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バーチャルにおける『拡張』であり『革命』 そしてVALISであることに人生を懸けてくれてありがとう

始めまして。観測者兼ヴァンデラーのАлисия(アリシア)と申します。
まず初めに拡張メタモルフォーゼ無事の開催、メンバー6人と関係者の皆様、そしてヴァンデラーの皆さんに感謝申し上げます。
またヴァンデラーのコミュニティに温かく迎えていただいたこと、本当にありがとうございました。
1人のヴァンデラーとしてVALISのワンマンライブに現地参加できたこと、エンドロールに名前をクレジット出来たこと、心から誇りに思います。
このカードとエンドロールは私の人生で一番の宝物です。

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バーチャルリアル共に彼女たちの集大成であったパフォーマンスと劇場型の演出

正直に言いましょう。ここまでパフォーマンスが上手くなると思っていなかった。
彼女たちの頑張りを甘く見積もっていました。
音源より圧倒的に良かった生の歌、そしてキレのあるダンス。その全てが過去に行われた旋律も感情もはるかに上回るクオリティでした。


ところで皆さんはうぶごえに掲載されているPさんの言葉を覚えていますでしょうか。
VALISが結成された理由をこの拡張メタモルフォーゼで明らかにする、といった内容です。
更に言うと彼女たちの苦労や、自己と向き合うことを強調していたのも。
私はせいぜい神椿系列の中で既存シンガーとは違うアプローチでプロヂュースした、踊れるユニットであることが明かされるのだろうとラフに考えていました。

革命バーチャルリアリティの後のアンコール。体感5分は待ったと思います。これで来ないなら演目は終わってしまったのかなと。物換星移も天命系もう歌っておらず少し消化不良な終幕だなと思い始めていた頃。

彼女たちは現れました。

最初見たときは異なる等身から生み出されたシルエットによって新衣装かと考えました。だが違う。先ほどまで映っていたスクリーンよりずっと前に、近くに立体感を伴って立っていて、そのシルエットから知っている声が聞こえてようやく気付きました。
これはメンバーの生の姿なのだと。バーチャルからリアルへの接続を果たし、「バーチャル存在は中の人を露出させない」という常識を覆した歴史的瞬間に立ち会っているのだと。
そしてバーチャルの姿と全く変わらないパフォーマンスを、むしろモーキャプという制約から解き放たれ更にキレがよくなったようなダンスを思う存分目に焼き付けました。

相変わらずPさんにはいつも度肝を抜かされますね。花譜を大ヒットさせた現代バーチャルシンガーの立役者。そんな人が新たな試みとして送り出したVALIS。

ここまでヒットと成功を重ねてもまだ新しい試み、言うなれば賭けをしてしまうのかと。
バーチャル存在という中の人の一芸に依存した存在である概念を、リアルとバーチャルを直接イコールで結んでしまったこと。
これはVALISがダンスを真剣に頑張ってきて、どちらの姿でも同じパフォーマンスが出来るというのが大きいと思います。
一芸の無いバーチャル存在をリアルにしたところで絶対こうはなれなかったでしょう。
VALISだからこそできた劇場型演出だと考えています。



長い上に面白くない情けない自分語り

私は20年6月からVALISを推しています。出会いはYouTubeから。
ですが自分がVALISを推していることを明らかにしたのは21年6月からです。
なぜ推していることをツイッターで公言するのに一年もの期間が開いたのか。
それは、Vtuberが嫌いな自分がVsingerを推すことについてダブルスタンダードだと思っていて踏ん切りがつかなかったからです。

