カタカナにご用心

 いつの頃からかわからないけれど、カタカナが苦手である。
 人生の半分以上がヨーロッパ生活だけど、生まれた時から高校生までは日本語で生活していたし、外国語を学ぶほどに上達はしているのだろうけれど、本を読むのは原文が英語か仏語でない限り日本語で読むのが一番理解できる。というか、日本語じゃないとまず読む気も起こらない。
 これはわたしに限ったことじゃなく、同じように母国語以外をペラペラと喋る人、普段は母国語を使わない人は本を読むときぐらい楽にしたい、というような部分があるみたい。
 そんなわたしの周りには日本語を喋る人があまりいないので、時々日本語ってどうやって成り立っているのか質問されることがある。平仮名と漢字は説明しやすいんだけど、カタカナが曲者である。言語学者ではないので学術的とか歴史的にカタカナについて調べたことはないから、カタカナの説明はいつもこうだ。「カタカナは外国からきた名前や単語に使う」。そのほかには……、思いつかない。
 で、冒頭の「カタカナが苦手である」に戻ろう。最近インターネットであれこれ読んでいると、カタカナの混ざった言葉がやたらと多くて、グーグル先生に「バズる、とは?」「おわコン、とは?」と聞くこと多し。そしていまだにディスるという単語の意味が曖昧なまま、理解中途半端でいる。
 これらの単語を調べるまで、わたしの頭の中では「バズーカで放ったようなこと」や「終わったコント」なんて勝手に展開していたんだけど、こういった新しい動詞は基本、英語単語を日本語動詞化したものや、日本語と英語の短縮形のハイブリッドだったりして、ちょっと高等だよね?!だってまず英単語の意味がわかってることを踏まえないといけないじゃない?仏語にもこういう言葉が発生していたりもするけど、日本語の比率じゃないと思う。でもわたしは仏語苦手だし、普段の生活では使わないのでひょっとすると仏語も日本語なみなのかもしれないけれど。
 最近世界が新しく生まれ変わるために、今の時代の悪徳代官、魑魅魍魎を一掃するにはどうすればいいのかなぁと真剣ではないけれど思うことがあって、こいつら怪物の言葉に共通する曖昧、あやふや、雰囲気、結局なにを言ってるの?という言葉遣いによく英語が混ざっていることが多いのに気づいた。英語が混ざってるとかっこいいと思っているのかな。意味不明にしてだまくらかしているだけなのですけどね。と、日常で英語を使っているわたしは思うのであった。言葉は伝えるためにあるのです。伝わらないのに使う言葉なんて本当に意味がない。意味がないことで振り回されるのはコリゴリですね。

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