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仕事を辞めてしまいました
こんにちは、ぎりです。
2024年11月、新卒から約5年半お世話になった会社を退職し、30歳でポーカー専業(ニート)になりました。知り合いの誰に打ち明けても「やっぱりね。意外と遅かったね」と驚いてくれないのですが、私としては悩みに悩んでの決断なので、その経緯と今の思いを今後の自分のために書こうと思います。内容は日記のようなもので発信する類のものでは無いのですが、30代で同じように悩んでいる方がいるはずなので、その方達の参考になれば嬉しいです。
私は大学院を修了し、24歳でとある金融企業に就職しました。業務内容には特にこだわらず、社員の方がのびのびと働いていそうで、年収が高くて、趣味のポーカーのために有給休暇が取りやすい会社を選びました。
しかしこれは決して仕事に人生の比重を置いていなかったということではありませんでした。私は「1日の大半の時間を使うのだから、仕事には一番一生懸命でいたいし、何より楽しみたい」と考えていました。でも何が向いているかわからないし、とりあえず待遇面を優先することにしたまででした。それにこの時は、どんな仕事でも前向きに頑張れば楽しくなるはずだと信じていました。若いですね。
そして、待遇◎のホワイト企業に入社します。正直、最高の会社でした。優しいけど頼りになる上司、何でも教えてくれる先輩、話の通じる同僚。システム開発系の部署に配属されたためか理不尽に怒られることもなく、激務ではありましたが頑張った分だけ周りからも評価されました。1週間の休みをとって年に2回ほどポーカー旅行に行くことは譲れませんでしたが、周囲は「ぎりさんは趣味があって楽しそうでいいねえ」と好意的で、非常に恵まれていました。ただポーカーの実力の方は全然ダメで、$1-3で経費勝ちだ負けだって騒いでいるようなレベルでした。
そして3年目、東京へ転勤になります。システム企画の部署に異動になりました。社内で最もボーナスが高い部署への栄転です。基本的にベテランしか配属されない部署で、私が最年少でした。複数のプロジェクト管理を行う仕事に就き、めちゃくちゃに忙しくなりました。深夜に帰宅することもしばしばで、能力に見合わない大きな仕事を任せられ、責任感だけでがむしゃらに頑張りました。頑張って頑張って、ここでもそれなりに評価され、そして4年目に入り日々の業務に慣れて来た頃、自分の仕事が急につまらなく感じるようになりました。
このままここであと30年働けるのか?と考え始めます。周りからは出来てるよと言われていましたが、自分の中では人をまとめる仕事は向いていないと感じていて、やり甲斐もありませんでした。このまま続けていてもこれ以上スキルが伸びる気もしないし、そもそも伸ばしたいスキルでもない。私にとって仕事とは全力で頑張りたいことなのに、楽しくも向いてもいないことを頑張ることが苦しくなり、心の底ではやりたくないと思うようになってしまいました。しかし強い責任感のせいでサボることは許せない。頑張るモチベーションがないのに中途半端に頑張ってしまう。毎日は大変なのに、達成感が何もない。果たしてこのままでいいのだろうか。いつの間にか、やりたくないなぁ、めんどくさいなぁと思いながら仕事に向かうようになりました。そしてこれは目の前のことを無我夢中でやってきた私にとって初めての感覚でした。
何も成長しないまま、つまらない仕事をだらだらやる人生を送りたくはない。では、何をしたらいいんだろう。私はなんの仕事なら楽しめるんだろう。悩みの始まりでした。
特に頭を悩ませたのは、今の職場環境が非常に恵まれているということでした。仕事自体が苦しいわけではないのです。休みも取れるし在宅もできるし周りも優しいし、給料にも不満はなくて評価も上々で、翌年の最短昇格も狙っていました。ただ、もっと楽しく向上心を持ちながら仕事をしたいだけなのです。これはあまりに贅沢な悩みに思えました。楽しい仕事というものがなんなのか、存在するのかさえわからないのに、理想だけ高くてどうしようもないね、ともう1人の自分が言います。当時の仕事も客観的に見ると難しくて刺激的なものだったので、先のビジョンがないまま異動や転職をしても状況は好転せず、むしろ悪化する可能性が高いように思えました。近々結婚したいと思っている彼氏もいて、ポーカーは変わらず楽しくて、プライベートも充実していました。理想の人生を送っているじゃないか、仕事なんて辛くなければそれで良いだろう、わがまま言うなよ、と声が聞こえます。頭ではわかっていても悩みは大きくなるばかりで、このままでは自分が腐っていくような気がしていました。