私の一番最初の記事で言及した通り私はVtuberが嫌いです。

私自身ゲーマーなので、企業Vtuberによるゲームに関する権利侵害や無許諾配信が行われていることが許せませんでした。炎上ウォッチャーとして何かある度Vtuberに対して批判意見を呟きました。
VtuberとVsinger、カテゴリこそ違えどバーチャル存在であることは同じで知識がない人からしたら両者同じに映るでしょう。傍から見ればただのダブルスタンダードだと。
その時の私はVALISを胸を張って推す事が出来ていませんでした。広義の上では同じバーチャル存在、炎上か何かあればVtuberの批判を呟いている自分自身が、ことダブルスタンダードになっているのが酷く恥ずかしくて怖かったのです。こんな自分に大手を振ってVALISを推す資格なんて無いのだとずっとそう思っていました。


自分のダブスタをどうしたらいいかわからず、ずっと一人でコミュニティにも属さずこっそり推そうと決めていたある日、別で衝撃的な出会いを経験しました。
ヰ世界情緒と花譜。
2021年5月に、若年層に圧倒的人気を誇る次世代の歌姫に出会ってしまいました。
一瞬にして虜になってしまった私はすぐさま過去の全曲を聞き漁りMVをツイートしたりし始めました。そしてたどり着いてしまった。不可解というライブが過去に行われていたことに。
ここからしてもしきれない後悔が私を蝕み始めました。
「活動初期から知っていたかった」
「どうして今までこの逸材に気付けなかったんだ」
「もっと早く知っていれば絶対ライブに行ったのに」
いくらしても足りない後悔を経てようやくVsingerを推す決意が固まりました。
この一瞬すらも推しを見逃したくない。もっと広く知られて欲しい。
胸を張ってVALISを推したい。
そしてVALISを推すことをこれから先絶対に後悔したくない。

そう思ってからの自分の行動は早かったです。周りにどう思われるかなんて全部どうでもよくなった。
今でもVtuberが嫌いだというのは変わりません。Vtuberが嫌いな理由とVsingerが好きな理由の区別をつけるのは自分にとっての大事な通過儀礼でした。
そしてこれ以降自分なりの信念をもってVALISと向き合って推していくことが出来るようになりました。



VALISがどんな姿になろうとも好きだという気持ちは揺らがないしむしろ補強された

帰宅してPCに向き合った瞬間、「私達は人生を懸けてここに立っています」とメンバーが泣きはらしながら叫んだ言葉がずっと私の頭の中でリフレインしました。
現地ではこれを生で聴いたとき声が出そうになるのを必死に抑えて嗚咽を漏らしました。
しかし家に帰ってきて完全にプライベートな空間になった瞬間に、彼女たちへの大好きだという想いが弾けてもう止まりませんでした。
人の目も制約もなく泣ける自室という場所で3時間ずっと泣いていたと思います。どこからこんなに涙が出て来るんだと思ったくらいに。
人生を懸けてVALISであってくれてありがとう。
「私達は人生を懸けてここに立っています」
この言葉にクラウドファンディング10万円分の価値がありました。

推しが大好きな一方で金払う事には割とドライな自覚があります。見返りがない投げ銭やスパチャといった行為はしませんしクラファンのブーストもしませんでした。今まで支援してきた他のクラファンは金額分に見合ったものだけ支援すると決めて可能な限り等価であるようにお金を払ってきました。
ただこのプラチナコースで得られた体験には正真正銘10万円の価値があったと私は考えています。

これはあまり大っぴらに言える事ではないですが、現地では壁に浮いたタイポグラフィの光が落ちてリアルVALISメンバーの顔が結構見えていました。
容姿については言及するつもりはありません。
ただ、皆笑っていて、この一瞬を楽しんでいて、VALISである事を誇りに思っているのが一目でわかって、それが本当に嬉しかった。
どうか幸せになって欲しい。

もちろん推しが突然リアルの生身で出てきて驚かないわけありません。
突然等身が打って変わってリアルな姿で現れ、そのシルエットから聞きなれた声がする。何が始まるんだという気持ちが強かったです。
それでも好きだって気持ちと推し続けたいって気持ちが揺らがなかったのは、リアルになっても変わらない圧倒的パフォーマンス力にねじ伏せられたから。
生のオリジンが出たことによって、今までの苦労や特訓は「キャラクターのなりきり」ではなく「VALISメンバーとしてのリアル」なんだという証明でした
VALISのMVは何百回と見たので6人全員キレとか立ち位置が異なっていて、ソフトで誤魔化さずモーキャプで踊ってるってのは分かっていました。
ここで改めて生身が出てきてバーチャルと変わらず踊って歌えたこと、努力と研鑽がちゃんと目に見える形で表れて信頼の強度が上がりました。

