国際結婚のジレンマと黄金の手錠
ブリスベンに移住してから1年9か月が過ぎようとしている。今回は国際結婚してる方の多くが悩まれるであろう「どの国に住むのか問題」と私の最近の悩みについて書いてみたい。
毎日がホームシック。日本に帰りたくて帰りたくて仕方ない。
過去の投稿にも書いた通り、移住1年目から義理家族との問題や息子の学校でのトラブルが継続的に発生しており、そんな状況で私自身も現地で大学院での勉強を始めたので、心の余裕はずっとなかったように思う。
俗にいうハネムーン期間(新しい場所に来てすべてが新鮮で楽しく感じられるような期間)というのも正直ほとんど体験した記憶がない。とにかく忙しく、ストレスが多く、辛かった。
それでも新しい場所に出かけたり、社交の場があれば多少無理しても出かけたし、最初はそれこそ「子供のためにも!」という気持ちで週末の誕生日パーティーやプレイデート、他の保護者との付き合いもがんばってやっていたと思う。
気の合う人や親切な人との出会いもあったし、楽しい瞬間もあった。もちろん、すべてが悪かったわけではない。
ただ、日本を恋しく思う気持ちは消えるばかりかどんどん強くなっていったように思う。最近でも毎日、日本のことを考えている。お店に行けば「日本ならもっとおいしいものが安く買えるのに」とか、街を歩けば「オーストラリアには本当に何もない」とか考えたりする。
日本人の方でも「オーストラリアの生活の方が自分らしく生きられる」と自信満々に言える人を知っている。「そのうち慣れるよ」「住めば都だよ」と言われる。でも、私はそんな言葉を聞くたびに「いや、私は違うんですよ~もうね、帰りたくて帰りたくて、オーストラリアが全然好きになれなくて、しんどいんですよ」と心の中で返答している。
そういう態度でいることが、子供や夫にとって良い影響を与えないことも十分に自覚している。ただ、それをどこにも吐き出せないのも辛い。
だから、カウンセラーと話したり、こうやって文章にしたり、日本にいる家族や友人に愚痴ったりすることで、何とかバランスを保とうとしている。
先日、初めてお話したカウンセラーの方からはこんなことを言われた。
大学で習った記憶があるが、すっかり忘れていた。英語ではU-curveとも言われているカルチャーショックと適応のプロセスのことだ。教科書通り、想定内の反応と言われると「たしかにな。自分だけではないよな。」と思えた。
時が経てば、この国で、この社会の中で自分の居場所を見つけて、100%好きになれなくても、楽しいと思えない時間があっても、「ここで生きていこう」と思える日がくるのだろうか。
日本に帰ったら仕事はどうするのか?お給料が急激に下がることに耐えられるのか?
夫から面白い表現を教わった。それは、Golden Handcuffs=黄金の手錠、というもの。金銭的インセンティブでオーストラリアにいることを選ばざるを得ない私たちのような状況をまさにそう呼ぶのだそうだ。
オーストラリアは生活費が高いのだが、給与、年金、児童手当などの金額も日本の数倍高い。今は夫とフルタイム、私がアルバイトという働き方だが、それでも日本にいたときよりは生活水準は上がっていると思う。働き方、という点においても、一般的にはオーストラリアの方が時間の自由が利く仕事が多いように思う。
もし日本に帰ったら夫は何の仕事をするのか?私は何の仕事をするのか?私たちが日本への本帰国を考えるときに、これが一番のネックになっていると思う。特に外国人である夫は、日本語が流暢ではあるものの、日本で仕事を見つけるということは容易ではない。
私もオーストラリアでの大学院進学を機にがっつりと教員の世界へ足を踏み入れたわけだが、日本で教員になる決断ができるかというと、難しいと思う。ここ数年で教員不足問題の深刻さがメディアでも報道されるようになったが、改革は道半ば、労働環境はまだまだブラックだろうし、40代に差し掛かろうとしている自分がそこに飛び込む勇気があるのか、まだわからない。
オーストラリアでは頼れる家族もいない私たちからすると、ここで生活しているメリットはずばりお金、である。ここにいれば老後資金の心配も、日本にいるときよりは少なくて済むだろう。
すると、
という問いに行きつく。
こんなことを考えられている自分は、とても恵まれた環境に置かれていることも理解している。
国際結婚のために海外へ移住した方の体験で、「やっぱり日本に帰りたい」「海外での生活に耐えられない」というネガティブな情報に触れる機会はあまりない気がしたので、今回正直に自分の気持ちを吐露したかった。
終わりの見えないオーストラリア生活
オーストラリア移住の前に、留学の経験は2回ある。カルチャーショックはあったものの、その感情の波を原動力に変えられるような若さとパワーがあり、困難に立ち向かう強さがあった。どちらも、留学期間が終われば当然日本に帰ることが決まっていたので、「限られた時間を有意義にしよう。」という目的意識をもって行動していたと思う。
今回の移住で辛いのは、「終わりがない」ことだ。こういうマインドで生きていると、必然的に一時帰国がご褒美になり、「これを耐えれば一時帰国だ!」とか、「〇月の一時帰国まであと〇日!カウントダウンだ!」ということだけを楽しみに生きているので、日本に着いた瞬間から「もうオーストラリアに帰りたくない」という気持ちになっているし、オーストラリアに戻ってからますますホームシック、というサイクルになっている。
家族や友人の存在はもちろんなのだが、私が今回オーストラリアに移住したことで失ったと考えるものの一つが「便利な生活」である。
交通、郵便、食事、買い物、何をとっても日本の方が圧倒的に便利だからだ。
そして、もっと正直に話すと、オーストラリアという国に全く魅力を感じない。元をたどれば、先住民が何万年も前から培ってきた文化、歴史を破壊して、何世代にもわたるトラウマを植え付け、侵略した土地に堂々と住んでいるのも倫理的におかしい気持ちがする。
日本にも暗い歴史や過去の過ちがあり、また様々な社会問題を抱えていて、そのすべてを肯定するものでは全くない。
それでも、オーストラリアでは歴史の重み、成熟した文化、みたいなものが全然感じられなくて、なんだか薄っぺらいさみしさ、空虚感を抱かずにはいられないのである。