第二百回Gt ヒロト|『月間少年HRT』vol.22

<特集>
改めて「アリス九號.」と「ヒロト」の歩みを振り返る (後編)
「凍結するんだけど、ガチガチに固めるんだけど、'未来'へのワクワクする遊び心は残したい」

<特別付録>
HIROTO Guitar Channel
『ACT.4 FINAL なんばHatchのアンコールアーカイブ』


ーー「アリス九號.では虎さんという相方、同じポジションのメンバーがいたからこそ、より自分のことが見えるようになった」とヒロトさんは仰っていました。そうやって客観的に自分を見出した時、どんなことが見えてきましたか。

ヒロト:アリス九號.以前の自分は先頭に立ってバンドを引っ張っていってたんですけど、アリス九號.に入って初めて、「追う側」になったんですよ。それまでは「こんなんじゃダメだよ」ってメンバーに一番言ってきたのが自分だったんですけど。それが今度は一番追う側になったんだと思いました。「やべえ、やべえ」って。しかも相方の虎が作ってくる曲も考えてくるギターのフレーズもすごくいいから、ちょっとそこにある種圧倒されてたところもあったかもしれないです。それもあって、結成した当初、最初の7か月ぐらいは、自分の曲を持っていけなかったんですよね。

ーー前のバンドでも曲は作っていたのに、ですか。

ヒロト:作ってはいたけど、それを壇上に乗せられないと思っちゃったから、それまで持ってたストックも一切出さなかったんですよ。それで最初の半年ぐらいでの体験、経験の中で感じたことを曲にして。「これなら」って…それも確か、メンバーの誰かが言ったんですよね。スタジオでずっとあっためてたフレーズを聴いたり弾いたりしてた時に「その感じ、すげーいいじゃん!」って誰かが言ったんですよ。それで「あ!これはいけるのか」と思ってデモにして。一番最初にバンドに持っていったのが「聖者のパレード」なんです。

ーーそうだったんですね。

ヒロト:それをレコーディングして、作品として作り切ったのがきっかけとなって、やっと、どんどん曲を持って行くようになったんですよね。

ーーアリス九號.は最初からソングライターは三人体制だったんですか。

ヒロト:そうですね。沙我くんは最初、プレステで曲を作ってましたからね(微笑)。事務所にプレステを持って来て、作ったデモを聴かせてました。こんな人は他にいないんじゃないですかね。

ーー虎さんは?

ヒロト:虎はMTRを使ってました。

ーーヒロトさんは?

ヒロト:自分はテクノロジー系は一番早かったんで、当時からPro ToosのLEシリーズを使って作ってました。だから、僕の地元の昭島までみんなが来て、デモを作ったりしてましたよ。

ーーソングライターが自分以外に二人もいることについて、ヒロトさんはどう感じていたんでしょうか。

ヒロト:めちゃくちゃ刺激を感じてました。悔しくもあり、嬉しかったかな。それまで人が持ってきた曲で「いい」と思ったことは無かったんですよ。元々自分の一番のプライオリティーは「ライブがやりたい」で、そのためには曲が必要だから作曲し出しただけなんですね。「自分で音楽を生み出したい、作りたい」というような芸術的欲求でミュージシャンをやってないんですよ。

ーーあくまでも、やりたいことはライブであると。

ヒロト:そうです。「人の曲でやるよりも自分の曲をやった方がライブでアガれるはずだ」って思ったから作り出したけど、アリス九號.では他の人が持ってくる曲が毎回よかったんですよ。虎の曲、沙我くんの曲、どちらも自分には無いものを出してくるから。

ーーそれで毎回「虎曲すげぇ」「沙我曲すげぇ」と思っていたんですね。

ヒロト:ええ。そうしたら自分に火が点いたところはあるかもしれないですね。自分が驚かされた分、今度は逆に「自分がメンバーをビックリさせたい」ってすごく思ったんです。それでメンバーをビックリさせたら、お客さんも喜んでくれて、その曲で自分のことを好きになってくれた子ができた。「じゃあもっとこういう曲を」ってなっていって、そういうサイクルで1stアルバム「絶景色」、2ndアルバム「Alpha」ぐらいまでは、めちゃくちゃ曲を作ってたんです。そのサイクルに嵌って。

ーーすごくいい循環だったんですね。

ヒロト:そう。曲もめちゃくちゃ作ってた上にとにかく忙しかったから、マジでその頃は寝る時間が無かった。

ーーそれが落ち着いたのは、事務所を辞めてからですか。

ヒロト:いや、そこまではいってないです。レーベルを移籍する時に、リリースをしない時期があったんですよ。でもそれ以外の時は、一年間にシングル3枚、アルバム1枚、それ以外に映像作品、と、コンスタントにリリースしてましたからね。しかも当時のシングル盤は、他に収録されてない新曲をバージョンごとに入れたりしてたから、カップリング曲もたくさん作ってレコーディングしなきゃいけなくて。だけど、アルバムに収録されるのはシングルのタイトル曲だけなんですよ。その制作とレコーディング、ツアーも年間2本、ファンクラブ限定を入れると年間3本はやっていたし。そうして、雑誌の撮影も週3〜4日は入ってたんですね。だから家から現場に移動する車内や、スタジオ撮影の合間とかに曲の構想を考えたり。とにかくバンドのスピード感に必死についていく感じだったんですよ。それが「VANDALIZE」という3rdアルバムを出して、シングルの「華【hae・ne】」を出したくらいかな?

ーーサイクルに変化が出始めた。

ヒロト:そうです。1st、2ndアルバムは自分が10代の頃から構想、音として溜めてたものが爆発して曲になっていったんですけど。その後はいろんなプロデューサーの方とやるようになっていって。当時はメーカーがすごく予算をかけてくれてたから、レコーディングもめちゃくちゃいいスタジオを2か月以上押さえてくれて、そこで作業をしてたんですね。ちょうどその時に「GRACE」のMixをやってれた三浦さんと出会って。三浦さんは、自分が頭でイメージとして描いていたものを、どんどんロジカルで音に変換してくれた方だったんですね。その体験があって、すごくそこにフォーカスするタイミングが自分の中にやってきまして。毎日スタジオに一番早く行って、最後まで三浦さんと話し込む、というのを繰り返しやってたんですよ。そこで、「なんでこの音がこうなるのか」という合点がいって。そこから「第一次ギターを探求するモード」に入っていったんです。

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限りなく2次元に近い2.5Dロックバンド、アリス九號.のオフィシャルnoteです。 毎週メンバーがリレー形式でオフィシャルnoteだけの…

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