VALISのメンバー生配信やライブとかTwitterとか見える範囲だとみんな仲良しで苦労を感じさせなくて、過去編と闇はバーチャルキャラクターとしての味付けだとどこか楽観視していました。
ですが昨日のライブの告白でVALISになる前にリアルの活動を挫折したり力不足に歯噛みしたりしたこと、VALISの活動も決して順風満帆ではなかったこと、とてつもない苦労とつらさを背負ってきたこと。
それらがフィクションではなく事実だと知ってしまい心を引き裂かれるような気持ちを私も感じていました


リアルが壇上に立って思いを吐き出したのはクラファン始まる前の決意表明よりもずっと悲痛で、自分なんかでは一生かかっても肩代わりできないような重圧が彼女たちの肩に圧し掛かっていました。
彼女たちの悲痛な叫びを、アーティストとしての在り方に悩む姿を見て感動ポルノのようだと思ってしまった一面もあります。(こんな最悪な事を彼女たちに僅かにも抱いてしまった自分が恨めしい)
ですが頑張ってきたという事実はこのワンマンライブでのパフォーマンスを見ればすぐに分かったし、リアルを見せるという選択をしていることについても相当不安と恐怖に苛まれながらでの行動であったと理解しています。
大盛況のアンコールを望まれた後にリアルの姿で出場すること、とても勇気がいる事だったと思います。


「VALIS」という存在に対する好きという感情をどう定義するかは人によって違うと思います。
ダンスが好き、歌が好き、デザインが好き、個々の性格が好き、キャラクターとして好き、様々あると思います。
私はアーティストとしての彼女達が好きであったことからすんなりと受け入れる事が出来ました。
ただ、そうでない人もいるでしょう。生きている生身の人間のVALISとして出て来たことへの違和感。自分が推しているのは架空なのか実在なのかという葛藤。
ただ、そういったファン側の戸惑いに対して一番恐怖しているのは彼女たち自身だと思います。
この姿が受け入れられなかったらどうしよう。どちらの姿も肯定して愛してほしい。
そんな恐怖を抱えながらも「すぐにこの姿を受け入れるのは難しいと思います」「それでも私たちを見てほしい」「人生を懸けてここに立っています」と発信していった彼女たちの強さ。
私はそれを讃えたいと思います。辛く難しい決断をメンバーと決めていってくれたこと、ありがとう。
そして、リアルの彼女たちを受け入れられない人も、私はそれはそれでいいと思っています。咎めるつもりも引き留めるつもりもありません。

我々はヴァンデラー。彷徨い歩く者。私たちの道はいつか再び交わるかもしれないし平行線を辿ったままになるかもしれない。それで良いんです。
バーチャルの姿だけを今と変わらず…というのは難しいかもしれませんがそれだけを推して行っても良いし、一度フェードアウトしてみて気持ちの整理を付けたりしてもいいのではないでしょうか。自分を偽り無理をして嫌なところまで全肯定してついて行く必要も無いのかなと思います。推す事って趣味ですから。
とはいっても、好き”だった”物から離れる選択をしないといけなくなる辛さは私自身もよくわかります。どうか無理はしないでほしい。


正直言うと自分も彼女たちをどういう定義として推して良いのかよく分かっていません。
オリジンとバーチャルどちらが優先なのか、それともこの二つがイコールなのか。
バーチャルの中身を詮索してはいけないというV業界に存在する暗黙の了解。
前世を掘られて顔がバレたり配信の映り込みでバレてすぐさままとめサイトやSNSで拡散される様を多く見てきました。
そこをあえて公式側から解放していくという拡張であり革命。VALISの秘められた部分が突如として明かされ私は彼女達への愛情がオーバーフローしています。

