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「映画『デビルクイーン』の背景に見え隠れするブラジルカルチャー」中原仁(音楽・放送プロデューサー/選曲家)×岸和田仁(日本ブラジル中央協会ブラジル特報編集人)トークイベントレポート

軍政下の言論活動や文化活動が抑圧された時代
その隙間をぬって作られた映画の1つが『デビルクイーン』

中原:長年ブラジルに赴任されていてブラジルをよく知ってらっしゃる岸和田さんから、まずはこの映画が誕生した1973年、70年代前半のブラジル社会、 政治的な背景も含めてお話いただけますか。

岸和田:ブラジルの軍事政権がクーデターで権力を握ったのは1964年で、民政復帰するのが1985年。ですから、この映画が制作された1973年、公開された74年はまさに軍事政権のちょうど真ん中なんです。
 経済的には、表面的には経済成長が 著しく進んだ時代で、「ブラジルの奇跡」と言われていました。ただ、資本蓄積がちゃんとできてない経済だったため、80年代になると債務危機に繋がっていくんですけども。
 政治的には軍事政権で、まず政党政治がなかったわけですから、国会は一応開いてたけども、三権分立ができていない。1968年の12月に軍政令第5号が施行され、国会の閉鎖、めちゃくちゃな言論弾圧などがあって、当時の反体制政治家や言論人が200人くらい捕まった。カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが一緒に捕まったのは軍政令第5号の2週間後ですね。2ヶ月リオの軍警本部に留置されて、その後放り出されて2年半ロンドンに亡命するわけですが、彼らが戻ってくるのが72年、ちょうどこの映画の時代ですね。その頃にはいわゆる政治的な武装ゲリラは弾圧されて大体潰されているんですが、一方、言論弾圧というところでは、普通の新聞でも検閲があったし、音楽関係はもちろん映画についても反体制的なのは全部禁止。まっすぐにブラジルの現実を批判的に捉えようとしたシネマノーヴォが60年代初頭から始まって、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の『乾いた人生』やグラウベル・ローシャ監督『黒い神と白い悪魔』カンヌ映画祭で注目を浴びるのが1964年です。グラウベル・ローシャはその後、『デビルクイーン』のイザ役オデッチ・ララが出演する『アントニオ・ダス・モルテス』を撮って以降映画制作ができなくなって8年くらい亡命します。とにかく、言論活動や文化活動が抑圧された時代ですね。ある面、 その隙間をぬって作っちゃった映画の1つが『デビルクイーン』だとも言えると思います。

中原:普通だったらば脚本の段階で検閲が入るような抑圧された時代でも、監督インタビューによると、この映画は意外と検閲があまり入らなかったそうです。

岸和田:そこがブラジルの軍政の緩いところです。

中原:つまり社会的なものではないと、反体制的でないと勝手に思ってたんですね。

岸和田:そうだと思います。当時人気のあった「ポルノシャンシャーダ」という日活ロマンポルノをもっとぐちゃぐちゃにしたようなジャンルの映画の一環として、検閲官が見過ごしたんだろうと思います。

中原:そういった弾圧の時代において、この映画はそれをうまく潜り抜けてこうして公開されたということですね。
 この映画に出ているオデッチ・ララが、1964年に詩人のヴィニシウス・ヂ・モライスと一緒に、ヴィニシウスがギタリストのバーデン・パウエルと共作した曲を歌ったアルバムがあるんです。ヴィニシウスは『黒いオルフェ』の原作者としても有名ですが、そのヴィニシウスが出して発禁になった本があるそうですね。

岸和田:発禁というわけではないのですが、「パブロ・ネルーダ自然誌」という本です。ご存知の方も多いと思いますが、チリの国民詩人パブロ・ネルーダはアジェンデ政権時に駐仏大使をしていて、帰国後、1973年の軍事クーデターからわずか1ヶ月くらいで亡くなります。年齢はネルーダのほうが10個くらい上ですが、ヴィニシウスとネルーダは親友だったんですね。チリではネルーダの別荘、リオではヴィニシウスの別荘で飲み食いしたりして。彼らの好きなことは、飲み食いすることと女性の話をすることだったので、その辺のことを追悼で書いた本です。そのまま出したら当然検閲でぶっ潰されるんで、ヴィニシウスがほとんど自費出版に近い形で1974年に300部だけ刷ったんです。これは、その32年後に出た完全復刻版です。ヴィニシウスの詩集としてはちょっと特異な存在で、要するに当時のブラジルの言論弾圧を象徴するような事例かなと思います。