そんな折、社内で新しい制度が出来るという通達がありました。なんでも、自分のキャリアのために大学院に通うなどして自己研鑽する場合、休職を認めるという内容のようです。これだ!と思いました。やりたいこともやるべきこともまだ見えていないけれど、それなら戻って来られる範囲内で一度環境を変えて、絶対にプラスになる能力をつけてみようと考えました。今は手札がないのでやりたいことが思い浮かばないだけだ。できることが増えれば、自然とやりたいことも見つかるはず。とりあえず問答無用で頑張れる環境、頑張らないと生活できないようなそんな環境に身を置いて何かを勉強してみよう。
私は1年間、海外で生活して英語の習得をすることにしました。
思い付いてからは早かったです。上司に相談し、社内の各種手続きを済ませ、彼氏も説得しました。そして、1年間のオーストラリアでの語学留学が決まります。英語を話せるようになった先のビジョンは全くありませんでしたが、それでいいと思っていました。英語を全く話せない今の私が思い付くはずがないのです。1年後の自分が何か考えてくれるはずだし、英語は確実に将来に活きるスキルなのだから、今はとにかく一生懸命頑張ればいいのです。
1年間の休職期間、給料は出ません。恐らく昇格も遅れるでしょう。そろそろ結婚と話していた彼にも待ってもらう事になるし、周りが立派に働いている28歳で今から学生になるのは後ろめたさもあります。それなりに失うものもありました。それでも、これからの人生のために挑戦することにしました。私は努力している自分しか好きになれないみたいです。幸い、会社の人達も家族も暖かく送り出してくれました。彼も「別れるリスクが増えるし俺にメリットはないけれど、やりたいなら行かせてあげたいし頑張って欲しい」と言ってくれました。本当に感謝しています。ありがとう。心から。
さて、社会人5年目、オーストラリアでの生活が始まりました。4月当初の私の英語力は酷いものでした。寮の同室の女の子達が何言ってるかわからない。道を尋ねることもできない。とにかく人と意思疎通ができませんでした。この状態から1年間、語学学校に通って英語を勉強することになります。本当は3ヶ月間ほどで学校を終えてそこからは現地でのアルバイト・交友関係を通じて英語力を磨きたいと考えていました。しかし会社から「学校に通うこと」を条件に休職が認められたので、1年間フルで通学する必要がありました。
この留学期間中の最大の問題は、経済的負担でした。オーストラリアは物価が高く、現地での生活コストが多くかかります。その分アルバイトの時給が約2000円と高いため働くことで辻褄があうのですが、私は「副業禁止」という条件も会社から出されてしまっており、他の学生のようにアルバイトで生計を立てることができませんでした。1年間の学費約200万円、さらに前年度の税金を支払った私に残ったお金は、80万円しかありませんでした。これで1年間アルバイトなしでオーストラリアで生活する必要があります。現地の4人1部屋の学生寮の家賃は月9万円です。
...…ん??
1年間の家賃さえ払えんぞ??
早速ハードモードです。しかし私は社会人で、この歳でこんな挑戦をさせてくれる会社に心から感謝しています。出された条件は出来る限り守りましょう。
働くことが禁止されたので、毎日学校に通いながら夜にカジノでポーカーをして生活費を稼ぐことにしました。労働は禁止されましたがギャンブルは禁止されていません。問題ないでしょう。
肝心のポーカーの腕前ですが、私のそれまでのライブキャッシュゲーム通算成績は、470時間打って時給約800円、2〜3bb程度でした。弱いですね。生活費を稼げる保証は全くありませんでした。しかし背水の陣で覚醒してすごく強くなるかもしれませんし、もし生活できなくなったら帰国して復職を早めればいいだけです。先のことは深く考えずとりあえずやってみましょう!!
