える
同平面でひたすらに知識をいれるより、
次元が広がる小さな経験を重ねたい、と思う。
先日、はじめてひとりで国際線を経験しました。
トランジット、トランスファーも含めて
全てがどっきどきのばっくばく(心臓)でした。
はじめは一人で海外に出ることそのものが怖かった。具体的な理由は何もないんだけど、とりあえず恐怖!という感じでした(笑)。でも、自分が行きたい場所にはトランジットやトランスファーが必要なことを知って。
そうすると中継が怖くなって、国際線に乗ることそのものはそんなに怖くなくなるという不思議(笑)。(単純?笑)
ソウルでトランジットだったので、
あぁもう韓国は行けるわ、とすらなりました。(なぜ笑)
弾丸でオスロを訪れて、私の中の小さな当たり前がまた変わったお話です。まずは国際線から。
当たり前が変わると世界が広がる。選択肢が増える。
小さい頃は地元から出るのも結構無理で。
中学生になると、電車に乗って京都に遊びに行く子が周りで増えましたが、私は電車が分からなくて、怖くて一人では行けなかったんです。笑
でも大学に入って電車に乗る習慣が出来ると、
なんとなく迷いつつ国内だと電車が使えるようになりました。
そうすると、国内移動はそんなに怖くなくなりました。
今度は国内でも、
飛行機を使ったり夜行バスを使ったりするようになりました。
…次は思いきって海外へなんか出たくなって、挑戦してみました。
(機会を作ってくれた友人には本当に感謝。)
トランスファーがうまく出来るか怖くて、空港で待ち続けた往路。
…7時間。(長っ!笑)
復路ではトランスファーの時間を利用して、
空港の外に出て美術館にも繰り出してみました。なんて成長!笑
(トランスファーの時間がなかなかに長かったこともありますが笑)
国際線を一人で乗る、という経験をして感じたこと…
今までずっと知らなくて怖かったものが、
経験すると、単にひとつの手段に変わる。
自分の中の当たり前が変わると、選択肢が増えて世界が広がる。
ということです。
知識より経験。(知識は経験するための準備として)
今回の経験によって、飛行機に乗る手順はこうで、国際線はこんなことをしなきゃならなくて、中継が必要な場合があって、、という単なる知識に、ひとつの経験が書き加えられました。
同平面的に知識が増えるのではなく、
小さくても、次元が広がるような感じを覚えました。
あれ、こんなことだったのか。
…って、やってみると思うし、
分からないこと、見えないもの、って
やっぱり怖いものなんだなぁ…と思います。
もちろん失敗もありましたが、たとえ失敗したとしても、
一週間たてばもう過去のこと。命があったら大丈夫。
というか、常に何らかのアクシデントは有るものだと思ってるから、「そう来たか」と唱えることにしています。
いや、嘘です。
まだまだ焦ることも多いので、どしっとしてる人になりたいです(笑)。
「そう来たか」と唱えたり”大丈夫なふり”をすると、焦ってる自分に焦らない効果が、少しあるような気がします。
焦っても状況は変わらない。
というか焦れば焦るほど多分悪化する(私の場合)。
良くて維持、改善は見込めない。
海外を一か月一人で放浪しちゃうような友人がいるんですが、「一人で海外なんてすごいなぁ」って以前はただ思っていました。「全然出来ると思うよ」って言われても、「それはあなたが出来るから、そう思うだけでしょ!笑」って返していたと思う。
確かに今でも、一か月一人海外放浪は怖くて出来る気しないけど(笑)、今の私なら、国際線に乗ることだけなら、海外に出たことのない友人に、同じように言うと思います。
「あなたにも出来るよ。」
知識をいれること、なにかを学ぶことって、
経験することのために必要な前提なのかなと思います。
やっぱり経験することはとても大きい。
トランスファーには最低二時間あった方がいいらしい、荷物がうまく届かないことがあるらしい、中継時間が長い場合は観光に出たりするといいらしい等々、不安なこと・わからないことばかり。
でも今の私には、少なくとも「国際線経験事例1の経験値」があります笑。たった一つだとしても経験値1と0の差は大きいと、身をもって思います。
新しい知識だって、ただ単に多く入れればいいとは思わないです。自分の既存の知識・経験と掛け合わせて、どう新しい解釈や思考を生むか、ということが、個人的に楽しいし興味深いです。
知識も増やしつつ、経験を積み重ね、
自分で考えることをやめないような自分でいたいなと、また改めて感じる経験となりました。
オスロ滞在録、続きます!