マサダ遺跡
2019.11.22
イスラエルの中でも人気な観光名所、「マサダ遺跡」。イスラエル王国の遺跡を多く残し、そしてローマ帝国からの攻撃に耐えようとしたユダヤの民のドラマチックな歴史があることで有名です。
以前に前任者も訪れていたのですが、私も今回バスツアーで観光してきたのでご紹介。
マサダってどこにあるの?
まず、マサダ遺跡は「Masada National Park」という国立公園にあります。イスラエルの東に位置し、死海にとても近いです。そのため、「テルアビブ ⇔ エルサレム ⇔ マサダ ⇔ 死海」の流れでよくセットツアーが組まれています。
地図のように、テルアビブから車を走らせると、岩だらけの砂漠地帯が見えてきます。2時間ほどで、その景色の中でもひときわ大きな岩山が現れます。下から見ると何も見えないのですが、400mの高さの山頂には一面に遺跡が広がります。その美しさと貴重な歴史のため、2001年にはユネスコ世界遺産に認定されています。
下から見上げたマサダ山
鳥の目で見るとこんな感じ。
マサダの歴史
マサダはユダヤの歴史にとって重要な場所で、アラム語で「要塞」を意味します。
紀元前100年、要塞として建設され、その後ヘロデ大王(紀元前73年ー紀元前4年)によって紀元前31年ごろに増築されました。当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたが、ヘロデ王はユダヤの民の王として統治を許されていました。そのためかマサダではローマ様式の建造物を見ることができます。
紀元前4年にヘロデ王が亡くなり、ユダヤ王国を属州とします。(*その後西暦30年にイエスキリストがユダヤ人学者たちの訴えでローマ軍によって十字架にかけられる。)
西暦66年、ローマ軍とのユダヤ戦争がはじまり、西暦70年にエルサレムが堕ち、生き残りのユダヤ軍がこのマサダに立てこもります。
その後およそ2年もの間、8千人ものローマ軍による攻撃に耐えていましたが、ついに西暦73年には崩落。
ユダヤ軍は異教徒の奴隷になるよりはマシと、約960人がここで自決しました。これによってユダヤ王国は失われ、追われたユダヤ人は奴隷になったり他国に散り、1948年のイスラエル建国まで自国をもたず世界を彷徨うことになります。
そんな背景があるため、マサダはユダヤ人にとって「二度と陥落させてはいけない」という戒めの場所でもあるそうです。ただ、イスラエル人の友人に聞くと、行ったことがなければ、音楽コンサートがある時に遊びに行くくらいと、捉えてる人もいます。
マサダ朝日ツアー
そんなこんなでネットで、「マサダ朝日・死海バスツアー」というのを見つけたので9月半ばに参加してきました。ツアー会社はTOURIST ISRAEL というところにしました。
料金は半日で69シェケル(¥2100)。大型バスで約30~40人をまとめて運ぶのでめちゃ安です。ただガイドはなく、入場料やお昼代などは自己負担になります。それでも合計6000円くらいなので、良心的な値段だと思います。
スケジュールは以下のとおり
02:00 テルアビブでピックアップ
03:00 エルサレムで他のお客さんをピックアップ
05:30 マサダ国立公園到着・ハイキング開始
08:00 エインゲディ自然保護区散策
10:30 死海で浮遊体験
12:00 死海出発
13:00 エルサレム到着
14:00 テルアビブ到着
朝2時にテルアビブのホテル前で集合なので、事前にちゃんと睡眠を取っておくことをお勧めします。実際このツアーは体力がいるので、特に夏場は水をたくさん飲んで体調管理に注意です。
早朝5時、マサダ国立公園に到着したら入場チケットを買います(31NIS/¥950)。他のツアーバスも朝日に間に合うように一斉に集まるので、長蛇の列ができます。
ケーブルカー(入場料込み:77NIS/¥2300)もありますが、早朝でまだ動いていません。朝日ツアーの場合は山頂まで足で登ります。所要時間は一時間くらいでした。
またこれが睡眠不足もあって結構キツい!最初は真っ暗の中歩きます。携帯のライトを使いながら足元確認。
しばらく歩いているとだんだんまわりが見えてきます。下に死海を眺めながら登っていきます。
要塞入り口が見えてきました。
朝日が途中で出てしまうんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、何とかその前に山頂へ到着。すでに人がチラホラ、朝日を待っています。
最後のスパートが効いたのか、吐き気を抑えながら、ついにご来光を拝みます。頑張った甲斐あって、とてもパワフルで美しい朝日が見れました。
朝日が死海に反射してきれい
さて、下山まで少し時間があるので頂上を歩いてみます。しかし思ったより広くてすべて見れませんでした(泣)。
要塞とは言いますが、頂上にはヘロデ王の宮殿や、ローマ式風呂、要塞が崩落した後ビザンチン時代に作られた教会などがあり、なかなか見ごたえがあります。他にもたくさんの貯蓄庫や巨大な貯水所、見張り台、シナゴーグなどがあったことが今でもわかります。
ヘロデ王が建てたローマ風呂 ↓
炉からの熱気と煙を空間を空けた床下や壁に通して温めていた。サウナのよう。重要なコミュニケーション場所でもあったらしく、ヘロデ王も客人を呼ぶ時に誘っていたらしい。他にもお風呂の後に外で体操したりと、アクティビティのために集まる憩いの場所だったようです。
他にも当時、雨水を蓄えていた巨大な貯水場がありました ↓
足を踏ん張らないとそのまま落ちてしまいそうな急な階段を下りていくと...
信じられないくらいの巨大な空間が!ここに水を貯めていたらしいです。
↑ こちらはマサダ陥落後、6世紀のビザンチン時代に建てられた教会。モザイクがしっかり残っています。
教会の壁
当時のイメージ図
などなど結構見ごたえがあります。
ふと、遺跡を周っているとトランペットの音色が聞こえてきました。あるツアーグループ(?)が、最後まで立てこもったユダヤ人への追悼をしているように歌っているように見えます。朝日と合間ってとても美しかったです。
そんなこんなで頂上での時間はあっという間に過ぎて、急いで下山します。
日が出てるので暑い暑い。水が必須です。
何とかバスに間に合って、マサダ登山は終わりです。
体力がいりますが貴重な体験だし、苦労して登った分、達成感がありました。その後の遺跡巡りも面白いので是非おすすめです。
アレックスソリューションズ 池田