くすぶるねむる



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意味とは切り離された街の中を歩いている。建物は全て灰色で、液体のような動的なアンバランスさを保ったまま聳えている。生物と言える物体はこの中には存在していないみたいで、美術館の中にある見慣れない現代アートを模したミニチュアの世界に閉じ込められてしまったような感覚を覚える。目線をふと横にやる。自転車があると脳が認識するよりも早く、画面が移り変わる。学校の中。黒板には小学生の時のクラスメートの名字が日直の欄に書いてある。目の前の机の落書きを読もうとする。駅のホームでジリジリと何かのアラームが音を立てている。古本の匂いがする。連続性を持たない事柄がテレビのチャンネルを切り替えるように浮かんでは消え、その度に視界は明減し、思考はぶつ切りになっていく。はっきりしていることは、つまり私は今夢を見ていて、夢を見ている私を俯瞰して見ている、ということだ。私の夢には登場人物は誰もいない。主人公である私がいて、それを上から俯瞰して眺める私がいるだけだ。生命のない灰色の世界の中で、縦横左右の区切りは無くなり、私の頭のミキサーの中で曖昧に一つになっていく。回る。回る。何かが回っている。そうして私は6畳ほどの薄暗い部屋にいて、安物のデスクチェアに深く腰掛けながらHBの鉛筆を握り、ルーズリーフに何かを書いている「誰か」の背中を眺めている。いつも見る夢。この夢にだけは現実と同じように色がついていて、学習机の作られた木の色や、文字を書いている「誰か」の息遣いを確認する。私は、「誰か」に話しかける。「誰か」は文章を書いている紙から目線をそらさずに、ただ耳を澄まして話を聞いている。

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人生において生きる意味ってなんだろう。いつも同じようなことを考えて、答えはいつも堂々巡りだ。小学生の頃に作文で賞をとった。夏休みの宿題の一つで、人権についての作文だった。その日は午後からプールに出かける用事があったから、午前中にさっさと終わらせてしまおうと思いながら、テレビで放送される仮面ライダーやプリキュアなんかを流し見しながら書いた。内容なんて夏休みが終わって宿題を提出する頃には忘れてしまっていたが、とにかく私の書いたそれは誰か偉い人の琴線に触れたみたいで、市の大きな文化会館みたいな場所で額縁に入れて掲載された。父親に連れられて、さも価値のあるかのように額縁に入れられたそれを見に行った。「いきていく」というタイトルのそれは、書いたはずの私にもどういう意味で、何が言いたいのかさっぱりわからなかった。あれから長い年月がたち、26歳になった私はコンビニのアルバイトで生計を立てながら、6畳の埃の被った部屋で、どういう意味で、何が言いたいのかさっぱりわからない文章を書いている。どこで何を間違ったのか、私には全くわからなかった。こういう答えの出ない自問自答から逃れるために、鉛筆を握り文章を書く。取り立てて言うと、貴重な資源を無駄に使い込み、誰が読むでもない価値のない意味の集合体を生み出すことが今のところの私の生きる意味のようだった。文章を書いているうちに、時計が時間を進める音が聞こえ始める。まだ今日の分を書き終えていないのだけど。瞼は落ち、エレベーターがゆっくり下降するときみたいな感覚の中で眠りにつく。今日はいい夢が見られるといいな。

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空間には音が3つと、生命らしきものが二つ。何かを書いている私と、「誰か」。時計が針を刻むカチカチという音、鉛筆が紙にふれ、文字を形作る音。「誰か」が何かを話している声。満ち足りていて、他者に分け与えるだけの余裕を持つ優しさを帯びた声。どんな顔をしていて、何を伝えようとしているのか。それを知ろうとするには、石のように固まって動かない体を解す必要があるみたいで、そしてそれは今のところ不可能のようだった。鉛筆を握っている腕だけは紙に向かって何かを書き続ける。「誰か」は私にしきりに子をあやす母親のような優しい声で何かを語りかける。声は水中の中にいるみたいでくぐもっていてはっきりと聞き取れない。それでもその声は、どこか普遍性を帯びていて安心するような意味を含んでいた。文字を書く腕が動きを止める。時間が来たようだ

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「何かに救われたことってありますか?」
「あるかもしれない。忘れちゃったかも」
「私はありますよ、学校で死ね〜ってことがあったときにね、シロップを聴くと、頭の中できたない私がビルから落ちて粉々になって死んで、真っさらな自分に生まれ変わったような気持ちになるんですよね、数秒くらい」
「何、それ。現実は何も変わってないじゃん」
「観念的だねってよく言われます。でも人生なんて考え方ですよ、多分」
「私は・・・」
「でも、文章を書いているあなたは素敵だと思いますよ、だって私はやりたいことなんてないし」
「ただ惰性で書いてるだけだよ」
「でも、それだけじゃないでしょ?」
「嬉しかったのかな、あのとき」
「読んでみたいです。救いになるかもしれないし」
「意味がなくても、生きていていいのかな」
「さあ。人生なんて考え方ですよ、多分」
「あなたと会ってみたいな、私」
「きっと会えますよ。あぁ、そうそう」
「明日は晴れるといいですね」

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耳鳴りが私の意識を繋いだ。夢を見ていたようだ。机の上に突っ伏して寝たから首と肩が凝っている。少し開いたカーテンの隙間から漏れる光に目を細めながら、夢の内容を思い出す。「あの子」はたまに夢に出てきて、私と話をする。決定的な何かを諦めているみたいに話す「あの子」の顔は、この世にない完璧な球体、みたいなものを想起させて、悲しくて、美しいと思う。コップに半分くらい入っている水を飲む。目を閉じて、「あの子」が私の書いた文章を読んでいるところを想像する。何を思って、なんて言うのだろう。少し遠回しな言い方で、私の心情を分析したりするのかな。少し開いているカーテンを全開にして、窓を開ける。道路を走る車の音。鳥の鳴く声。朝の匂い。1日が始まろうとしている。少し伸びをして、安物のデスクチェアに腰掛け、鉛筆を握る。今日は晴れるみたいだ。

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1日の始まりを告げるアラームを引きちぎるように止める。薄く目を開けて、木製の天井のシミを眺める。上半身を起こすと、古いベッドが軋んで音を立てる。結局の所、汚れている私の体が綺麗になることはないし、この先幸せと思えるような考え方をできるとは思えない。ただ、あの6畳の煤けた部屋で机に向かう「誰か」を見て、あの人の意味になれたなら、と思う。ほんの少しでいい。ほんの少し。私は何者にもなれないから。少し乱れた布団を深く被り直し、息を吐く。救いがあるとしたら、眠りの中で、またあの人に会いたい、と思う。

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