憧れられるならそれは私にとってはアイドルじゃない
詳しいことは私のnote「アイドルを推す、 という信仰」に書いてるけど。
私にとって、アイドルを推すことは、信仰するということ。
私の友達には、アイドルオタクの子もたくさんいる。
嵐、NEWS、関ジャニ∞…。
みんながみんなじゃないけど、やっぱり女の子は男性アイドルに惹かれる子が多いらしい。
私の友達のアイドルオタクたちは、男性アイドルに夢中だった。
好きな男性のタイプを聞くと、「◯◯くん(推し)みたいな人!」と答えるような友達も多くいた。なんなら、リアコしてる子もいた。
そういう子たちにとってアイドルというのは、「理想の男性像」だったのだろう。
もちろん、そういう推し方だって素敵だと思う。アイドルにリアコしてる子たちは、そのアイドルに見合うような女の子になりたくて頑張ってる子が多くて、魅力的。
でも、アイドルのオタクはリアコとかガチ恋とか、そういう人が多いと思ってたから、私とは縁遠いなって思ってた。
だって私は、憧れの人物像を、アイドルに求めていなかった。
私がアイドルを推すときが来るなら、その相手に求めるのは、偶像。
尊ぶもの。拠り所。絶対的存在。
神様に、本気で憧れるとかって、しなくないですか。
そういう方ももしかしたらいるのかも。もし不快にさせたらごめんなさい。
でも神様って、自分とは次元が違うっていうか、雲の上の存在っていうか。
凄すぎて、恋愛対象だとか、自分の目標だとかって感じがしなくないですか。
憧れるなら、手の届く存在が相手って感じがしませんか。
少なくとも私は、自分が憧れる相手って、自分と同じ次元の(これは二次元三次元とかの話じゃなく、凄さ的なニュアンス)、自分が全力で努力すれば釣り合えるかもしれないような、そういう存在だと思ってる。
だからもしアイドルに憧れたら、アイドルの魔法が解けちゃう気がする。
神様の偶像だ、雲の上の存在だと思って信仰してたけど、なんだ、私の手の届く存在だったんだ。
この人もやっぱり、アイドルである前に、ひとりの人間なんだ────。
憧れられるなら、それは私にとってはアイドルじゃない、偶像じゃない、神様じゃない。
私には推しのアイドルがいるけど。
ももちは私の信仰であって、憧れじゃない。
ももちみたいになんてなれやしない。そういう子だから、私はももちを推しているんだ。
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