第百三回 Vo 将 |将さんの言葉紡ぎ「歌詞の書き方、教えるってよ」
何故作詞講座?
将です。今日は言葉にまつわる僕の連載ということで、歌詞の書き方について語っていこうと思います。
自分の考えが言葉にならず、モヤモヤしたことはありませんか?
大切な思い出や景色を、もっと高い解像度で胸に刻んでおきたいと思いませんか?
そういったことに対する助けになるのが「詞を書こうとする」態度だと思います。
作詞講座みたいな大それたものでは正直ありませんが、二百曲近く作詞してきた人間として「自分の内面と向き合う」方法論、思考法は読んでくださっている方の役に立てると思います。
作詞=自分のかたちを見つけること
「詞を書こうとする」態度がみなさんの役になぜ立つのか。
それは
・批評ではなく自分を語る
ことが作詞の大前提だからです。
みなさんは毎日スマホを見ていますね。僕も見ています。
そして大量の「他人の情報」を浴び続けています。
いいんです。そのこと自体は。僕とあなたもある意味他人かもしれませんし(わざわざnoteという能動的なメディアに読みに来ている以上、僕はそう思いませんが)
大量の「他人の情報」を浴び続けるとどうなるか。
他者への反応で頭がいっぱいになる
ということですね。重ねて言いますがこれが何も悪いことだという訳ではないです。ただ自覚症状なしにその状況が続くと、楽しい、嬉しい、など脳内物質で言えばドーパミン、セロトニンが出づらくなる状況になるんじゃないかな、と自分の経験上思います。
そうなるとどうなるか。スマホを何気なく開いては、小さく怒ったり悲しんだりする投稿、ニュース(基本的に人間はネガティヴな情報に視線が集まるようになってます)あとはバランスを取るために、何も考えなくて済む、わかりやすい癒しや安らぎのコンテンツが頭の大半を支配していきます。
その状態は僕は経験上つらい状態だと思っています。他者の意図に振り回されやすいですし、自分の軸を見失ってしまっていると後で気付くことが多い。
ではどうするのか?
自分の言葉で語ることです。他人から降り注がれる、宣伝、情報、煽り、噂、言ってみれば生活に必要のないノイズの中でも心を亡くさない方法。
自分の「仮説」をもって物事を捉えること。
「仮説」をもって世界を検証すること。
検証によって感じたズレを仮説にまた落とし込んでいく。
それが作詞家の日々行なっていることであり、それはみなさんのお役に立てることだと思っています。
作詞、といってもTwitterなどの文章を発信できるツールなど、なんでもいいんです。自分の言葉を取り戻すことは、自分の心を取り戻すに他ならないと思います。
作詞=自分のかたちを見つけること
以上のテーマで進めていきたいと思います。
言葉にできる、は魔法
言葉にできる、とあなたの世界は圧倒的に広がります。
ちなみに学生時代、僕の世界は
「だりー。うぜー。めんどくせー。」の三語で構成されていました。
そうなるとどうなるか?今思えば都心で祖父母と両親から高い学費を払ってもらい私学に通って、尊敬できる学友と切磋琢磨しながら部活と趣味のゲームに没頭する良い青春時代を過ごしていましたが、当時の自分はそんなふうには微塵も感じていませんでした。
そう、肝心の自分の認識が「だりー。うぜー。めんどくせー。」なので
だりー授業。うぜー先生。めんどくせー部活。それに自分で勝手に当てはめて行ってしまっていた訳ですね。
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限りなく2次元に近い2.5Dロックバンド、アリス九號.のオフィシャルnoteです。 毎週メンバーがリレー形式でオフィシャルnoteだけの…
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