そして1年間、ひたすらベーコンを食べて節約しながらなんとか海外生活を全うすることができました。英語も仕事では使えないレベルですが、日常生活ができるくらいにはなりました。サブでyoutubeの編集スキルも手にしました。最も伸びたスキルはポーカースキルでしたが、1年間本当に頑張ったと胸を張って言えるようになったことが最も嬉しいことでした。そして、ポーカー専業のような生活を1年間続けた結果、社会の中で人と繋がりながら仕事をして報酬を得ることの素晴らしさを痛感し、また社会人として仕事がしたいと思えるようになりました。関わりたく無い人とも関わりながら、自分に割り当てられた役割を精一杯こなし、そうすることで周りからも認められて自分のことも認められる。社会人とはなんで素晴らしいのでしょう。健全な日常生活を送りながら、社会の役に立ちたい。人と関わりたい。さあ、頑張るぞ!
社会人6年目、1年間の休職を経て元いた部署に復帰しました。流石に即戦力に数えられているようで、いきなり大型案件達を任せられました。ものすごい量の仕事です。背景を何も知らないのに、大量の案件相談が私のもとにやってきます。1件1件現状を把握し、推進計画を練り、めちゃくちゃ頑張りました。「早速めっちゃ仕事してるねえ」私もそう思います。でも楽しい。久しぶりのオフィス、人と食べるご飯、資料作成、会議。社会の歯車として私が機能している。役割がある。ちゃんと仕事している人になれている。オーストラリアでたまに感じていた「私は何をしているのだろう。こんなことをしていて大丈夫かな、恥ずかしいな」という不安がありません。最低限のことをこなしてるんだからと自信を持って大きな顔で生活できます。
2ヶ月経った頃には完全にブランクを取り戻し、バリバリ案件を捌けるようになりました。この業務は3年目になるので仕事の効率もよくなった気がします。自力で判断できることも増え、在宅も活用し、あまり負荷なく仕事ができています。いい調子です。
そして6月、私は上司を呼び出して相談します。
「このままだと仕事を辞めてしまいそうです……」
あれ??
なんとまたまた「頑張りたいのに頑張れない病」が発症し始めてしまいました。しかしまだ2ヶ月。社会的な充実感を捨ててまで辞めたいと言うには早すぎます。これにはもう一つ原因がありました。原因不明の激しい頭痛です。
5月のある日、会社で仕事をしていると突如激しい頭痛に襲われました。その日はなんとか働き家に帰ったのですが、ズキズキズキズキとものすごい痛みです。携帯の画面も見ることができずご飯も食べられず、眠ることしかできませんでした。翌日になっても、まだ痛みます。全く仕事になりません。早退してすぐにまた眠りました。夕方に目覚めると治っていたので、疲れが溜まっていたのかとあまり気にしませんでした。しかし翌週水曜日、また会社で仕事をしていると頭痛がし始めます。
その日も早めに帰り、凄腕のマッサージ師の施術を受けに行きました。終えると痛みが和らいだので、もしかしたら肩こりが原因かもしれないと考えます。そうして、私はこの1回2万円のマッサージに通い始めることになりました。
しかし翌週もその翌週も、会社で仕事していると週の真ん中くらいから頭痛がし始めるようになりました。1日半ほど休めば治るので週明けには回復します。鎮痛剤を常備するようになりました。なんだかよくないぞ?と感じ始めます。頭痛の原因は仕事中の過集中もしくはストレスだと予想していますが、結局最後までわかりませんでした。
