【雑記#13】喫茶店が持つ魔力について考える
喫茶店が好きです。カフェではなく、喫茶店。それも、半世紀もそこに変わらず佇む、昔ながらの喫茶店が好きです。薄暗いオレンジの照明の中で本を読む時間が好きです。
どうして私は喫茶店に惹かれるのかって、あんまり考えたことないですが、今回はその話をしましょう。
なぜ私は喫茶店に行くのか
喫茶店に行く目的って、なんでしょう?
私は喫茶店に人と一緒に行くことは滅多になく、大抵は本を読むためとか、気分転換するためですかね。
前回の雑記にも書いたように、私が本を読む時は人との距離を置きたい時だし、本を読む目的は現実逃避なので、喫茶店に行く目的もこれにつながってきます。
喫茶店というのは、今時のカフェとは違い、照明が薄暗かったり、古びていたり、なかなか入りづらい雰囲気があると思います。
ですが、外から中が見えなかったり、中に入っても薄暗いというのは、これはなかなか有難いもので、というのも、周囲から自分の姿が見えにくいということは、一種のシェルターとしての役割を果たしているわけです。
同じ空間にいてこんなに紙の本を読んでいる人間が多数吸い寄せられる場所というのを、私は喫茶店と図書館しか知りませんが、即ち自分の世界を持っている人の集まりということですから、決して他人のテリトリーに踏み込まない配慮とか、いい意味での無関心さというスパイス的要素があります。
元から人の目を気にするタイプではありませんけれど、なんというか、周囲との人間の間にごく薄い壁がある感じでしょうか。無人・無音だと落ち着かないけど、ごく薄い壁があって、それを挟んだ向こう側になんとなく他人の気配を感じるというのがちょうどいい。
昼間より夜の喫茶店に惹かれるのも、聞こえるか聞こえないかくらいのBGMの心地よさも、こういう部分にあるのでは。
喫茶店が持つ魔力
私が思うに、喫茶店が持つ魔力というのは、"時間の流れの遅さ"にあります。
喫茶店って、本当に店舗ごとに個性があって、例えばインテリアも音楽も照明も店主の人柄も、当たり前ですが同じものなどひとつもなく、全てがその店の雰囲気を構成する欠かせないピースなのです。
そして、私が足繁く通う喫茶店に共通しているのは、周囲より時間の流れが遅く感じるという点。それはおそらく、その空間に時間に追われている人がいないから成せる魔法です。
チェーンはともかく、個人店ともなると、ネットやHPの情報を頼りに開店と同時に訪れたはずなのにまだ店が開いていないという事態に見舞われることも多々ありますが、これに腹を立てず、「これもこの店の持ち味である」と納得できる者だけがそこに足を踏み入れることを許されるのです。
喫茶店という場所は、要するに、喫茶店に行く余裕のある人が来るのであって、余裕のない人はそもそも喫茶店以外の場所を選ぶのではなかろうか。
いつぞやの記事に、漠然と好きなことを考えている時間が、人生の中で最も自由でいられる時間かもしれない、というようなことを書いたことがありますが、それに通ずるものが喫茶店にもあると思うのです。
仕事に追われる人が仕事を忘れるために来たり、友人とお喋りするためだったり、目的は様々ですが、そこにあるのは喧騒ではなく平穏ですから、周りよりも時間の流れを遅く感じることができるというのは、喫茶店の魔力に魅入られた者の特権と言えるでしょう。
そして、魅入られるために必要なのは、有り余った時間です。それを喫茶店に住み着く悪魔に食べさせるのみ。
喫茶店をもっと楽しむ簡単レシピ
喫茶店にいくなら、可能な限り身軽な格好が良い。スマホはいらないし、パソコンもいらない。時間の制約などという不毛なものも置いていくべきで、持ち物は財布と文庫本だけでよい。
敢えてこれだけ携えて、「今日の僕はこれしか持ってきていないから、今は本を読んで茶を喫することしかできないな」と開き直って心の中でふんふん鼻歌でも歌っていればよろしい。
焦ったところで何も変わりはしません。変わらないことを知っているから気分転換というものを欲するのであって、だったら徹底的にやりましょう。
そんなわけで、たっぷりの興味と少しの勇気、おまけに開き直りというアクセントがあれば喫茶店をより楽しむことができるでしょう。