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トルコ・カフラマンマラシュ大震災で倒壊した宿泊施設について

2023年2月6日早朝に発生したカフラマンマラシュ大震災では多くの建物が倒壊し、トルコ国内だけでも死者43556名、負傷者108068名と激甚な人的被害が出た。

被災地域の幾つかの宿泊施設も瓦礫と化したとの報があり、いわゆるスラム街のボロ宿ではなく、観光シーズンであれば日本人の個人旅行者や団体ツアーでも利用しそうな、口コミも比較的高評価なホテルが連鎖層崩壊で全壊したことに衝撃を受けた。

これらの倒壊した宿泊施設の概要を述べるにあたって、2023年2月22日付ビルギュン(BirGün)紙ティムール・ソイカン記者の論説(原題:Otel, siyaset ve ölüm)を紹介する。

※元記事のURL:
https://www.birgun.net/haber/otel-siyaset-ve-olum-422313


ホテルと政治と死

マラティヤ市のバレーボールやアンプティサッカーチームの選手の墓場ともなったクルチュワルホテルのオーナー、ザフェル・クルチュワルは、AKPのバッタルガジ区の副区長で、マラティヤ政令市議員でもある。

2020年の地震後の建物に損傷無しとの調査報告を提示しながらクルチュワルは「神の災いだ、兄弟よ 」と宣ったという。ここでは、地震で倒壊した18のホテルと、その一部の政治的なつながりについて述べる....

※アンプティサッカー:上肢または下肢に切断障害等のある人のサッカー
※AKP:公正発展党 2002年以来トルコの政権与党
※2020年の地震:2020年1月24日エラズー地震

地震による破壊の下から、請負業者や企業人の政治的なつながりが浮かび上がってくる。倒壊したビルの建設業者がAKPの前県知事であったことが明らかになり、地震で大きな被害を受けた新築ビルの請負業者とAKP市長との癒着が取り沙汰されている。また破壊された高速道路や破損した空港の建設業者が政府と密接な関係にあることはよく知られている。

私たちは震災の痛みを経験しながら、政府の腐敗した利権に立ち向かっているのだ。

震災で数百人を生き埋めにしたホテルのオーナーも、政府の翼賛で老朽化した建物で商売をやっていた。古いアパルトマンは、外装を飾り、内装や部屋を化粧してホテルに変身している。柱を切ったという疑惑も尽きない。

バッタルガジ地区の副区長、ザフェル・クルチュワル


KIRÇUCAL OTEL

マラティヤのバッタルガジ地区にあるクルチュワルホテルは、外観は大きなアパルトマンと変わりがなかった。この52室のホテルは1997年に建てられた。3つ星、9階建てのこのホテルは、午前4時17分の最初の地震で全壊した。

このホテルのオーナーはAKP党員でもあるザフェル・クルチュワル。2014年の地方選挙で、彼はマラティヤのバッタルガジ地区の区議に当選した。その直後、バッタルガジ地区の副区長となり、現在もその職に就いている。2019年3月31日の地方選挙では、マラティヤ政令市議員に選出された。昨年6月の息子の結婚式では、AKPのオズヌル・チャルク議員やマラティヤ県知事のフルシ・シャヒンが結婚式の証人に名を連ねている。

マラティヤ市のスポーツ競技チームは、市議であるクルチュワルのホテルに滞在していた。マラティヤ市アンプティサッカーチームの4名の選手、イラン国籍の3名(Mehdi Saedavi, M. Reza Mir Ahmadi, Hamed Matrouidi)とカメルーン国籍の1名(Elvis Nkam Teneng)はここで命を落とした。

このホテルには、男子バレー2部リーグに参戦しているマラティヤ市チームの選手6名が宿泊していた。メフメト・ジャン・アールバシュ、ムラト・チロオールラル、レスル・ギュル、ギョルケム・ジャン・ギュンドゥズ、エミルジャン・コジャバシュ、ツナハン・ユルドゥズは瓦礫の下敷きになって死亡した。

ホテルは2020年のエラズー・シブリジェ地震で損傷し、それによって取り壊し命令が出るところであった。しかしホテルのオーナーであるクルチュワルは
「いや、被害無しとの報告書がある。エラズー地震の後、建物は調査されきちんとレポートが提出された」と。

もし、クルチュワルがバッタルガジ区の副区長やマラティヤ政令市議員のAKP党員でなかったら、同様の報告書が得られていたのだろうかと、私は思う。

クルチュワルは、1997年に建てられた建物を後から購入したと言い、
「私たちは建物に何の変更も加えていない。 亀裂も柱の切断もなかった」と述べた。

クルチュワルホテルがあるトルグト・テメルリ通りで、ホテルは最初の地震で倒壊したが、2回目の地震では他の多くの建物も倒壊したとされている。
クルチュワルは
「ホテルだけでなく、近隣や通りにある全ての建物が倒壊した。すべての建物が重なり合いながら。最初の地震ですべて倒壊したのです」
と、ホテルの建物は無傷だったとの調査報告書を以て繰り返し「安全なホテルだった 」と主張するので「しかし、その建物で人々が亡くなった」と言うと、声はとても穏やかながら怒り出したのである。
「神の災いだ、兄弟。ホテルが一つ倒壊したのではなく、マラティヤ全体が倒壊したんだ」と。

