ファッション・デザイナーとの対話
クルマの運転や医者の治療は、思い込みが、命に関わる重大事故に繋がるのに対して、記事の閲覧は、自分の不明を恥じるばかりで、心臓麻痺をおこして死ぬことはない。
日本語と違って、英語には男女の差がほとんど出てこないので、最後の署名を見て、ああ、この記事を書いたのは想像していたのと反対の性であったのかと気づくことがよくある。
筆者は「リーダビリティ」というソフトを使って新聞記事を読むので、最後に署名が表示される。これは、2012年に書いた記事なので、このソフトは、もう存在しない。
対話の途中で、ゲストのステラ・マッカトニーと新聞記者が、ともにテーブルの下に頭を突っ込んで、ステラの靴を覗きこむシーンが出てくるので、このとき、インタービュアーは女性であると気づくべきであった。それにもかかわらず、これはファイナンシャル・タイムズの記事なので、なんとなく男と結びつけた。
記事の前半に、注文を取りに来たレストランのウェイトレスは、「デボラ」と刺繍の施された赤いエプロンをしていると書かれているので、てっきり、記者は男に間違いないと思ったのである。
料理を運んでくるときも、記者はデボラがいきなり現れたと記しているので、筆者の思い込みは強化された。
女性の記者がウェイトレスの名前を記事に書き込むはずはないと。まったく、筆者の一方的な勘違いにすぎないのだが。
さて、なぜ、ふたりはテーブルの下に首をつっこんだのか。人は、身につけるものに心から満足していれば、長く大事にすると言って、ステラは、まず自分のブラウスを引っぱり、次に脚と靴を指して説明したのである。
デボラが、ほうれん草とチーズのオムレツをデザイナーの前に差し出すとき、「なかなか素敵でしょ」と店の料理を褒めたのも、筆者には驚きである。
ここには、自分の働くレストランに対する矜持が含まれている。また、それを素直に言葉にできる文化のせいもあるかもしれない。是非とも、見習いたい習慣である。
「なかなか素敵でしょ」といわれて、ステラは、「本当にそうね」と答えている。こんな何気ない応答が実に洒落ている。客と給仕という関係を忘れているところが素晴らしい。英語では、このように、立場を忘れて気楽に会話を楽しめるところがいい。文化のせいだと言われれば、それまでだが。
このオムレツは、皿いっぱいに盛り付けてあった。イラストには、このオムレツを前にした、ストロベリー・ブロンドのステラが描かれている。これにひきかえ、記者の注文したコテッジチーズの料理は、ぱっとしなかったせいか、デボラは無言のまま、料理をテーブルに置いた。
ステラは、双方の料理をみて、わたしのほうが美味しそうねと洩らした。これも、皮肉にはぜんぜん感じられない子供らしさがあっていい。
食後、ふたりはコーヒーも紅茶も遠慮して、デボラが勘定書を手で計算して、優雅にテーブルに置くところまで、記者は描写している。
「これほど安く仕上がる相手は誰もいないでしょ」とステラは言った。一流のデザイナーにしては、控えめなレストランと料理の選定に記者は敬服せざるを得なかったようだ。
ただ、記者は料理を全部平らげたのに、ステラはオムレツを半分、残している。どうして、パッとしない料理を前にした記者に向かって、自分には、このオムレツ量が多すぎるから、あなた、すこしいかがと、食べ始めるまえに勧めなかったのか、それが残念である。
おそらく、記者も相手のオムレツを口にしたかったにちがいない。そんなことは、おくびにも出していないが。