ボカロを好きになったきっかけ
2020年3月、政府から緊急事態宣言が発令される。不要不急の外出を制限され、数多の学生が3ヶ月以上もの長期間、家の中で過ごすことを余儀なくされた。他者との関わりから隔絶された日々。満たされなくなった刺激は、日を追うごとにすり減ってゆく。できることといえば、ネットの海を彷徨うこと。そのくらいしか思いつかず、毎日毎日YouTubeを開いていた。
そんなとき、関連動画に陳列された、一つのサムネが目に入る。トムジェリやスポンジボブなど、アメリカのアニメを想起させるタッチで描かれた、緑髪の女の子。着ている服から背景まで、目眩ましのように縞模様が主張している。
タイトルには「ヒガン / 初音ミク」とだけ書かれていた。
「初音ミク」
さすがの僕も、一端のZ世代。当然知っている名前だ。なんせ幼少期カラオケに家族で行った際、姉がこの人の曲を歌っていたのをよく覚えている。DSの太鼓の達人でメルトという曲をフルコンボしたこともあったはずだ。でも、自ら調べて聴いたことは一度たりともなかった。
今まで開いてこなかった扉を、親指一つでそっと開ける。どこか気怠げなメロディが僕を出迎えた。
言葉を失うほどの衝撃。心にできていた空洞を、たった3分半の余韻が埋め尽くす。
いつからか姉はボーカロイド曲よりも、ハロプロのアイドルグループたちに夢中になっていた。そんな様子を見て勝手に、ボーカロイドという文化はブームの過ぎ去ったコンテンツなんだと考えていた。
この曲を最初に聴いたとき、再生回数は10万ちょっとぐらい。こんなにも人の心を揺さぶる曲がだ。それはきっと、ボーカロイド曲のレベルが全体的に引き上がっていることを意味している。今こそ、ボーカロイドという文化のピークなんじゃないだろうか。僕は心からそう感じた。
あの日から今日に至るまで、僕はボカロという音楽ジャンルが何よりも好きになった。当然、そのきっかけを与えてくれたjohnさん(TOOBOEさん)のファンになり、メジャーデビュー後のライブにも度々足を運んでいる。
ボカロ曲は今もなお増え続けており、曲の数だけ人それぞれの出会いがある。ミクとjohnさんが僕に与えてくれた衝撃は、別の形で今も誰かが感じているはずだ。
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