「パブロ・ネルーダ自然誌」


中原:あと、この映画の背景にはLGBTQカルチャーも大きいですよね。

岸和田:今でこそ表に出ていますし、日本でも時々報道されていますが、サンパウロのLGBT+プライドパレードでは100万人ぐらい集まるんです。だけどもゲイパレードが始まったのは1997年ですから、つい最近なんですよね。当然LGBTQの人はそれまでにもいたけれど、軍政の時にはゲイの演劇運動などは徹底的に弾圧されていました。

中原:映画のパンフレットにも書かれていますが、この映画には実は「マダム・サタン」というモデルがありまして。 マダム・サタンはジョアン・フランシスコ・ドス・サントスという男性なんだけれど、『デビルクイーン』の原題は『A RAINHA DIABA(ハイニャ・ジアバ)』で悪魔・女王ということで「マダム・サタン」とほとんど同じなんですよね。
 マダム・サタンという人は、ドラァグクイーン的なスターでありつつ、カポエイラがめちゃくちゃうまくて、喧嘩っぱやくて……実は、ジョアン・ジルベルトの歌った「紙風船」という曲の作者であるジェラルド・ペレイラはマダム・サタンとの喧嘩で傷を受けて早くに亡くなっているんですよね。マダム・サタンはリオのラパという、日本でいう歌舞伎町的なエリアのドンと言われた人物で、それをリスペクトして作った作品ということですね。

岸和田:タイトルがまさに示していますね。ただ、「マダム・サタン」を元にしたというよりは、フィクションと捉えるべきだとは思いますけど。

中原:もうひとつ、この映画の主役のミルトン・ゴンサルヴェス。僕も昔から大好きな俳優なんですけど、彼はブラジルのアフリカ系ブラジル人として、テレビ・映画の俳優としてパイオニアに近い存在ですよね。

岸和田:まさにそうだと思います。「アレーナ」という当時の左翼演劇集団があるのですが、ミルトン・ゴンサルヴェスはそこからスタートしているんですね。そこで黒人抵抗運動の象徴のようなズンビという人を描いた「Arena Conta Zumbi」という劇に出たのが1965年。その後、映画に出て、ノヴェーラという、いわゆる連続テレビ小説に色々出たことで有名になっていくわけです。

中原:名脇役というか、バイプレイヤーみたいな感じですよね。知的ないい人というイメージの役柄が多かったんですが、『デビルクイーン』は彼にとってすごいチャレンジだったんじゃないかなと思いました。

岸和田:彼もすんなり受けなかったんだろうなと思うんですよね。

中原:でも、目つきとか素敵じゃないですか。役になりきってる。さすがだなと思いました。

岸和田:ネイ・ロペスというサンビスタがいて、彼はサンバの実演家でもありながら、歴史学者でもあって、本もいっぱい書いてます。彼が書いた「アフリカ ディアスポラの辞典」の中にミルトン・ゴンサルヴェスの項目があって、そこでは、「非常に有能・多才な演劇人であり、おそらくブラジルで最高の役者のうちの1人だろう」こと、そして「テレビでも活躍したけども、『デビルクイーン』でブラジリア映画祭主演男優賞を獲った」ことが紹介されている。ネイ・ロペスの学者としての視点から観ても、ミルトン・ゴンサルヴェスが良くも悪くも評価を受けたのは『デビルクイーン』だったのだと。そこが面白いですね。

中原:ミルトン・ゴンサルヴェスは、アフリカ系ブラジル人の解放運動とか、人権を守る運動とかもやってましたからね。

岸和田:元々アクティブな黒人運動の闘士の1人であることは間違いない。1994年のリオデジャネイロの州知事選挙に出てるんですよ。

中原:ミルトン・ゴンサルヴェスはブラジルの名作映画をご覧になると必ず出てくるので、ぜひこの名前を覚えておいてほしいですね。最後に、先日閉幕したパリオリンピックで、ブラジルに関してちょっと面白い、知っていただきたいことがありますよね。

岸和田:パリオリンピックでブラジルとしては金メダルを3つしか取らなかったんですけども、 その3つとも女性なんです。その中で1番目立ったのが女子体操のレベッカ・アンドラーデです。彼女は床で金メダルを獲ったんですが、オリンピックの体操競技で金銀銅のメダルをとったのが全員黒人女性というのは史上初めてのことで、表彰式の写真がSNSでも非常に注目されました。つい30年くらい前というのは、ブラジルでは白人男性が権力を握っていて、家父長的な社会がずっと続いていました。それをぶっ壊して女性が活躍するのは意外と最近なんですよね。ある意味、それを象徴するのがレベッカ・アンドラーデの活躍で、しかも2位、3位はアメリカの黒人だった。いわゆるアフリカ系黒人の活躍という視点でもすごく面白いなと思った今回のオリンピック女子体操でした。


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