1997年建造、52の客室を擁するクルチュワルホテルは最初の4時17分の地震で全壊した

ホテルのオーナーであり副区長という公職にもある者が、この倒壊に対して何の責任も感じていないことは明らかであった。ホテル棟の宿泊客数や、瓦礫の中で命を落とした人の数については「まだはっきりしない」と言っていた。しかし、スポーツチームの選手たちとは別に、ホテルのスタッフや多くの宿泊客が命を落としたことが分かっている。

「調査中ですか」と聞くと、「いや、そんなことはない。これからです。建築家と技術者についてそういう事情もある」と言った。

倒壊した多くのホテルのオーナーの政治的なつながりは注目されるところである。

※追記:ザフェル・クルチュワルは遺族から検察への刑事告訴により、2月24日夕方に逮捕された。

cumhuriyet.com


İSİAS OTEL’İN SİYASİ ENKAZI

イシアスホテルの政治的破綻 
まだ12〜14歳のバレーボール選手25人と、アドゥヤマンに研修に来ていた観光ガイド30人が命を落としたイシアスホテルは、すっかり朽ち果てた建物であった。このホテルを所有するボズクルト家は、AKPと親しいことでも知られている。

ホテルの共同経営者の一人であるメフメト・ファティ・ボズクルトは、2014年から2019年の期間アドゥヤマン市のAKP議員を務めていた。

ホテルの支配人である彼の弟アフメト・ボズクルトは、トルコ青年財団アドゥヤマン支部の高等諮問委員である。アフメトは、兄のうちの一人が2018年の総選挙で善良党から国会議員に立候補したとき、ホテルの建物にタイップ・エルドアンの横断幕を掲げた。AKP副代表の訪問の際、「AKPの大義は我が国の大義である。私たちはこの大義を支持する。家族として、私たちはAKPに賛同している」と。

また一族の一員であるエフェ・ボズクルトは、かつてAKP青年支部の経済・金融委員会の委員を務めたことがある。

ホテルとなったこの建物は、1990年に建設が始ったが、その後工事がストップしていた。約10年間雪と雨に晒された後、2001年にボズクルト一族が荒廃した建築物を購入した。彼らは、アパルトマン目的で建てられた老朽化した建物を装飾してホテルに変え4つ星をつけた。しかし、この建物は川砂と砂利で造られていた。それがボロボロになると、手元でコンクリートがボロボロと崩れていく。

SNSでの反響を大きく受けたからか、イシアスホテルのオーナーと支配人の3人が逮捕された。


YİMPAŞ’TAN ÖLÜM OTELİNE

イムパシュから死のホテル
カフラマンマラシュにある倒壊したサフランホテルのオーナーは、イムパシュ・ホールディングの創設者であるドゥルスン・ウヤルである。イムパシュのスキャンダルで受刑歴のあるドゥルスンは、AKPの設立時に資金を提供したと言われている。
 
このホテルでは数十人が命を落としたが、正確な人数はいまだ発表されていない。また、ドゥルスンに対して捜査が開始されたかどうかも不明である。しかし、2019年にカフラマンマラシュで行われた地震訓練のシナリオでは、このホテルが倒壊するだろうと訓練チームが介入している。

※Yimpaş Holding:https://tr.wikipedia.org/wiki/Yimpa%C5%9F_Holding
※イムパシュのスキャンダル:取締役会長のドゥルスン・ウヤルが2002年に資本市場法違反と無許可の株式公開で提訴され、懲役2年の実刑判決を受けた。健康上の理由で刑の執行が延期され、実際は2007年12月27日に逮捕収監され短縮された刑期で翌年10月15日に釈放された。

この震災でどれだけのホテルが倒壊し、どれだけの人々が命を落としたかは、まだ発表されていない。私の調査では、マラティヤ、カフラマンマラシュ、アドゥヤマン、ハタイ、ガジアンテプで18の倒壊したホテルを確認することができた。


Malatya マラティヤ県

マラティヤではアウシャルホテル、クルチュワルホテル、ビュユックホテル、オズレムホテル、パランジホテルが全壊した。

BÜYÜK OTEL
マラティヤ・ビュユックホテルは、市の中心部のバクルジラル・バザールにある5階建ての巨大な長方形のビルだった。ザフェル・ビジネスセンターと接続しているこのビルは、1960年代に建てられたと言われている。

