千利休 茶室《待庵》
千利休が作ったと伝わる妙喜庵の茶室《待庵》は京都大山崎にあります。
「天下分け目の戦い天王山」で羽柴秀吉本陣となった天王山の麓です。
国宝指定の茶室は3つあり、そのうちで最も古いものといわれています。
他の2つは《如庵》(愛知県犬山市)と《密庵》(大徳寺)となります。
見学は完全予約制(往復ハガキによる申し込みのみ)です。
写真撮影は禁止になっています。
今回の記事は、ご縁があって待庵をゆっくり体感することが出来た際のものです。(ここでは写真掲載はありません)
次の写真は原寸大模型の待庵です。2018年の森美術館で展示されました。
正面から見ると右側の屋根と左側の屋根の位置がずれているのが判ります。
そんな"謎”が多い待庵をいろいろ学ぶことが出来ました。
🔳待庵のスケッチ
わたしの書いた待庵と書院の一部のスケッチです。
図の左上が妙喜庵の入口で、右に進むと書院(室町時代の重要文化財)に接続する配置にあります。
亭主は書院側の勝手口から、お客は路地からまわって躙口へ進みます。
🔳待庵の不思議なところ
・その頃、茶室は広い九間(ここのま)であり狭くても四畳半でしたが、
それが突然一気に二畳になった
・それゆえにありあわせの材料で造られている
・書院造の到達点である特徴をわざと隠している造り
・狭いようで中に入ると存外広く感じる
🔳待庵の不思議を知る・わかる、おすすめ本&サイト
学術的な難しい解説ではなく、平易に説明しているなと思う書籍やWebサイトを紹介します。(とはいえ、未見の書籍・サイトは沢山ありますが)
🔳おすすめ本1 『藤森照信の茶室学』
この本では待庵の極小空間の謎を解き明かしています。
藤森先生は、待庵の成立や構造について、表千家の茶人堀内宗心(1919~2015)説を支持し解説しています。
⚫︎待庵の成立を推理
・戦場における臨時の茶の湯であるゆえ狭く、ありあわせ材である。
・お寺の御堂などの建物を流用してつくることが多い。
・戦が終われば破却され、他には残っていない。
・《待庵》は山崎合戦後も当地に滞在したこともありたまたま残った。
・その後、移築されて現在に至る。
⚫︎待庵の建築過程を推理
・宝積寺阿弥陀堂(四畳半と縁側)のうち一間と縁側部分を仕切る。
・なので御堂内の天井が平部分で、軒下部分は斜め天井になっている。
・既存の柱と壁を流用し新設部分と合わせている。
・移築の間にいろいろあったらしく屋根が左右非対称になっている。
(原寸大模型の写真で判ると思います)
・阿弥陀堂の雨戸を転用してにじり口の戸に流用したようだ。
・思い切って畳を切り(当時畳は超貴重品)炉を切る。(1畳半)
・床は柱を塗り込めたので広く感じる。(書院造を到達点を隠す)
・土壁はすぐに乾かず反故紙を貼る。(戦場の茶室なので突貫工事)
上記はダイジェストです。
本書の藤森解説は詳細で宝積寺の御堂が転用され茶室になっていく様子が目に浮かぶようです。
とりわけ変化の過程図が面白いです(『藤森照信の茶室学』P98〜P99)
雨戸の転用図も興味深いものです。
🔳おすすめ本2 『日本建築集中講義』
藤森照信×山口晃 のおふたりによる軽妙かつ大胆な体験記です。
山口画伯の挿絵も愉快です。
🔳待庵の一般見学方法
・見学は往復ハガキでのみ申し込めます
・寺の行事の無い日曜日の午前中のみ(時間指定はできません)
・写真撮影禁止
・詳しくは妙喜庵HPへ
🔳原寸大模型が近隣の山崎町歴史資料館にあります
🔳待庵に関するおすすめサイト
Discover japan 国宝《待庵》の建築の秘密
平面図が判りやすくおすすめです。
🔳国宝事典の説明
次のように説明されています。
🔳待庵を写した茶室
現代美術作家杉本博司が待庵を本歌取りして写した茶室「雨聴天」です
小田原の江之浦測候所に在ります
茶室「雨聴天」
《待庵》狭いようで広く感じる不思議な空間でした。