【雑記#14】はじめましての喫茶店に行く@三鷹 リスボン
私は地下へ降りる階段を下っている。まだ足を踏み入れたことがない、はじめましての喫茶店へ向かっている。2日前の夜中、なんとなく寝付けなくて、スマホのマップ機能で見知らぬ土地の純喫茶探しをしていたら、たまたま目についた。
普段ならまだ寝ている頃だけれど、どうにか早起きをしてここまでやってきた。
本当はもう少し早く起きて、オープンと同時に着くように行こうかな、などと考えていたのに。
昨晩読んでいた本の結末が気になって夜更かしをしたら、こんな時間になってしまった。
実を言うと、喫茶店モーニングに憧れて、これまでに何度も「明日こそは」と意気込んだことがある。しかし、ほとんどの場合、夜中まで本に熱中して朝起きられず諦めている。夜読書と早起きを両立させる秘密の魔法の呪文はないかと、あの手この手と試しているものの、未だ解決の糸口は見つかっていない。
こうして前日の後悔を、ミルフィーユの層のように積み重ねており、むしろそれよりもさらに繊細で美味しくなっているはずなのに、それでも学習せず、だから今もひたすらパイ生地を焼き続けている。
階段を降りると、そこは小さな飲食店街になっているようだった。ダーツバーやラーメン屋さんなどが入っているらしい。一面コンクリートの床と、まだ開いていないお店のしんとした静けさが、冷たい印象に拍車をかける。左を向くと別のお店が入っており行き止まり。ならばと右に進むと、手塗りで模様つけているであろう外壁に、ダークブラウンの木製のドア。創業当時はは真っ白だったらしい壁に「LISBON」と書かれたプレートが埋め込まれている。扉は開かれていて、中から漏れ出す暖色の照明とお客さんが談笑する声にほっと安心する。
数多のネット記事で取り上げられているとはいえ、初見だとまず気づかない、隠れ家と言われる類の喫茶店だ。
扉をくぐると右側にカウンターとキッチン、それからレジ。奥さんに「ひとりです」と伝えると、「お好きな席にどうぞ」と言われる。店内は2人がけのテーブルが4つ、4〜5人は座れる半円のテーブルがひとつ、カウンターが5つ。はしっこの2人がけテーブル席に着席。入り口から店内が全て見渡せるほどこじんまりしていて、案の定、電波も届きにくく、チャットはできるが画像は送れなかった。半強制的に外界との接触を断たれ、地下という立地も相まってちょっとした秘密基地である。
まだ9時にもなっていないし、おまけに雨なので、そんなに人もいないだろう、と思っていたのに、店内の半分ほどは埋まっている。みなさん地元のようで、年配の方が朝からコーヒーをすすっていた。雑誌を読んでいたり、友人同士で雑談に勤しむ人もいる。
客層が高いからか、電子機器の類をポチポチしている人が1人もいないというのは、なんだかタイムスリップしたみたいで面白い。1958年創業ということだから、要はスマホなんかが発明されるよりずっと前から通っている人が多いのだろう。
ご夫婦でやられているのか、キッチンでは優しそうなマスターが黙々と調理中。すぐに奥さんが水・おしぼり・メニュー表を持ってきてくれる。
なんといっても今日の目当ては170円モーニングである。ドリンクをつけることが前提の値段らしい。モーニングはトーストかホットドッグか選べて、他にもジャムやウインナーなどの有料トッピングがある。
私はモーニング(ホットドッグ、追加でウインナー)、紅茶(大)、クラムチャウダーを注文。結局色々注文してしまったが、これでも1000円いかないのだ。たまにはいいだろう。
すぐにクラムチャウダー、その後に紅茶。数分ほどでモーニングもきた。わたしがかんがえるさいきょうのモーニングのできあがり。クラムチャウダーに目がないので、ベジファーストの掟を破り、早速いただきます。底からかき混ぜると、見た目よりも具材がたくさん入っていることがわかる。程よく煮崩れたじゃがいもとか、優しいミルクの味とか、我が母が作るものより幾分か強く香るコンソメとか、これだけでわざわざ家から出てきた甲斐がある。
さて、モーニングのほうはというと、見るからにボリューム満点で、これを170円で食べられるなんて、本当にいいんですか?という気持ちになる。
大きなプレートの上には、キュウリとレタスのサラダ、コールスロー、トマト、ゆで卵、ホットドッグ、ソーセージ。彩り豊かで、素朴だけど愛おしい。
ホットドッグが食べやすく半分ずつに切り分けられていて、ふかふかのパンの甘味、ジューシーなソーセージ、さっぱりとしたキュウリ、レタスと、少し多めに塗られた辛子マヨの配分が素晴らしい。家庭でも手に入るありふれた食材だが、この雰囲気があってこその味である。家で作ると何か違うのだ。
とくに、切られたというよりも、砕かれたのか割られたのか、なぜかでこぼこしているゆで卵の断面は家庭では再現できないであろう(これでよい)。ウインナーの切り込みも丁寧だし、ホットドッグを切り分けてくれる気遣いの中に突然現れる無骨さがたまらない。
茹で加減が絶妙で、執拗に水分を奪ってゆく固茹でというわけでも、ねっとりまとわりつく半熟でもなく、口に入れるとホロホロと崩れる。あっという間に解けてしまうシンデレラの魔法のようだ。
こうしている間にもどんどんお客さんがやってきて、慣れたようにカウンターの上の新聞を取っていって読んでいたり、席につくなり「いつもの」と一言だけ発していたりする。テレビでしか見られないと思っていたが、未だこういう古典的な文化が残っているとは。
食べ終わったお皿を下げてもらい、冷ましておいた紅茶をいただく。何を隠そう、自他ともに認める猫舌である。温かい紅茶が好きなのにすぐには飲み始められない臆病ものなのだ。
少しぬるくなった紅茶を20分ほどかけてゆっくり啜った。どうせ電波は届かない。鞄のなかから本を取り出す。今日のお供は朝井まかて「恋歌」である。まだ序盤、乙女のいたいけな恋心にくすぐられ、あァ、私は今後、"胸を焦がすような"などと形容される恋愛にのめり込めるだろうかと考える。無理かもしれない。
キリのいいところまで読み進めたところで、紅茶を飲み切り、名残惜しいがお会計。950円なり。外界に帰還して時計を見ると、まだ10時前である。これから何をしよう。書店に寄るのもいいし、あぁ、そういえば、近くの行きつけの喫茶店が開くころだ。もう一杯紅茶を飲んでもいい。あるいは家に帰って二度寝でも…。