もう一度「モモ」が読みたいな

 小さい頃から街づくりゲームが好きだ。発展させると小さな家や商店がどんどん発展した形状に変化していく。もっとレベルが上がったらどんな姿になるのかなという好奇心が、わたしの小さな箱庭未来都市を作っていった。
 SF映画が好きだ。特に近未来もの。世界観や未来の都市の青写真が観れるからだと思う。かといって、わたしの住みたいなと思う家はピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターの家とかだったりするから、現実の理想とは結びつかない範囲の興味なのだけれど、この近未来構造図への興味というのは多分人類の夢なんだと思う。遠く、時空を超えて今の世界がどうなっているのかを空想することこそが、人間だけに許された夢を持つという特権なのだと思う。

 こうした夢を描くことがどんどん難しい世の中になっている。非常におかしいと思う。でも、深く考えないとおかしいと思うことすらせずに、時間泥棒に貴重な人生を盗まれている。
 人類が作り出したもので貴重と言われているものはなんだろう?それは、人が作り出したものだと思う。古くから残っているものが良い例えだと思う。それは建築という目に見えるものから、思想哲学、音楽や芸術、化学や手芸、ありとあらゆるものがある。そしてそこに「お金」というものは存在しない。(細かく言えば、歴史的価値観というもので古いお金にはそれなりに価値はあるけれど)人間が作ったものであり、常に人間に付き纏うもの。なのに、今から過去を振り返ると、それは見事に消えて無くなってしまう。まさに錬金術。
 なにかがおかしい。多分今の世界で、お金が正しく使われていないのが問題なのを、目に見えないコロナが囁きかけているように思えて仕方ない。私たちの人生は、未来の人類にとって尊くないお金というものに切り売りされている。それらの失われた時間で、ものすごく貴重なものが生まれるかもしれないというのにね。

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