彼女たちがどの次元で生きていようがVALISであることに変わりはなくて、どの姿でも私が愛した彼女達とパフォーマンスそのもので、VALISが好きだという気持ちだけは、これだけは絶対に絶対に絶対に揺らがなかったんです。

だからこそ「バーチャルのガワを被ったキャラクターとしてのVALIS」ではなく「VALISそのものである等身大の彼女たち」を応援したいと心から思っています。


【11/25加筆追記修正】――――

メンバー守るために特定されるような静止画を控える要望、オリジンのパフォーマンスは出すけど顔は出さない、この2つの線引きをしっかりしてくれたことに運営としてのスタンスを垣間見ることが出来ました。
ここからは言語化に難しい部分を出力しているので不適切な表現が多々あるかもしれません。
前述したとおりバーチャルの中身を詮索してはいけないという暗黙の了解が業界に存在します。
それはキャラクターにかかった魔法を、ファンからバーチャルへ抱いたイメージを解かないことでもあると思います。
実際バーチャル黎明期は「ルッキズムから解放され、なりたい自分になれる誰もが自由な世界」だと喧伝するメディアも多くありました。

では例を挙げます。
髪型、服、声、体系、”次元”以外全く同じ要素で構成された存在があったとして2次元と3次元どちらが”かわいい”と思われやすいでしょうか。
私は2次元の方が受け取られやすいと思います。
ですから必然的に2次元>3次元という考え方は存在すると思います。
だからもしもリアルの顔が分かってしまった時に、2次元を基準にして3次元の顔を判断し、それによって二次元側のイメージが崩れたとかそういった感情を発生させないためにも、オリジンはやるけど顔は出さないという方針が嬉しいし尊重します。
でも、もし今後顔を出す事になったとしても、私は彼女達にマイナスイメージを持つつもりは絶対にありません。
私としては彼女たちがどんな容姿であろうと彼女達のありのままを受け止めるつもりです。

この辺の言語化が本当に難しくて手探りなのですが、サブカル文化に触れている人は人間が嫌い、リアルが嫌い、逃げ道としての2次元、そういう触れ方をしてる人も多いのではないかと思います。そういった昔からある意味も包括して今のバーチャル人気なのではないでしょうか。
既存のアニメやゲームでは無し得なかった、可愛い二次元の存在とリアルタイムな時間を共有する事。
一方で中身の魂に依存した存在であることや簡単に転生できることが問題でもありました。
ガワはガワであり”かわいさ”としての集客力はありますが、実際の配信のトークとゲームプレイや何かしらの一芸は絶対に必要で、そういった部分は中身に100%依存します。だからVtuberはニコニコ時代の生主の再就職先とか言われたりもしますよね。

私がVtuber嫌いな要因はたくさんありますし、嫌いじゃなかった存在がいましたが推せなかった理由もあります。
配信や動画での仕草、ガワのデザイン、そういったところにポジティブな好意を投げかけたとして受け取られた側の中身はどう思っているのか。
例えばこちらがかわいいとコメントしたとして、本人からはガワを着ているからかわいいって思われているんだなと、中身を見られているわけでは無いんだなと、そう思っていたとしたら。
これが理由です。
リアルとバーチャルの剥離。
ちょっとズレますがVRCが現れ始めた時期は、VR内でガワに合わせて内面までなり切ったら相反する二重人格に近い状態になってしまった人の例を聞きました。

VALISはそこに楔を打ち込んだ存在になれたと思っています。
バーチャルとリアルを接続したことによって、印象を感じてコメントしたとして片方にだけ届くのではなく両方に届くということです。
好きだよ、といった些細な言葉も、バーチャル上とリアルどっちの私が好きなんだろう、なんて悩まれもせずに彼女たちに直に届くことに私は安心します。
何度も言いますがVALISというガワが、成り切ったロールではなく”そのもの”であったこと。
私は、オリジンが出てきたことによって彼女達が更に好きになりました――――――