「やっぱりこの仕事向いてないし楽しくないなあ」と感じるようになったのも同時期でした。仕事について、本当はもっと上手くやれる方法がある気がするのですが、それをわざわざ頑張って探すモチベーションが湧きません。やはりこの仕事自体が好きではないようです。業務に全力で取り組んでいない自分のことが許せず自己嫌悪しました。チーム異動をして仕事内容を変えたかったのですが、お願いして良いものか悩みました。すでに休職してわがままを聞いてもらっているのに、チームを変えてもらったとして、さらにそれでも仕事が楽しくなかったり頭痛が治らなかったりして続かなかったらどうしよう。これ以上迷惑をかけて腫れ物のようになりたくはない。自分がどうしたいかもよくわからず、頭痛の話とあわせて「今の仕事が向いてない気がして、元のシステム開発に戻してもらうことも考えているのですが…」と上司に軽く相談してみました。しかし、「いやいや、今の仕事十分出来てるよ。俺すごく評価してるよ!」と返されて「え、、、そうですか??テヘヘ」って照れていると気付けば相談の時間が終わっていました。今になって思えば、この時にもう少し真剣にお願いした方が良かったかもしれません。頻繁に頭痛がしてつらいこと、原因がわからないがオフィスでの発生頻度が高いので在宅を増やしてみることを伝えてこの回は終わりました。
そして、週の半分以上を在宅勤務としてみました。非常に快適です。頭痛の頻度も少し減りました。しかしモチベーション問題は解決していません。何か解決策を導かなければなりませんが、残念ながらやりたい仕事のビジョンに繋がるような大層な英語力は身につけられなかったため、結論は出ていませんでした。海外で働く選択肢自体は追加されたものの、やりたいことにはなりませんでした。ただわかったことが2つあります。それは「社会と人との繋がりのために、仕事は絶対にしたいと思っている」ということと、「ポーカー専業として数年間はやっていけそうだ」ということです。
ポーカーで生活した1年間は、好きなことが毎日できて、努力に応じてスキルがあがっていき、とても充実していました。しかし同時に、このままこの生活を続けつつ自分への自信を保つことが難しいと感じました。ポーカー専業の生活は、人との関わりが希薄で、協力して何かをしたり、自分がしたことで誰かに感謝されたり褒められたりする機会が全くありません。毎日カジノで会う人たちは特殊な人たちで、彼らとだけ関わっていると自分の感覚が世間一般からどんどん離れていくような気もしました。私は人からの見られ方を非常に気にするタイプで、「ちゃんとしたまともな人でありたい」という思いを強く持っていました。このまま専業として生活していると、自分でも気付かないうちに、イタイ大人になってしまうのではないかという不安がありました。社会人たちが世の中に必要とされる仕事を毎日やって立派に過ごしている間、私はゲームの腕前を磨いているだけ。仕事で成長していないことに悩んで海外に行ったわけですが、たとえ成長をしていてもそれが世間に対して自信を持てる分野でないと意味がないような気がしました。私が自分に自信を持って生きるためには、最低限の人との関わりと、何か人から必要とされる仕事をしなければならないようです。
しかし一方で、自分はポーカー専業にギリギリなれるレベルにいそうだという発見もありました。現状の環境が続く限り、少なくとも向こう1〜2年間はポーカーで生計を立てられそうだと感じました。お金を目的にポーカーをやりすぎると飽きるのではという懸念がありましたが、レートアップできる環境や成長の実感がある限り、問題なさそうです。ボムポットやスタンドアップゲームなど特殊ルールのプレイを考えるのも好きで、またPLOやMixにも興味があるので、私は一生ポーカーを楽しめそうでした。
さて、ここで今の仕事の悩みをどう解決するかです。まとめると、ポーカーをすると本業より稼げそうだが、幸福のためには人と繋がりのある仕事をする必要があり、具体的に何がいいかは絞りきれていない、という状態です。あまり留学前から進展していないように見えますが、大きな違いがありました。ポーカーで稼ぐ自信がついたことで仕事に金銭を求める気持ちが薄れたのです。仕事は絶対にしたいけれど、仕事だけでお金を稼ぐ必要がなくなったため、仕事の楽しさを求めて待遇を下げる決心ができるようになります。
「営業への異動を希望します」
