第百八十回 Vo 将|将さんの言葉紡ぎinterview「アートワークから見るアリス九號.ヒストリー①」

バンド結成当時から現在に至るまで、アリス九號.が発信するフライヤー、アーティスト写真、ジャケット、パンフレット等のアートワーク全般を自らディレクション、制作に携わり、コンセプトを掲げて外部のデザイナーと遣り取りしながら作り上げてきた将。

今回はそんな彼に、音楽家としてではなくクリエイター視点で、アリス九號.がこれまで作ってきたアートワーク作品の中から、ターニングポイントとなった作品をピックアップしてもらい、その作品に込められた意図、今まで明かされなかったサイドストーリーなどを語ってもらう。

アートーワーク視点で紐解かれ見えてきた、ヴィジュアルシーン、アリス九號.ヒストリーとは。

ーー最初に、将さんがアートワーク、デザイン全般に対して興味を持ったきっかけから教えていただけますか?

将:僕は、表参道にあった音楽の専門学校に通ってた時期があったんですね。自分でアルバイトをして入学金を貯めてその学校に入ったんですけど。その時、ずっと音楽の道に反対していた親が、当時高価だったMacintoshのApple G4を買ってくれたんです。僕が18歳の頃だったんですけど。うちは裕福な家庭ではありませんでしたけど、その当時、家にパソコンがあるというだけですごくアドバンテージがあったんですよね。

ーーそもそもあの頃は一般的にはWindowsが圧倒的主流を占めていたじゃないですか? その時に敢えてMacを選んだ理由を伺いたいです。

将:通っていた音楽の専門学校がめちゃくちゃ綺麗で、流行の最先端を行っているような学校だったんですね。で、その頃は「Digital Performer」と「Pro Tools」というソフトが出てきた時代だったので、「これはすごい」「音楽業界に革命が起きる!」と、講師を含め、学校全体が信じきってたんですよ。それで、「今後はみんな家でレコーディングする時代になるから」というので、スティングの曲を耳で聴いてそれをMIDIで打ち込んでいく、という、当時としてはかなり革新的な授業を学校で受けてたんですよ。

ーーそれで「買うなら当然Macだろう」となった訳ですね。

将:そうです。その専門学校は肌に合わなくて残念ながら一年で辞めちゃったんですけど。そうして、学校を辞めてしばらく経ってバンドをやり出すんですよ。それが、僕が初めて組んだヴィジュアル系バンドで。そのバンドのリーダーに「お前、家にパソコン持ってるんだろ?デザインやれよ!」と言われまして。リーダーが持っていたAdobeのPhotoshopと「GoLive」というホームページを作るソフトを借りてインストールして。それを使って、バンドのフライヤーとかホームページを作るようになったのが最初なんです。

ーーリーダーに言われたのがきっかけで、いきなり作り出したんですか?

将:はい。自分が一番年下だったんで、リーダーに「お前がやれ」って言われて「はい」って。

ーーリーダーに言われたら素直にやるしかないですよね。

将:でも、今さらですけどめちゃくちゃ感謝してます。当時はPhotoshopやGoLiveを使っているバンドマンなんていませんでしたから。ryo (ex.GULLET,9GOATS BLACK OUT)さんもめちゃくちゃ早い時期からデザインをやってらっしゃったと聞いたんですけど、当時は僕の周りには、パソコンでソフトを使ってデザインしているバンドマンは一人もいなかったんですよ。周りのバンドマンはみんな、「金の星スタジオ」というところに行って撮影をして。撮影したフィルムを受け取ったら、それをフジカラーで現像するんです。その写真を白い紙にペタペタ貼ったものをコンビニで白黒コピーして。それをライブハウスに持って行って貼ってもらってたんです。

ーーそんな時代だったんですか?

将:周りはそうでしたね。僕のようにパソコンでPhotoshopを使ってデザインしている人は僕が知る限りいなかった。今の時代でいうと、VR、ARを使ってデザインするぐらいの早さでパソコンを使ってデザインをしてました。

ーーしかも将さんの場合、そういうことをやるのが嫌ではなく、どちらかというと肌に合っていた。

将:そうです。どうしたらいいのかが分かるんですよ。他の人がデザインしたフライヤーとかを見てると、「なんでこうしちゃうんだろう」って思ってしまうようなタイプだったんです。「なんで字をいっぱい並べてスーパーのチラシみたいなデザインにしたんだろう」とか「なんで同じ写真、同じ画角から撮った写真ばかり置くんだろう」とか。

ーー元々ご自身の中にデザインの素養があったんですか?

将:そこはアパレル業界で働いていた影響が大きいと思います。古着屋だったから、映画の配給会社の方が「映画のポスターを貼って欲しい」と常に持って来てたんですよ。その当時、90年代の映画のポスターって、見てもらえれば分かるんですが、今よりももっと文化的だったので、そこで超一流のデザインを目にしてきた影響が大きかったんだと思います。

ーーなるほど。そこから音楽業界、ヴィジュアル系シーンにやってきて周りを見渡してみたら、「なんでみんな同じような格好をして同じような写真を撮って同じようなポスターを作ってるんだろう」と、普通にそう感じてしまったと。

将:はい。それで「ヴィジュアル系、ダサいな」と思う中で、唯一違うと思ったのがkannivalismで。当時はカメラマンの宮脇さんが撮ってたんですけど、それが、アナ・ウィンターが編集長になった頃のファッション誌「VOGUE」の撮り下ろしかと思うような質感で。目とか唇をどアップにした写真を背景に散りばめて、その前で左右違う色のカラコンを入れた怜くん(kannivalism Vo)が、ライターの火をカメラに差し出してる写真があって。それを見た時「なに?これはすごい!」と思って。あと当時、「Ark Project」というイケてるヴィジュアル系のサイトがあったんですけど。それを食い入るように見ていたらDué le quartzを見つけて。デモを聴いて「なんだ?」と思ったり。そういうものが、僕が「ヴィジュアル系でも自分がいいと思うものをやろう」と思った原点になっています。