1階が店舗となっているこのホテルには、52の客室と3つのスイートルームがあり、ベッド数は107台であった。瓦礫からは多くの無残な死体が発見された。

マラティア市中心部にあったビュユックホテルは『地球の歩き方2012-13』にも掲載されていた

AVŞAR OTEL
マラティヤのイェシルユルトにあるアウシャルホテルの周辺では、いくつかのアパルトマンが倒れずに残存している。135のベッドがあり、700席のレストラン、600席の多目的ホール、700席の屋根付きテラスを備えていた。

ホテルのオーナーであるオスマン・アウシャルは、2020年のエラズー・シヴリジェ地震後、マラティヤ県環境都市局が建物を調査し、きちんとした報告書が提出された主張している。地震発生時、ホテルの10部屋が使用されていた。

4つ星ホテルであったアウシャルホテル

ÖZLEM OTEL
バッタルガジ地区にある小さな安宿で、5階建ての古い建物だった。

ディヤルバクル・ビスミルリから建設現場で就業するためにマラティヤに来ていた5名の労働者が命を落とした。レカイ・スバシュとアギト・スバシュはそれぞれ17歳と18歳であった。


Kahramanmaraş カフラマンマラシュ県

カフラマンマラシュでは、サフランホテル、アルカンホテル、カザンジホテル、ホテルブルジュが全壊した。

ARIKAN OTEL
アゼルバイジャン大通りにあるアルカンホテルの瓦礫の中で、若いエンジニア5名を含む数名が命を落とした。

48室のこのホテルは、近隣の古いアパルトマンと隣接していた。後に外観はガラス張りになった建物だが、近隣の建物と同様に老朽化していた。

KAZANCI OTEL
カザンジホテルは、カフラマンマラシュにあるホテルの一つで、古びたアパルトマンと何ら変わりはなかった。一般に、カフラマンマラシュに出稼ぎに来る労働者がこのホテルに滞在していた。

コンクリートを打った古い建物の支柱に穴を開け、その穴 に鉄のロープを通し、隣の事務所の雨覆いと看板を吊り下げていた。また、建物の柱の一部が切断されていたとも言われている。カザンジホテルでは、少なくとも40名が命を落としたとのこと。このホテルのオーナーは拘束された。

OTEL BURCU
地震発生から37時間後、古い建物であるホテルブルジュから3名が救出された。このホテルで命を落とした人の数は不明である。また、倒壊したパランジホテルでも瓦礫の下敷きになった人もいる。


Adıyaman アドゥヤマン県

アドゥヤマンではイシアスホテル、ユナルホテル、ボズドーアンホテルが全壊した。

ÜNAL OTEL
ホテルのWebサイトでは、2013年に全室改装したと宣伝していた。しかし、建物は老朽化していた。このホテルは、イスタンブルのファティにある100室のグランドユナルホテルも所有するユナル・ホールディングが所有するホテルである。同ホールディングは、建設、鉱山、観光、燃料会社なども所有している。

BOZDOĞAN OTEL
アドゥヤマンで全壊したボズドーアンホテルは4つ星ホテルだった。外観は大型高層アパルトマンのようなボズドーアンホテルは、77室、スイート1室、175ベッドを備えていた。Webサイトでは、31年の歴史があることを強調していた。しかしこの期間で建物は草臥れ、老朽化していたとも云える。このホテルのオーナーは、アクン・カラクシュである。


Hatay ハタイ県

ハタイではギュネイホテル、ディワン、サヴォンホテル、オズハンホテル、アルスズホテル、アリジェホテル(レイハンル)、そして多くの数のブティックホテルが倒壊した。

アンタキヤのホテルディワンは、1963年に開業した。最近改装されたが、草臥れた建物は耐震補強もされていなかった。客室は27室、スイートルームが5室あった。建物の瓦礫の中で多くの人が命を落とした。

損壊したサヴォンホテルは、1860年代に建てられた歴史的建造物の中にあった。この建物はオリーブオイルと石鹸の工場として使われ、後にホテルとしてリノベーションされた。

一方、ギュネイホテルはアンタキヤにある長方形の建物だった。ギュネイホテルでは、多くの人が瓦礫の下敷きになった。

オズハンホテルは、はじめに2階と3階が崩壊し、それから奥の部分が崩落した。人々は瓦礫の下敷きになった。
アルスズホテルは冬季のため閉館されており、この状況下で大きな犠牲を出すことはなかった。

レイハンルでは、アリジェホテルが倒壊した。連鎖層崩壊により2階分しか見ることができなくなった7階建ての建物で、命を落とした人の数は不明である。

2013年に開業したレイハンルのアリジェホテル


Gaziantep ガジアンテプ県

ガジアンテプでは、ヌルダーホテルが地震で倒壊し、多くの人が瓦礫の下敷きになって亡くなった。

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