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広島県庄原市 本町・三日市の街並み

庄原という街の名前を聞いた時、広島県民なら何を思い浮かべるだろう。県北の積雪地帯のイメージや、イルミネーションが綺麗な備北丘陵公園、未確認生物ヒバゴンを思い浮かべる人もいるかもしれない。

庄原ときいて昭和の街並みを思い浮かべる人はそれほど多くはないだろう。ただ、庄原の街並みは素晴らしい。
広島県北、中国山地の中央部にありながら、戦前から戦後にかけての昭和の雰囲気を色濃く残す商店街が現存し、街並みにはレトロな喫茶店や洋食店、古書店などがあり街としての密度が高いのだ。

広島から列車もしくは高速バスで2時間。その遠さも相まって、僕は庄原という県北の小都市にどこか憧れを抱いている。

庄原の街並み

庄原市街地の街並みは、駅前商店街を中心とした「本町」と、駅から西に20分ほど歩いたところに広がる「三日市町」の二つの街並みから形成されている。
隣町の三次市が、「三次町」と「十日市町」の双子都市であることと、どこか似ている。

・庄原本町の街並み

庄原本町の街並み

現在の庄原市街中心部である。戦前〜戦後期にかけて大いに栄えたであろう本町には今も数棟の近代建築が現存するが、街並みとしては特に保存されておらず様々な時代の風景が雑多に入り混じっている。

街並みというのは、その街が最も栄えた時代の建物が多く残るのだと思っている。例えば東京のように現在進行形で栄えている街並みは今も常に変わり続けているし、御手洗(呉市) のように明治から昭和にかけての一瞬だけ栄えた街には、その一瞬の時代の風景が残されている。

庄原の商店街を形成する建物は、ほとんどが戦前か、戦後間もない頃の看板建築で、昭和から平成にかけての派手な看板や装飾が施してある。街の風景がそのまま歴史の証人になっているのだ。

商店街の路地を一本裏手に入ると寄棟屋根の洋風医院がひっそりと建っていた。
もともと庄原本町もほかの地方都市と同じく、瓦屋根の旧家が連なる街並みだったのが、昭和の好景気で表通りの建物が一気に変わり、裏手に戦前の建物が取り残されたのだろう。

本町の街並みはなだらかな丘陵上に形成され、細い路地や坂道も多い。
雪の降り始める季節に訪れると、路地はしっとりとした重い湿度に満ちている。好きな風景だ。

庄原の路地

・庄原三日市の街並み

こちらは本町とは異なり純和風の町屋が連なって現存しており、まるで江戸時代に戻ったような風景だ。
駅前の商店街のような派手な看板建築や洋風建築はなく、風景はほとんど戦前と変わっていないだろう。

三日市町の街並み

旧家と旧家の間には、土壁のよい雰囲気の路地が残っていた。

三日市町の路地

庄原の面白いところは、中国山地にありながら瓦の色が揃って黒いことにある。隣の三次市ではそれなりに石州瓦を見かけるのと対照的だ。

三日市町の街並み

これは、三次市には石州街道が通っており、古くから山陰側の風土の影響を受けやすかったのに対し、庄原には山陰側と繋がる主要な街道が無かったことが要因ではないかと想像している。
(ただし庄原市北部、島根県境に近い比和や、鳥取との県境に近い小奴可(おぬか)は石州瓦の街並みである)

庄原の街には古書店が一軒ある。
「庄原中央」バス停の目の前に構えるどら書房さんだ。こぢんまりとした入口を入ると奥まで本棚がぎっしり並んでおり、漫画や小説のほかに古美術や郷土史関係の本も多い。広島原爆を扱った「句集・広島」のほかに、比和の方言を扱った資料集を購入した。

庄原市 どら書房

庄原までは三次からJRを乗り継ぐか、広島市内からの高速バスを利用することになる。JRの本数が絶望的なことに比べて高速バスの本数は1時間から2時間に一本はあり、また三次と庄原を結ぶ路線バスも運行している。公共交通機関でのアクセス難易度はそう高くはないのだ。

三次 - 庄原 (備北バス)

瀬戸内海側に住む私にとっては、庄原は確かに遠い。遠いけれど、その遠さがまた程よい憧れにも繋がり、実際行きたいと思った時にはいつでも行けるくらいの距離というのが良いのだ。
庄原、きっとこれからも、足を運ぶことだろう。


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