自己肯定感0のオタクが推しに出会って変われた話
便宜上タイトルに”推し”を用いていますが自分にとってぜんぶ君のせいだ。は推しという概念すら超えた存在で想い人です。一応念のため。
自己肯定感とは
自己肯定感とは何でしょうか。
早い話が自分を愛する事、つまりは自己愛に類似している物ですね。
私のNoteへ辿り着いているという時点で今これを読んでいるあなたも自己肯定感が低い一面があったりするのではないかと思うのですが(失礼)、実際私は自己肯定感がかなり低かったのです。
推し、いや推しという概念すらすらを超えた想い人と出会うまでは。
ハインツ・コフートという精神分析学者によると、「人間の一生は自己愛の成熟の過程である」としています。
それに続き、健全な自己愛の成熟において重要なのは、「自分の一部として感じられるような他者、自己と対象との関係」だともしています。
子供が親から生きることを教わって成熟していくように、他者から愛されることで自分が愛されていることを知り、また他者を愛していく。そして自己愛を通じて人として成熟するという事、自分を愛する過程が人生そのものだという事をハインツさんは語っているわけですね。
本題 自分の話
心理学的なことはほどほどに自分の話に戻しましょう。
他者から愛された経験に乏しいから自分も他者も愛せない。
自分が無価値なことは自分がよく知ってるからそれを誰にも否定されたくない。
自分のことは好きだけど誰かに傷つけられる前に自分で自分を卑下して心を守ろうとする。
とりあえず自分に当てはまっていたことだけを抜き出してもいくつか出てきます。
更に具体的に言うと、推しと1v1で話したりゲームの原作者と対談するような機会。
好きな対象に対し絵や文章を書いたりしたけどいざ面と向かって絵や文褒められても、自分を肯定出来ないから「本当に?」って聞き返してしまう行動。
深層心理では相手を信じてなかったり疑っていたりするから、実際に反応がもらえる場面になったとしても確かめる発言を無意識にしてしまう。
自分なんかが推しに愛されるに相応しくない。
自分で自分を肯定出来ないから他人の愛(それが推しからでも)を受け入れられなかったんです。
過去僕はライブチケットの抽選に落ちまくって脳が破壊されました。行けない自分はファン失格だとか。「自分より金を懸けたり絵を描けたり凄い人はいっぱいいる」だなんて思って後ずさりしたり。
その結果好きなグループの歌が聴けなくなったり同じ界隈に居た”友人だと思っていた人”との人間関係が破綻したりして。
歌を聴くたびに「ライブに行けない」って苦しみを突き付けられて。
タメでやり取りしていたのが急に敬語になりよそよそしくなって嫌われたと思わせられたり。
裏で自分に対する悪口を吹き込まれてる(かもしれない)人にどんな顔で絡んだらいいんだろうと思って誰も信用できなくなって。
酷いときは死にたいとすらも思いました。実際去年の5月には2回ほど首も吊ったんですが。
そんな自分を変えてくれた存在
そんな私を変えてくれたのがぜんぶ君のせいだ。というアイドルでした。
…理解のある彼くん登場みたいな感じになって非常に申し訳ないんですけどもう少しだけ読んでください。
歌を聴いてまず一番最初に強く共感したのが
『僕がぼくで在る為に。君という概念以外の思想はいらない、 此れは ぼくの存在意義、決まり事。』
というリリックでした。
辛いことがあったり自分に自信がなくなったり、それでメンタルが荒れたとしても「君という概念以外の思想はいらない」と思えば、頭の中なら雑念が消えすぐに立ち直れました。自分にとっての魔法の言葉です。
11/13の横浜にてはじめましてをしてお手紙を渡し、その後再び会った12/4の福島の日。
お手紙の感想も頂けた訳ですが、この時は想い人達から褒められても「本当に?」なんて聞き返すことはありませんでした。
「お手紙ありがとう!想いが伝わったしアリシアの書く文がすきだよ!」と言って貰えた時も即座に「ありがとう!」と言えたのです。人から見たら小さなことに見えるかもしれませんがこれは自分にとって大きな変化でした。
それともうひとつ、地下アイドルのオタクをやっておいてアレですが自分は今までツーショを取るのが苦手でした。
自分の事が好きじゃないのに、好きな人の隣に立ってチェキを撮るのがダメだったんです。そして撮ったチェキも見直すことはほぼありませんでした。自分の顔見たくないじゃん。
でもぜん君に対してだけは違い、ツーショを撮るのが楽しみだし撮ったチェキを何度も見直して思い出に耽る事が出来ます。ぜん君と出会って初めて自分のことを肯定できるようになって、そして想い人からの愛も全部受け入れる事が出来ました。
『君に救われた自分を大切にしよう』という風に考えて自分を愛することが出来るようになったのです。
武道館のチケットも一次選考で落ちてしまい今二次抽選中ですが落ちた時にショックこそ受けた物の「行けない自分はファン失格」とは微塵も思いませんでした。二次が控えてるというのもあったけど、自分がどんなに遠くの席になってしまったとしてもどこにいたとしても、きっと自分のことを見つけてくれると想い人を信じているから。
他の何を捨てたり裏切ったとしてもぜん君にだけは真実で在りたいと思っているのでぜん君を信じないことは絶対にありませんが、自己肯定感が無かったころは漠然と想い人のことを信じていたのが、今自分をちゃんと愛せるようになったことで想い人に対する想いは何十何百何千倍と強くなりました。
ぜん君に救われて自分を愛せるようになったおかげで更にぜん君を愛せている。
これが僕がぜん君に変えられて、変わってよかったと思う一番の証明です。
ぜんぶ君のせいだ。の事が本当に大好きだなって名古屋でまた再認識して衝動的に書きました。
本当に本当に本当に大好き。
何でも変えられなかった自分をただ一つ変えてくれた存在、それがぜん君だった。
変えてくれてありがとう。変われた自分を君に向けて誇れるよ。
『部屋の隅で俯いていた自分にとっての光』
この気持ちに相応しい言葉など無いね、無いだろう。
「ありがとう」何億回+愛してる、好きよ。
ダメだ、足りないや、ごめんね。
どうすれば、伝わるんだろうって
なんか、もうね、胸がいっぱい、ね、君を呼ぶよ。