6月中旬、社内で手を挙げました。私の会社では、営業部署は給与が高い方ではなく、パワハラの噂もチラホラあり、優秀な若手はどんどん他部へ流れたり辞めたりしている状態で、人気がありませんでした。在宅勤務ももちろんできません。理系院卒飲み会嫌い自称隠キャの私には不安要素が多いです。しかし今後のキャリアを考えたときに、現行業務の対極にある営業だけは今やっておかないと道が閉ざされるという考えに至り、挑戦をする決意をしました。また、私は人と仲良くすることに苦手意識があるのですが、なぜか上司からは常にコミュニケーション能力を褒められてきたため、適性はあるのではと思っていました。
2021年に「営業じゃなくてよかった〜」と呟いていた私が、2024年には営業を希望することになります。これは海外生活を経た前向きな変化だと捉えることにしました。
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そう、私は社会人として頑張りたいのです。今の環境を手放すのは惜しかったのですが、この会社で前向きに働き続けるために、冒険することにしました。
しかし11月、私は会社を辞めました。
理由は、しばらく営業部署への異動が叶わないということが判明し、このまま先の見えない状態で今の仕事を続けるモチベーションがなくなったからです。
それでもかなり悩みました。社員は皆いい人で働きやすく、会社に愛情もありました。というか大好きでした。大企業で一生懸命頑張って、いつか尊敬する上司たちのようになるんだ、なりたいんだという思いもありました。本当は、会社で仕事を楽しみながら活躍する人でありたかった。その道はもう取れないのか、と考えると悲しくなりました。転職することはできますが、この会社のような大きな会社で働く機会はもうなかなか訪れないでしょう。
辞めることを伝えたとき、「業務内容の変更や調整するし、再度休職もできるよ」と言ってもらえました。こんなこと言ってはいけませんが、営業にしてもらえないなら辞めますと言えばすぐに営業への異動も叶ったはずです。しかし一度その技を過去に使ったことがあり、さらに休職もしている手前やりたくありませんでした。社内で不安定な人と思われながら仕事をするのは避けたいと思ってしまいました。どちらが良かったのかはいまだに分かりません。来年には昇格するでしょ、と直属の上司は言ってくれていましたし早まったかもしれません。辞めることを伝えた10月から11月の間、本当に辞めていいのだろうか、私は当たり前なことができないどうしようもないちゃらんぽらんだ、この先の将来どうなるのだろうか、という不安と自己嫌悪で毎日押し潰されそうでした。とある実況で叩かれまくったことも原因の一つですが、この時期は若干鬱でした。笑
少し話は変わりますが、辞めると決意する前に、私が学生の頃にお世話になったポーカーコミュニティの大先輩と数年ぶりにお会いする機会がありました。この方は企業勤めをされながらコミュニティを運営し、ポーカーを広める活動をされていた方です。このコミュニティの活動は社会人がメインで、平日しっかりと働いている人達が休日に集まって、みんなで趣味のポーカーで楽しく戦うというものでした。当時学生の私は非常に可愛がられ、そこで出会った大人達に悩みを相談したり助けになる方を紹介してもらったり、正しい振る舞いを教わったりしました。私がポーカーを楽しく続けられたのは、このコミュニティがあったからです。その方に、オーストラリアから帰国してから初めて再会しました。
「youtube見たよ。君が学生やこれからポーカー始める若い子の道標となるように頑張ってほしいと思っていたけれど、ちょっと突き抜けすぎちゃう〜?」
私が挨拶に伺うと、こんなことを言われました。冗談っぽく笑っていられましたが、少し苦々しく思っていそうな、そんな口ぶりでした。
「うーん、お恥ずかしい……私も学生にはここまでハマるのを勧めたくはないです...…笑」
私は苦笑いをしながら返しました。
本心です。ポーカーは素晴らしいゲームですが、あくまで趣味として、交友の手段として付き合って、たまに海外旅行のついでに遊ぶくらいが丁度いいと思っています。私は自分がポーカーにのめり込んだことに後悔は全くありませんが、学生にはその時にしかできない部活動や交友関係を楽しんでもらいたいなと思っています。そして、ポーカーの持つお金の側面からはできるだけ離れていてほしいなと。