ーーヴィジュアル系に日和ったものを作るのではなくて。

将:そうですね。でも、ヴィジュアル系独特の様式美の中にも「いいな」と思うものはあったんですよ。例えば、YMOとか沢田研二さんの、あのラグジュアリーなハイファッション感。それとヴィジュアル系を融合させようというアティテュードが90年代の先輩にはしっかりあったんです。けど、2000年代からはそれぞれが独自の文化、マイノリティーな方向に尖っていったので、僕は敢えてその90年代にあったハイファッションと融合させようという姿勢にトンマナ(トーン&マナー)を合わせよう、というのを、バンドを組んだ時に考えました。

ーーなるほど。では具体的に将さんがアリス九號.のデザインに関わり出したのはどのタイミグからになるんでしょうか?

将:デビューシングルの「名前は、未だ無ひ。」というCDは、アートディレクションをやっています。カメラマンとヘアメイクをブッキングして、ロケ地を決めて。上がってきたものをデザインして入稿データを作って。それを持って行って工場と遣り取りしてCDを作る、という工程を、全部自分でやりました。どれだけ熱意があったんだって思いますよね(微笑)。しかも、バンドのホームページまで作ってましたからね。サーバーを借りて。今思うと「自分偉いなぁ」と思います。

1st SINGLE「名前は未だ無ひ。」

ーーちなみに、このジャケットのロケ地はどこだったんですか?

将:初回プレスは銀座の数寄屋橋です。当時「SHOXX」の編集部が近くにあったので、いいなと思ってたんですよね。発想としては、アヴリル・ラヴィーン(1stアルバム「Let Go」のカヴァー写真)みたいに、周りを歩いている人がブレている中、本人だけが立ち止まってるような写真を撮りたいと思ったんですよ。2ndプレスのロケ地も自分で探して。当時、コテコテのヴィジュアル系でこういうジャケットは浮いて見えたと思うんです。バロックの影響で“ソフトヴィジュアル系”と言われていた、「パステルカラーの原宿ファッションでシャッフル系の曲をやる」というのがあまりにも流行りすぎてしまった後、その揺り戻しとして、当時はみんながマイノリティーに尖っていってた時期だったんですね。そこに僕らも乗っかった感じで。自分達は大正ロマン的な和洋折衷をテーマにおいて、それをコンセプトにして作った最初のアートワーク作品がこれです。

ーーこの時の和装の衣装は?

将:ベースはメンバー全員分、僕が考えました。作ってくれたのはNaoさんのお友達です。

ーージャケットの中の写真は?

将:これは、僕がよく行っていた高円寺のカラオケ屋さんです(笑)。

ーーカラオケ屋さんとの交渉も?

将:もちろん僕がやりました。

ーー「ここで撮影しよう」と思った決め手は?

将:赤い階段があったからです。当時、僕らは黒×赤をイメージカラーにしてたんですよ。

ーー言われてみると、「名前は未だ無ひ。」も全体的に黒×赤のトーンですね。

将:当時、黒×赤でアートワークを作ってるバンドはいなかったんですよね。

ーーこうしてアリス九號.のホームページ制作、デビューシングル「名前は未だ無ひ。」から将さんのデザインワークが始まって。

将:その後は事務所に入るんですよ。それで「デザインとかこれまでどうしてたの?」と聞かれたので、「僕がアートディレクションはやっていました」と言ったら、「もっと上に行くためにはいろんなプロを巻き込んでいかないとね」と言われまして。それで、事務所からデザイナーさんを紹介されたんですよね。だけど、レタッチに関しては自分のこだわりがあって。僕と同じレベルでできる人がいなかったんですよ。

ーーテクニック的に?

将:はい。レタッチって、光源の関係性と人間の頭蓋骨、筋肉、皮膚がどうなっているのか。その全部を理解していないとうまくいかなくて、不自然なものになるんですよ。

ーーやりすぎるとアンドロイドみたいになってしまいがちですよね。

将:かといって、肌の質感を整えて粗を隠すだけでは、僕はクリエイティブじゃないと思ってたんですね。

ーーレタッチにクリエイティブを求めるんですか?

将:そうなんですよ。そこが前の事務所にもなかなか理解してもらえなくて。「レタッチってそこまで求めるものなの?あなた達の先輩でも、こまでレタッチはしてないわよ」という感じで。僕はレタッチが僕らの個性になると信じてたんですね。

ーーレタッチが?

将:はい。だからレタッチにはこだわりがあったんですよ。なので事務所と相談しまして。「僕が事務所に行って事務所のパソコンでメンバー全員分のレタッチをする」という決めごとを作りまして。そこから5年ぐらいは仕事の合間に事務所に行っては、全部のレタッチを僕がやってました。

ーー撮影した写真すべての?

将:はい。特典に使う写真まで全部やりました。だから、丸一日レタッチのためのスケジュールを取ってもらって、事務所のマネージャーのパソコンで作業してました。

ーーすごい作業量だったのではないですか?

将:そうですね。でも「この他のバンドとはレベルの違う将くんレタッチへのこだわりがあったからこそ、僕らは売れたんだ」と虎は言ってくれたので(笑顔)。その時は嬉しかったです。

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限りなく2次元に近い2.5Dロックバンド、アリス九號.のオフィシャルnoteです。 毎週メンバーがリレー形式でオフィシャルnoteだけの…

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