比較せずに言えばいい
以前私は「優越したい」という欲が強くあった。
素敵な人だと思われたい、いい人だと思われたい、他の人に比べてすばらしいと思われたい。
「あの人はこうしている。私はこう思うからあの人のようにはしない。」
そんな言い方をしてすごいねと言われたがった。
たちが悪いのは、いろいろな考えがあるけど~なんて相手を批判したり陰口のような形にならないようにしていたこと。
優越という欲は、いつも私が他人の目を気にしていたからそこに価値を置いてしまい大きくなったのかもしれない。
自分がそうだったからわかる。他と比較して優越したがったって、そんな話を聞かされた相手は嫌な気になるだけだから「すごいねー」なんて言われない。言われたとしたら、私がめんどくさいから適当に話を合わせて表面的に言っておこうとしただけ。
●一人で食べる食事はおいしくない。一人で食べる高級料理よりも家族で食べる質素な食事が断然おいしい。
●○○党はなにやってんだよ。それに比べてうちの党はすばらしい。
上記のようなSNSなどのコメントを見るとかつての私のようでモヤモヤする。
私もこんなかんじでイヤなやつだったんだろうな。
私がいいなと思ったことは他と比較しなくたっていい。
他と比べてすばらしいわけではなくて他もすばらしいけれど、これもすばらしいということ。優劣で上下に順位があるわけではない。横並びですばらしい。
物も人も、他と比べてすばらしいのではない。
他を蹴落とすことで自分がすばらしくなるのではない。
そんな簡単なことすらわからなかった、かつての私。
一生懸命生きようとしていたんだなとちょっとかわいそうに思う。
当時は私自身も私の味方をしてあげていなかった。だから他人に承認してもらう必要があったから、そんなイヤなやつになったのかもしれない。
今は私自身が一番の味方で、私を守ってあげようと思うので、他の人を頼って褒めてもらったりすごいねと言ってもらう必要も少なくなり、他と比較して自分をアピールしなくてもよくなってきた。
落ち着いて生活できるようになってよかった。
これまでの私が孤独でがんばってきたことを労いたい。