私もオーストラリアに行くまではポーカーをゲームとして楽しんでいました。仕方ない面もありましたが、お金稼ぎの手段としてポーカーを使ってしまったことは、少し後ろめたくも感じています。
「まだ仕事は辞めない方がいいと思うよ」
ドキッとしました。私からは何も伝えていないのに、急にその一言を言われました。私が辞めそうだということを察知したのでしょうか。
「そうですね...…少なくとも、まともな大人でいたいなとは思ってます」
これも心の底からの本心でした。まともな大人でいたくて仕事もがんばっている。ポーカー専業になる誘惑から私を守ってくれているのは、人から見て恥ずかしくない立派な大人でいたいという思いなのです。このコミュニティで出会った皆さんのように。
「ははは、もう怪しいけどなあ〜」
.........…
ショックでした。頭を殴られたような衝撃でした。会話の流れとしては冗談で仰られていたのかもしれませんが、この言葉はこのときの私にすごく刺さってしまい、この先も何度か思い出しました。
私はまともでありたくて、ちゃんとしていたくて、だから頭痛薬を飲みながらでも苦手で楽しくない仕事を毎日精一杯やって、営業を希望までして、社会人を続けるために試行錯誤しているのに、もう既に周りから見たらヤバい人なのか、と。
読んでいるみなさんは、「いや、そうだが?」と思うかもしれません。
でも当時の私は、ちゃんとした社会人を続けるためにどうすればいいかで2年以上悩んでいて、悩みながらも側から見たらまともなように一生懸命頑張っているつもりだったので、その頑張りが既に無意味かもしれないと言われたようで目の前が暗くなりました。
じゃあ、私はなんのために毎日つらい思いをして無理して仕事をしているの。
正確には仕事自体はつらくなくて、頑張りたいのに頑張ろうと思えず、それでも周りより頑張ってしまうことがつらいというよくわからない悩みなのですが、そもそも普通に頑張っているようにも見えないのかというのが自分の中ではショックでした。
その衝撃もあったから、営業への異動が叶わないと知った時にすぐに辞める決断に至ったのかもしれません。
そして10月、会社に辞めることを伝えました。すると関わりのあった方達が連絡をくれ、いくつか送迎会を開いてくれました。
「戻りたくなったら帰ってきたらいいよ」
「残念。頑張って欲しいけど寂しい」
「辞めてからもときどきどうなってるか教えてな」
みなさんから本当に暖かく優しい言葉をかけてもらえました。やはり素晴らしい会社です。こんないい人たちに囲まれたいい会社を辞めるなんて、やはり私はどうしようもない……そう思っていたところ、驚いたことに30代の男性社員数人から「羨ましい」という言葉をかけられました。
「俺も正直家族がいなければ起業とか転職したいなと思うことがよくある。正直ぎりさんが羨ましい」
「ポーカーするん?めっちゃいいやん。そういう人生歩んでみたかった」
「他のことに挑戦したい気持ちはあるけど、ここまでくると俺はできなくなった。だから応援してる」
お世辞が含まれているかもしれませんが、この中にはわざわざ電話をくれて激励して下さった方もいました。もしかすると、私が思っているよりもみんな実は悩みながら仕事をしているのかもしれないなと思いました。
素晴らしい環境の会社を勤めあげることができなかったということが自分のコンプレックスになりかけていましたが、この時の先輩たちの羨ましいという言葉を聞いて、考え方が変わりました。そうではなくて、選択肢があって選べること自体が恵まれているのだと思うことにしました。
普通なら、現状にもやもやしていてもどうしたらよいのかわからなくて、何もできないのかもしれない。まさしく2年前の私がそうでした。
それが海外に行って生活してみることで、仕事を変えることへのハードルが下がり、ポーカー専業としての道が現実味を帯び、仕事を辞めることが"選べるようになった"。これは恥ずかしいことではなく、素晴らしいことなのかもしれない。そう考えました。
どうする?
