Cerasus × yedoensis ‘Somei-yoshino’

雫にまみれた花弁によって淡く染められた雑踏。だれもが晴天の中に咲く薄桃色を見上げる中で、隣を歩く彼女はずっと下だけを見ていた。
「桜を好きな人なんてみんなさ、一瞬でちりゆくがいねんが好きなだけなんだよ」
哲学的な独り言。ずっと俯いていて自分といて楽しくないのだろうか、という想いが杞憂に終わる傍らで、概ね昨晩飲んだ向精神薬が抜け切っていないだろうとも察する。こういう場合の彼女は大変面倒だと言うのが経験則だ。真面目に返しても雑に返しても、返される言葉の意図は読めないから、"彼"は口を閉ざしたままでいる。
ただ、繋いだ手の赤さだけが増して。
「ちりゆく姿が好きな癖にさ、地面におちたもののには見向きもしない」
雨上がり、水溜まり。街並みを映す水鏡に浮かぶ花弁が静かに揺れた。
「わたしだけはさ、ちった花を覚えていたいって思うんだ」
そう言ってしゃがみ、濡れた花弁を1枚を指先に乗せる。
「君も、だよ」
"彼"は彼女の瞳もまた、僅かに濡れていることを見逃さなかった。
「ちって踏まれた濡れそぼった花弁でもさ、こんなダメな私でもさ、好きでいてくれる君が好きなんだ」
立ち上がり、空に桜が咲いたツートンヘアを揺らして振り返る彼女。
15cmの身長差は必然的に、表情を伺い見上げる姿を産む。一際大きなエメラルド色の瞳に覗かれ、心まで見透かされてるかのような気分になる"彼"。
この一瞬の静寂。それが永遠にも感じられて。
たった今散って風に乗り、彼の頬に張り付いか花弁が一瞬の永遠を遮る。
彼女はそっと唇を近づけて花弁越しにキスをして、離す頃には口に含んでいた。
舌に乗せて笑う彼女の頬は、それより濃い薄紅色で。慣れないことをしているのが一目で伝わってくる。

「君の味がするね」





世界に対する僕と君の存在が、一層速くなった気がした。
舞い散る花弁と、頬を伝う水滴ですら。
僕らを追いかけることは出来ない。



2024/04 執筆
2024/09 加筆修正し初投稿



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