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49. 春京都夏秋京都冬京都
私は中学時代を静岡で過ごした。修学旅行は京都だった。50年以上も前の話である。新京極で、お土産を買ったことくらいしか覚えていない。団体行動を学ぶとか思い出作りや、みんなでワイワイ騒ぐのもいいけれど、京都に行くなら有名どころの社寺をあれもこれもと回るだけでなく、その場所にちなんだ歴史的逸話や文学・芸術のことなどに深く触れて、京都の楽しみ方を体験する旅であってほしい。
そこで私が考える京都の修学旅行モデルは「文学に見る京都の奥行きを知る旅」である。たとえば、谷崎潤一郎の『細雪』、川端康成の『古都』、山本兼一の『利休にたずねよ』、司馬遼太郎の『最後の将軍』、原田マハの『異邦人』の5冊にちなんだ場所をめぐる旅。旅行に行く前には、5冊を輪読してみんなで感想を語り合う。文字で表現をする専門家が、どのように京都を書いているかを読んで、ここをみたい、あそこをみたいという気持ちを高めておいてから、京都に行くのである。中学で、その良さがわかるかというご意見もあるかもしれないが、わかるわからないはこの際あまり関係ない。小さい頃に一流のものに触れておくことが大切なのでる。私なんぞは子供の頃、親が見ていた志ん生の落語をTVで見ていたが、随分おじいさんがやっているんだなくらいにしか思わなかった。しかし、今になってその味わいがよくわかり、CDなどを買っているのである。あの頃、TVとは言え、生きている志ん生を見ることができてよかったなと思い、親に感謝をしているくらいだ。まあ、落語はさておき絵でも本でも映画でも音楽でも、子供の頃に極力一流に触れておくことが大事なのである。いわゆる肥やしになるのである。
「僕は、平安神宮の桜が見てみたい。平安神宮の桜は見事だって、細雪や古都に書いてあったよね。枝垂れ桜に花がついている時期に行ったら、すごいだろうね。
谷崎潤一郎は
『西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」 と、感歎の声を放った。』
川端康成は
『西の回廊の入り口に立つと、紅しだれ桜たちの花むらが、たちまち、人を春にする。これこそ春だ。垂れしだれた、細い枝々のさきまで、紅の八重の花が咲きつらなっている。そんな花の木の群れ、木が花をつけたというよりも、花々をささえる枝である。「ここらでは、この花が、うち一番好きやの。」と、千重子は言って、回廊が外にまがってるところへ、真一をみちびいた。そこの一本の桜は、ことに大きくひろがっていた。』
と書いているけど、川端康成は谷崎潤一郎の文章も読んで、自分なりの言葉で書いているんだと思う。谷崎の『あー』というなんとも言えない一言や、川端の『人を春にする』っていうのが、本当に僅かな文字数で感情を伝えているのにびっくりする。」
「私は、秀吉の聚楽第に興味があるの。
山本兼一は
『広い敷地にいくつもの館があるが、池のほとりに建つこの館は三層で、いちばん上にのった摘星楼は、眺望のきく八畳の座敷である。そこに、金箔貼りの床の間がある。金色の壁に、淡い墨で、霞のなかに立つ富士の山が描いてある。絵師は狩野永徳。』
と書いているんだけど、なにかにつけて華麗さを好む秀吉と利休の思いの違いが。利休切腹につながっていくのよ。でも、豊臣も結局滅びて、聚楽第も今は、ここが聚楽第だったのではという推定地だけが伝わるという、栄枯盛衰に惹かれるな。今は何もない聚楽第あたりに行って歴史の流れを感じてみたい。」
「歴史でいけば、徳川慶喜も外せないよね。
司馬遼太郎は
『「なければよし。政権を返上する。」と慶喜がうなずき、一同を見まわし、やがて奥へ去った後、ざっと十分ばかりしてかれらはやっと慶喜の呪縛から醒めた。(中略)翌十三日午後、在京四十藩の代表、六、七十人が二条城に集まった。慶喜は同様の宣言と説明をした。(中略)翌々十五日、朝廷からこの案を許容された。事は終わった。おわって。「疑念はあるか。あらば、後刻、格別に謁見する」といった。異例というよりも、ひとびとはこの将軍の自信のすさまじさにおどろいた。』
と書いているんだ。1867年(慶応3年)10月のこと。慶喜は、逃げるように二条城の裏口から大阪へ向かう。歴史が動いた二条城をぜひ見てみたいな。」
「最近ならば、原田マハが京都を舞台に書いているのよね。川端康成の『古都』へのオマージュのような本よ。さっき平安神宮の桜の話があったけど、物語の最初の方でその桜のことに触れて『細雪』の話題になるのよ。でも、主人公はあまり興味を示さない。ましてや『古都』の話は全く出てこない。なぜかなと小さな疑問が湧いたんだけど、そのまま読み進めると最後に、『古都』が前面に出てくる。巧まれている感もあるけど、京都がこの本を作者に書かせたという感じがして、京都の風に触れてみたいなと思うのよ。」
『修学旅行』という懐かしい歌謡曲の時代から60年経ったのである。今時の中学生ならありうる会話ではないか。こんな思いを胸に抱いて修学旅行をしたら、さぞかし人生観が変わっていくんじゃないかと思う。
●『細雪』 谷崎潤一郎 新潮社 1955年
●『古都』 川端康成 新潮社 1962年
●『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP研究所 2008年
●『最後の将軍』 司馬遼太郎 文藝春秋 1997年
●『異邦人』 原田マハ PHP研究所 2015年