人は生きている思いをあの世でも引きずる
私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
(「千の風になって」より引用)
「千の風になって」の歌詞を聞いた時、おおー!と思ったが、作者不詳ってところがまたすごい。
私は神や天使と話をするが、数年前から亡くなった父親や祖母やいとこのおじさんとも話をすることもある。
父親は生前、じっとしていられない人で商売をしていたにもかかわらず店番ができない人だった。母親や私たち子どもに任せ、自分はすぐに近所のレストランや喫茶店、沖縄そば屋さんなど、付き合いと言いつつ昼間からビールを飲みに行ってしまう人だった。
人はみな、生きている時に思っていることを亡くなってからも引きずるらしい。
亡くなってからは身体という制限をするものがなくなり、自由にどこにでも行けるようだけど、生前亡くなった人はお墓にいるもんだと思っている人は、自分が亡くなるとずっとお墓にいるらしい。その必要はないんだけど、そうあるもんだと思い込んでいるので。
父親も亡くなったからお墓に居続けないといけないと思っていたらしく、時々お墓に行くと、すごく怒っていた。
もっと頻繁に来れないものか、誰もかまってくれないと怒っていた。
そりゃ怒るよね。生前じっとできなかった父親が、ずっとお墓にいないといけないって苦痛でしかないでしょう。
父親に、お墓にずっといなくてもよくて好きにしていいんだと伝えたところ、今は自由にできているらしい。
5年前に亡くなった祖母の妹が昨年亡くなり、お金に執着があった人で、子や孫ではなく遠い親戚の夢に「お金がない」と出てくるらしい。
姉である私の祖母が「ここではお金は必要ではないから大丈夫」だと何度も教えるけれど頑固な人なので聞き入れないようだ。
頑固な性格もお金に執着することも生前のその人の考えがあの世でも引きずっている。
亡くなったらお墓にいないといけないという父親の考えも生前から引きずったもの。
亡くなってからの世界では、身体という魂の入れ物がないからルールが違ってきて当然だが、慣れるのに時間がかかるのだろう。
生きていても、思い込みが強くて考え方を変えることが難しい人もいる。
そういう人は生きていきにくい。幸せを感じにくい。
私も頑固で思い込んで考えを変えないところがある。
だから生きていきにくさが出てしまうんだろう。
生きていても亡くなっていても、理解を深めて賢く順応していくことが大切だと感じた。
祖母の妹が「お金がない」と夢に出てきても、「そちらではお金は必要ないから大丈夫よ」とこの世でまだ生きている私たちは根気よく見守っていくしかない。