音楽とレコードと水
SNSで知り合った友人たちの影響でこの令和に、YMOとレコードを集めることにハマっている。友人たちのように見本盤やプロモ盤などにこだわりはないが、LP盤の大きなスリーブはそれだけでアート作品のようで収集癖に火がつきそうになる。携帯型音楽プレーヤーやスマホで音楽を聴くことが主流になりつつある令和に、わざわざレコードで音楽を聴くというのは昭和っぽいと言われるかもしれない。レコードのほうが音楽的に価値が高いわけではないが、LPのあの大きさは手間をかけてまで音楽を聴くということの価値の大きさを表しているように見える。
「音楽を聴く」という行為は時代によって変わってきた。モーツァルトやベートーヴェンの時代は、演奏会に聴きに行くのが一般的だった。時代は流れてレコード、CD、カセットテープなど音楽メディアが普及してくるとレコード・CDプレイヤー、ラジカセなどメディアを再生するデバイスで、外に出向かなくても音楽を楽しめるようになった。しかし、1979年ソニーがウォークマンを発売、音楽を持ち歩いて聴くという新しい文化を作った。
2000年代に入り、2001年にAppleがiPodを発売、2010年代に入りAppleミュージック、Spotify(日本では2016年にサービス開始)など音楽のサブスクリプションサービス(定額制配信サービス。以下、サブスク)が浸透し、携帯電話やスマホで音楽を聴くことが主流になりつつある。多くのサブスクはサービス内容によって金額はまちまちだが、アルバム1枚よりも安い月額料金でアルバム何千枚何万枚という数の音楽を聴けるのである。
かつてデヴィッド・ボウイは「音楽は蛇口をひねれば出てくる水のようなものになる」と語ったが、それは本当になった。わたしたちは今やTwitterやInstagram、勉強、通勤、運動の片手間に音楽を聴いている。
サブスクで音楽を聴くことが一般的になった2020年、古いレコードを所有し聴くことの価値とは何だろうか。冒頭でも述べたが、レコードはアート作品としての側面も持ち合わせている。インテリアとして壁に飾って意匠を凝らしたスリーブやポスターを目で見て楽しんだり、ライナーノーツや歌詞を何度も読み返したり、何より好きなアーティストの作品をモノとして持てる満足感を得られることだろうか。
さて、デヴィッド・ボウイが語ったように、音楽は本当に蛇口をひねれば出てくる水になったのか?それは否である。水だって雨が降らなければ貴重なものになるし、音楽だってアーティストのとてつもない時間と労力とアイディアを議論とセッションを重ねに重ねて、アルバムなりひとつの作品ができ上がる。
プレイヤーにレコードをセットし、針を落とし、手間をかけて聴くことで、普段iPhoneで片手間に聴いてしまいがちな音楽の価値、アーティストが作品を作り上げるためにかけた手間の大きさを改めて知れるのではないか、とわたしは考える。針を落とした瞬間のパチパチとした音、スリーブの擦れた角や、少しシミの付いたライナーノーツさえも、時代を越えてわたしの知らなかった世界へ引き込み、心を潤し、楽しませてくれるのだ。