日本文化はどこまで?

ずいぶん昔、私は熱心な読書家であり、典型的な「端から端まで読んでみるか!」という人でした。それなのに、一度お引越しをしなくてはならなかったんですよね。自宅にあった科学雑誌「コペル21」は読破したものの、近所の私立学校に行った子のご両親から譲ってもらった古典は読み終えることはなく処分。

ああ、いわゆる四書五経は読まなかったなと今更ながら図書館で借りて読んでおります。

私は父方の家が歴史書と文学に載っている、ある事件に深くかかわったため仏教を学ばなくてはなりませんでしたがあまりに理解が及ばず諦め、ルーテル派から正教へ渡り歩き戻ることはありませんでした。そういえば、漢字能力検定も最上位の一級はほとんど仏教用語ばかりで、概念がわからないのに文字と読み方だけ覚えるのは失礼だし意義が感じられなくてやめたのでした。しかしニコライ堂の名前の由来となった亜使徒聖ニコライはその仏教用語も読めていたのだと思うと、私は、私は…。できの悪い自分に落ち込むばかりです。

目があがる(「老眼になる」)までに、四書五経は読み終えたいです。そう、高校生の時のように意義は求めません。意味がわからなくてもいいんです。聖ニコライはあれらを「日本文化」と認識して学んだのだから、私もそうしたいんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?