11/26 多分最後の追記


VtuberもVsingerも両方好きって言うのが普通な中で、Vtuberは嫌いだけどVsingerは好きって存在が私くらいでだからこそ私にしかない視点があるんじゃないかと考えてこの追記を書いています。
バーチャルの姿というのはVRCのような箱庭でも、Vtuberという配信スタイルでも、人間の本心や生理的な部分を隠して活動ができるわけです。
Vtuberのバーチャルという姿を、なりたい姿ではなくある種の偽った姿として認識していました。

そして、Vtuberの権利侵害やコンプラでの炎上とその後の謝罪というのは多々ありましたが、あまりにも不祥事が頻発していたために、そういった謝罪にすら本心を偽っている、心からの謝罪を感じられない、と感じていました。(これに関しては一時期毎月のように炎上を繰り返していた某箱の影響があります)
なので同じ発言内容でもバーチャルの姿とリアルの姿、どちらから発信されたら心に響くかと考えたときに私はリアルの方が心を揺さぶられます。

VALISの事は努力を積み重ねていると信じていたけど、この上記の理由で「バーチャルの姿で語る努力」をどこか信じきれない自分がいました。
ですがオリジンでステージに立つという決意と覚悟、その壇上で語られた過去の実力不足とそれを超えるためにしてきた努力。そしてパフォーマンス。
オリジンの姿で語られたことによって私は初めて彼女たちの努力を100%信じきることが出来ました。





オリジンでの活動が始まった、という結果論で語りますが、もしこのオリジン発表が無かったら感動こそすれ、拡張メタモルフォーゼは『普通のライブ』の範疇から脱することが出来なかったのではないかと思っています。

VALIS側からヴァンデラーを妄想側に誘う「革命バーチャルリアリティ」

革命ならここにある 辛くても泣かないでよ 
君の場所はここだ そうだ そこだ 早く 速く 目を開けて

VALISの方からリアルに飛び込んできた「革命バーチャルリアリティPhysical Ver.」

革命ならここにある 辛くても泣かないから 
君に会える 会える ならば 笑ってるんだ 笑ってたいよ

この革命バーチャルリアリティの隠された二面性を初めて暴き、バーチャルとリアルを接続させたことによって拡張メタモルフォーゼはバーチャルの歴史に名を残す伝説のライブへと昇華されました。



最後に

27日、私はおしゃべり会があります。
ライブを見るまでは推しと何喋ればいいか分からなくて怖かったけど今はもう覚悟決まったから大丈夫です。
直接喋って、VALISとみんなが大好きだって言いたい。
VALISを推しててよかったって、VALISの活動が誇りだって、そう伝えたい。
バーチャルとリアルどちらも諦めなかった今までの頑張りと覚悟、そしてこれから辿るであろう軌跡をいっぱいいっぱい褒めてあげたい。
これからも沢山のショーを魅せてほしい。ずっとずっと見て聴くよ。
メンバー6人誰1人欠けることなく結成からワンマンライブまでを迎える事が出来て、バーチャルとリアルの融合という前代未聞の新たな門出が始まって、本当に嬉しい。
チノ ミュー ネフィ ニナ ララ ヴィッテ
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとみんなが大好きだよ。
VALISに出会えたこと、本当にありがとう。





バーチャルからリアルへ「拡張」メタモルフォーゼした次が「転生」デパーチャー
V業界では炎上した後にガワを捨てて新しいガワでやり直すという、悪い意味でしか使われていない「転生」という言葉。
それとは真逆の、バーチャルから生身でも活動することを決めた今のVALISにとってこれ以上ないくらい真っ直ぐでポジティブな意味での「転生」を信じて、見届けようと思います。

後悔の無い推しライフを。

Sow a character, reap a destiny.




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