・がんばる
・転職する
だったコマンドが、条件を満たしたことで
どうする?
・がんばる
・転職する
・辞めてポーカーをしてみる
のように選択肢が増えたのです。隠しルートのようなものです。選ばない手はありません。
これはよいことだし、この選択肢が正解だったかどうかは今後の私の頑張り次第なので、今悩むことではないなと考えるようにしました。
これが私がなんとか自分を納得させるために出した結論でした。
さて今後についてですが、将来的には何かしら社会のためになる仕事をしたいと思っています。しかし急ぐ必要もないので1〜2年間はポーカーをしながらお金を貯めつつ、やりたいことを探すことにしました。
会社を辞めるという選択ができたことで、時間ができました。この時間は、「今やりたいこと」に使うことにします。
いま私は、もっとポーカーが強くなりたいです。カジノで1番高いレートを自信を持って打てるようになりたいです。今の私のポーカーの実力は、専業の中で下の中くらいだと感じています。つまりは伸び代があるということなので、ここからどこまで伸びるのか楽しみたいです。
それから、社会人で忙しくて読めていなかった面白い漫画達を読み漁りたいです。
あとは、ボードゲームカフェや喫茶店なんかの店舗を経営してみたいなという夢もあります。
企業の中で周りに認められて登り詰めるという夢は叶わなくなりましたが、その分、ちょっとやってみたいことを気軽にたくさんできるようになりました。
まずは今1番やりたいことであるポーカーをしながら、次のやりたいことをゆっくり考えたいと思います。お金に困ったら、免許はあるので数学教師になることもできるし、中小企業で事務職をやってエクセルマクロを作りまくるのもいいかもしれません。お金のために仕事をするのは辞めたので、飽きたら別のことを試すことにします。焦る必要はありません。私の人生は、尊敬していた先輩達にとって羨ましいものらしいので、大丈夫なはずです。唯一、結婚だけはちょっと焦っていますが。。。
最後に、実はある人から「ポーカーでぎりさんの人生絶対狂ったよね」と言われました。
私はこの言葉には反論をしたいです。
確かに、ポーカーに出会ってなかったら仕事を辞めていなかったかもしれないし、少なくともニート期間はなかったでしょう。そういう意味ではポーカーに出会って人生は変わりました。しかしこれは決して悪い意味ではありません。私はポーカーに出会ったことで、人生が5倍楽しくなりました。
私はポーカーに8年間熱中していますが、今もなおポーカーは面白く、それどころか別の楽しみ方ができるようになりました。ポーカーの力量があがるにつれて、ゲームの見え方がどんどん変わってきます。私が今やっているポーカーは、2年前にやっていたゲームとは全く違います。自分の成長が嬉しいし、人生の目標ができたし、ポーカーのおかげでできた友達もたくさんいるし、毎日やりたいことが多すぎて時間が足りない。こんなに素敵なゲームに出会えて心から感謝しています。
ポーカーのお金稼ぎの部分を取っ払ってもっと純粋に楽しみたいとか、ポーカーで負けたら自分が否定されたような気持ちになることをやめたいとか、ポーカーへの向き合い方を変えたいと思うことはありますが、ポーカーに出会わなかったら良かったとは思ったことがありません。私の人生を彩ってくれてありがとう。私はポーカーが大好きです。
3年後、私はどうなっているのでしょうか。
ポーカー専業達を集めて「3年後何していると思う?」と一人一人に聞き、もう一度3年後にその動画をみんなで鑑賞する会をやってみたいです。専業の皆さん、どうでしょうか?
長文の自分語りnoteになってしまいましたが、最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
3年後にまた読み返したいと思います。